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図書館原理主義宣言

さて。

もしあなたが早稲田大学戸山キャンパスの戸山図書館一階の新聞スペース、もしくは中央図書館三階の植物中華テーブル(勝手にそう呼んでいる)に来たことがあれば、やけにカラフルなカンケンバッグから、遠目から見れば水疱瘡を患ったかにも見えるほどステッカーが貼り尽くされたマックブックをおもむろに取り出す男を見たことがあるかもしれない。

あるとするなら、その男はかなりの確率で三分丈くらいの短パン姿の色黒で、鼻息荒くMacのやけにうるさいキーボードをバコバコ鳴らしているかもしれない。

何を隠そう、その男は十中八九、このわたしである。

今日はここに、高らかに、図書館原理主義を宣言したいと思う。


ここんところ宣言宣言っていうと無視されがちだが、まあちょっとここまで至った経緯でも聞いて欲しい。

皆さんも緊急事態なんとかでお暇だと思うので。


昼寝スペース時代

早稲田大学は大学であって大学でない、と、とある先輩がいも焼酎に飲まれながら謳っていたが、いまでは体感として理解できる。

ここは壮大な遊び場なのだ。まずそのことを理解しなければならない。


そのことをまだ理解できていなかった少年(19)は人の荒波のような8号館から逃れるように見つけた場所が、中央図書館3階、今は無き長ソファだった。

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今となっては代官山蔦屋書店を二回微分したザコい版みたいな空間になってしまったが、うっすらと記憶している。僕が二年生のころまでは茶色がかった皮の、フッカフカのソファがあったはずなのだ。

生まれながらの天邪鬼プライド鬼高人間なので、そこで時々刑法の予習をしてみたり、ナショナル・ジオグラフィックをおもむろに開いたり、(ほとんどの場合がこうだったが)あの忘れ難い包容力を持ったソファに身を任せて(寝て)いた。
脅されていたほど法学部の期末試験がハードではないと気づいた頃と同時にーそれは大学内で新しいコミュニティを確立していった時期とも重なるがー大学の図書館から次第に足が遠のいていった。


読書習慣創世記時代

そもそもちゃんと意識して読書するようになったのは去年の春からでしかないが、自分自身の本への入りはキンドルからだった。


ちょうどそのころはスウェーデンにいて、日本の本が読みたくても電子書籍でしか買って読めなかったし、こんなちょっとデカめのiPhoneイジってるように見えてちゃんと本読んでるなんて虎視淡々(?)でめっちゃカッけえやんw!とか思っていた。本当に貧相な考え方である。我ながら恥ずかしい

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(こんな写真を撮っている人間は得てしてろくにモノを読んでおらず、読んだ気になっているだけなのだ)

しかし昨年の夏、帰国と同時に頼んでもいないのに安堵感と同時に息苦しい日本の夏を憂う暇もなく、いわゆる大学三年生としての生活がまとわりつくようになってくると、キンドルはじわじわと石板となっていった。


よく考えずとも、当たり前である。キンドルは開かない限り、ただの黒い石板に等しい。開く機会が多ければ「石板」という認識よりも「Amazonさんが作ってくれたすてきな電子書籍で、たくさんの本がもちはこべるよ」という認識が勝ちうるが、開かない限り自分の中で「黒い板」認識がどんどん拡大する。この連鎖反応である。わかってくれると嬉しい


瞳孔ガン開きのウッキウキで購入したAmazonのマジックタブレット端末は、いまとなっては動かない、本当の石板となってしまっている。


***


キンドルがお葬式モードになってからというもの、僕は大学図書館に足繁く通うことになるのだが、これが結局最適解のように感じているのだ。
本屋さんみたいに買ってくれ買ってくれうるさいPOPとかが無いことでちゃんと本と対話できるところも、学費回収+税金回収でお得なところも(ケチ)推しポイントではあるが、一見図書館を使う上での不便性とも考えられるところが、考えようによっては本を読む上での最大の利点の一つにもなりうることを聞いて欲しい。↓


自動でデッドラインを作ってくれる

積ん読がどうだ、こうだ、とよく聞くものだが、ここから考えるに本を読むという行為の最大の阻害要因は「読む行為を後回しにしてしまうこと」と言える。

後回しにしてしまうことについて、僕が大好きなTEDトークがあるので、ちょっと紹介したい。いやこれ本当に何回見てもほんまに話うまいわ〜〜って感動するので、寝る前にぜひ。

TED公式チャンネルでも最大の再生回数を誇る超有名神回なのでもしかしたらご存知かもしれないが、

簡単にまとめると、

デッドラインのあるもの(レポート・仕事など)→期限が迫るとパニックモンスターが引っ叩いてくれてなんとか間に合わせられる
デッドラインのないもの(趣味・自己成長など)→期限がないのでパニックモンスターも出現せず、永遠に先延ばしにしてしまう
デッドラインのないものどうまく付き合おうね

みたいな話である。


ことさらに読書ー授業や仕事上での必要に迫られない、ただただ単純な趣味・興味としての読書ーについては、デッドラインが作りにくい最たるものだろう。


そもそも、本を読むという行為をステージに分けてみると


①この世にある膨大な量の本の中から読みたい本を決める
②本を手に入れる(買う・借りる)
③読む

に分けられるんじゃないかと思う。
割ととっつきにくい①ステップがある上、②→③の移行が特に難しく、なんとか①がクリアできても②で頓挫してしまうことが往々にある。いわゆる積ん読なるものだ。


ただ驚くなかれ、図書館は半強制的にデッドラインを作ってくれる


①→②さえクリアしてしまえば、②→③の部分と+「④返却」のアディショナルステージまで含めて「2週間」という期限が否が応でも発生してしまう。

2週間の間に、借りてきた本を1ページでも読めれば儲けもんなので、もしそれで読み進める価値があると思えれば2週間の期限付きで読めばいいし、クソつまらなくても2週間後には自分の本棚から消えてくれる。

こんなにかまってもらってもいいんですか、、???となるくらいにしつこく返却期限リマインドしてくれるし、ちょっとでも遅れれば図書館の司書さんは、とても静かな、かつドスの効いた声で怒ってくれる。割と怖い


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まあそんなこんなで図書館は最高です。回り回って結局落ち着く感があるので、あとそろそろ書くこともなくなってきたので今回はこの辺で。



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