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"13歳からのアート思考"-まとめ・感想-

※最初からネタバレあります


中学生の頃、美術が嫌いだった。

授業は真面目に受けていたので通知表は4をもらうことが多かったが、中学3年生の3学期、「自由に作品を描いて下さい」という課題に困った自分は、教科書に載っていた適当な作品を丸パクリし、その上にでっかく"No Idea"と書いた。

さすがに評価は3だった。

昔から反抗的な性格だったんだなと思う。


そんな美術への苦手意識からか、目立つ黄色い表紙でいくつかの書店で推されている本書は、以前から気になっていた。

"13歳からの〜"というタイトルに『中学生でも知っていることを知らない自分』という劣等感が立ち上がり思わず手に取ってしまった。

作者の思う壺だ。

手始めに目次と最初の方のページをパラパラめくっていると、クロード・モネの『睡蓮』を見た4歳の男の子が「この絵の中にカエルがいる!」と言うエピソードが書かれていた。

その後のページをめくると「カエルなんて描かれていない」という事実に安堵するのだが、『中学生どころか4歳児よりも美的鑑賞センスが劣っているのか…』とますます卑しい自意識が刺激され購入を決めた。

ドツボにハマっている。


この本の内容は「20世紀以降の美術史を授業形式で語る」というものだ。

それ以前の美術史が粗雑に扱われすぎているという批判があるが、そういう感想を抱いた方は、ぜひこの動画の、小学4年生の女の子で美術史を解説してくれるフェルちゃんに癒されてほしい。



では本書のまとめと感想を書いていきます。


本書のまとめ


この本の構成は、20世紀以降の美術史に影響を与えた芸術家6人の6作品が紹介され、これまでの美術の常識が覆された瞬間を6回も目の当たりにするという、読んでて飽きない構成になっている。

ヘーゲルの弁証法的に、テーゼに対してある芸術家がアンチテーゼをぶつけてバトルした結果、ジンテーゼが生まれるという流れだ。

ざっくり紹介していく。


1. 写実主義 vs リアリズム
—アンリ・マティス「緑のすじのあるマティス夫人の肖像」

歴史上長らく目に映るものを正確に美しく描写することを良しとされていた価値観が、カメラの登場によって崩壊。作者の感性を表現することに価値を見出した。


2. リアリズム vs キュビズム
—パブロ・ピカソ「アビニヨンの娘たち」

リアリティを構成する人間の視覚そのものを疑い、「多視点」「再構成」という技法を用いて新しいリアリティを形成した。


3. 具象 vs 抽象
—ワシリー・カディンスキー「コンポジションⅦ」

これまでの美術史上「具象物」以外がキャンバスに表現されることは無かったが、カディンスキーは音やリズムを色と形に置き換え、はじめて具象物では無いものを表現した。


4. 視覚芸術 vs 思考芸術
—マルセル・デュシャン「泉」

美しさや芸術性を追求し自らの手でつくる作品こそ芸術である、と思われていたところに、デュシャンは適当にもらってきた便器にサインして公募展に出展するも拒否され、今度はアート雑誌に掲載したところ大反響、これまでの美術の常識を覆した。

もはや作品自体から受け取る印象よりも、作品が生まれる背景や経緯の方にアート性が見出された。


5. イメージ vs 物質
—ジャクソン・ポロック「ナンバー1A」

何かしらの"イメージ"をもって創り上げるのが芸術である。便器だって作者の意図やイメージが入り込んでいるし、音やリズムを色と形に変えたところでイメージの産物だ。そのため見る側も自らのイメージを持って鑑賞する。

ポロックはそういった"イメージ"からの作品ではなく、特殊な技法でキャンバスに絵の具を散らすことで、"絵"そのものを完成させた。そこには作者の表現したいイメージが介入しない物質としての"絵"が在る。


6. アート vs 非アート
—アンディー・ウォーホル「ブリロ・ボックス」

「そもそもアートってなんだ?別に洗剤が入ってる箱だってアートなんじゃね?」とアートの境界線を取り払ったのが、アンディー・ウォーホル。

ちょっともう、行き着くとこまで来ちゃった感がある。


なんかすごい美術史旅行をして来たようで、最後は振り出しに戻される、なんとも言えない気持ちになった。


本書に通底するメッセージ


本書では繰り返し訴えられているメッセージがある。

自分だけの「興味のタネ」を探し「探求の根」を伸ばし「表現の花」を咲かせましょう。根を伸ばすことなく綺麗な花を模倣するだけの花職人になっても価値は生まれませんよ。

といったものだ。ビジネス書の決まり文句であり、昔から"世界に一つだけの花"なんかで繰り返し歌われているメッセージだ。

もう嫌ってほど聞かされているのに、何回聞いても自分の可能性が肯定されているようで、耳に心地良い響きである。

タイトルには『13歳から〜』とあるが、"オリジナリティ追求至上主義"的な価値観は、YoutubeやSNS、TwitterやTikTokなんかを見てると、若い人ほど染み付いている価値観なのでは、と思う。


夏目漱石のアート論


ここで、本書の隣にあった分厚いアート思考の本から、夏目漱石のアート論を引用して、オリジナリティ追求のためにどうしたらいいかを考えたい。

夏目漱石は、ある人のもっている感性をf(x)と定義して、そこからアウトプットされる創作物をF(x)と定義した。クソインテリである。例えば


"動物農場 [A]"を読んで"Pink Floyd [f(x)]"が"Animals [F(x)]"を製作した。は

f(A)=F(A) で表現する。さらに

人間日々無数のAやBやCを感性という函数にぶっこんでいるので

f(A+B+C) = f'(x) という新たな感性の獲得を繰り返している。


ある芸術家[f'(x)]のアート作品[F'(x)]を鑑賞して[f(x)]感想を書いた[F(x)]。は

f( F'(x) ) = F(x) となるはずであるが本書では

F(x) = f'(x) + F'(x) としがちな傾向に警鐘を鳴らしている。

感性という自らの函数を通さず、作者や作品の背景ばかりを追いかけていては、いつまで経ってもf(x)が変化しませんよ、というメッセージだ。

ではどうすれば自分だけのオリジナルで最高のf(x)が生まれるのか。


自分は"好き"と"問い"と"アウトプット"だと思う。


"好き"と"問い"と"アウトプット"


私たちは日々大量の変数を、自らの感性という函数f(x)にぶち込んでる。

今日は何を着ていくか、朝コンビニで何を食べるか、音楽は何を聴いて出勤するか、室内の温度は何度くらいか心地良いか、誰とどんな話をするか、Youtubeではどんな動画を見るか…などなど

無意識に選んでいるようだけど、どれも好きだから選んでいるはずだ。
f(x)に何をぶち込めばより良いF(x)が返ってくるかを検証し続けている。

そうすると段々、自分のf(x)の中身がわかってくる。自分は綺麗で繊細で儚いもの、反対に暴力的で無秩序で衝動的なものにも惹かれる。


次に問いを立てる。これは本書でも語られている。

どうしてこれに惹かれるのか。どうしたら良いよいF(x)が返ってくるのか。未だ見ぬF(x)はどうしたら返ってくるのか。

問いを浮かべておくと、勝手に感性f(x)に新しい変数が飛び込んでくるのが、人間の意識の仕組みらしい。

そうしてどんどんf(x)をf'(x)、f''(x)へとアップデートしていく。


そして、最も劇的な感性の変化を起こすのはアウトプットだと思う。

アウトプットをすると、上記の"好き"と"問い"が同時に完成する。

「今の自分はこういうのが好きなんだな」とf(x)の理解が深まると同時に、「今の自分はこういうところが気持ち悪いなもっとこうしたいな」と次のf'(x)が自然と浮かんでくる。

さらに次のインプットを行い、後は繰り返しである。


こうして自分だけのオリジナルで最高のf(x)が生まれる、と思う。


感性f(x)の正体


そうは言っても人間の感性とは謎多き生き物である。

今書いてる文章だってどっから沸いて出て来ているのか得体が知れない。

夢の世界はその最たるものだ。最も聴いていてつまらないとされる今朝見た夢の話をする。

第三次世界大戦後か?と思うほど荒廃した世界で、中国を思わせる広大な大地の川沿いに蔦が這っている石造りの建物があった。中にはスターバックスをアンティーク調に施したようなカフェがあり、おしゃれな日本人が紅茶を飲んでいた。


普段の自分には絶対にこんな発想は浮かんで来ない。よくぞまあこんなたいそうな想像力を持っていたものだ、と自分に関心してしまった。

誰しもこうした経験はあると思う。

もしかすると既に自分の中に無数のf(x)、f'(x)、f''(x)が眠っており、夢の世界ではそれらが解放されているのかも知れない。

感性f(x)に対しての興味は尽きることがない。


まとめ〜感性の時代は来るか


現在アート思考が流行っているように、今後、人の興味が内へ向かう感性の時代がやってくると思う。というか既にやって来ているのかも知れない。

科学のメスは、人間の思考や感情、感性まで到達しようとしており、到達すべきであると思う。

例えばアフターコロナを考えた時に、ワクチン開発や治療薬の開発、三密空間での紫外線ランプの活用などは、今後盛んになっていくだろう。

HIVですらかなり有効な治療薬が生み出されているので、これらのある種物理的アプローチは時間がかかっても確実に有効と思われる。


しかし、もっと有効なのは、いかに三密を避け、ウイルスに負けない免疫力をつけるか、といった行動をデザインをする事にあると思う。

これは感性の領域である。

ある意味でのマインドコントロールを、環境デザインや新しい社会制度の導入といった形で、良い方向に使えたらと思う。

人々により健康的な行動選択を促すような、公衆衛生的、社会政治的なアイディアも、アート思考と呼べるのではないだろうか。

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