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"アーモンド"感想・考察 -つまらなかった

表紙のインパクトと、大きく"本屋大賞第1位"と書かれた帯にひかれ、「"感情"がわからない少年」に興味を持って手に取った本。

アーモンドの色や形に寄せていると思わせる、無表情な顔のインパクトが強烈で、ほとんどジャケ買いだったと思う。


感情とは何か

"感情"というものに興味があった。

感情は、何がきっかけで、どこからやってくるのか。今の科学でも詳しく解明されていない。

感情は自然発生的な側面もあるが、感情が発生する前に"認識"を挟まなくてはならないので、文化的背景も絡んでくる。

国の違いで感情の種類が多少異なる、という研究もあるようだ。

また、マインドコントロールされた信者が教祖様に尽くすことに至上の喜びを覚えるように、感情の回路は操作することができると思う。

回路の太さだって調節できるだろう。アンガーマネジメントで怒りの感情を薄めることもできれば、慈悲の瞑想で慈しみの感情を強めることもできる。


しかし、例えば震災のような、今まで経験したことのない強さの体験をした場合、既存の回路がショートするのか、自然発生的に新しい感情を感じるのかわからない。

また、感情がどのように発展、細分化されていくのかもわからない。男女の、特に複数人が絡む、複雑な恋愛感情はいつ頃どのように獲得されているのか。


このように自分にとって"感情"とは未知の領域であり、ワクワクすることばかりだ。

"アーモンド"を読めば、"感情"についての知見が広がるかもという、いささか不純な動機で手に取ったと言える。

だから、内容的には、ちょっと期待外れだった。

著者の息子が失感情症(アレキサイミア)だったわけじゃないし、もちろん著者も失感情症ではない。あくまで想像上のお話だ。

主人公"ユンジェ"は、目の前で母と祖母が殺されても何も感じることができない重度の失感情症だが、やけに他人の心情把握能力に長けてるところがあり、その辺にも違和感を感じてしまった。

そんなわけで、あんまり本の内容には入り込めなかったのだけど、著者が韓国人だからか、小説全体を通した空気感が日本のそれとは違って新鮮だった。

また、登場する親子の多くが、いわゆる毒親問題のようなものを抱えており、競争社会が苛烈な韓国では社会問題になっているのかな、とも感じた。


本の帯で、「涙が止まらない!」「愛に溢れている!」とか絶賛されている割に、「自分て失感情傾向なのかな?」と思うほどこの本に対する感想が出てこないのだけど、感じたことをぽつぽつ書き残しておく。


感想

安直なタイトルにある通り、面白いものをちゃんと面白いと言いたいから、勇気を出して率直に言えば、つまらなかった。

物語でグッときたポイントが浮かばない。ゴニが体張ってるとこはちょっと泣きそうになったかもだけど。

そもそも語り手が失感情症のユンジェという設定に無理があったような気がする。

全く感情を感じないはずなのに、友人のゴニに、「シッダールタも、君と同じようなことで悩んで、王宮を出たんだって」といった台詞にあるように、他人の心情把握には長けている。

また、たまに出る人を食ったような語りもしっくりこない。

ゴニがやっかいなことを始めて、自分で自分を苦しめていると思うだけだった。
学校という社会の中では、誰だって本当の自分ではいられず、与えられた役割を演じるだけの小さなパーツでしかないのだ。

自分の感情を把握できない人間が、"自分で自分を苦しめる"とか、"本当の自分"とか高度な概念を把握できるのだろうか。

精神疾患としての失感情症の場合、他者視点での思考、想像力、共感力などは著しく制限されるらしい。

幼い頃の母と祖母の感情教育や、母の古本屋での読書の影響があるにせよ、ここらの矛盾につっかかってしまった。

突然登場するヒロイン"ドラ"に抱く恋愛感情や、最後の最後で感情を取り戻す下りも、少しドラマチックすぎてついていけなかった。


特に、ラストシーンでの語り

ほとんどの人が、感じても行動せず、共感すると言いながら簡単に忘れた。感じる、共感するというけれど、僕が思うに、それは本物ではなかった。僕はそんなふうに生きたくはなかった。

ここには、著者のメッセージが詰まっていると思う。

無差別殺人が起きても、見て見ぬフリをする人、特にスマホで動画を撮る人の描写が多くあった。学校でのいじめの描写も多かった。

この本は、"失感情症のユンジェ"に代弁させた、著者から社会への啓発なんだろう。だから純粋に小説として楽しめなかったのかな。

そもそも"失感情"という状態を全く想像することができないし、経験することもできないので、ユンジェはこういう子だ、って受け容れるしかないのだけど。

自分ほんとひねくれてるわ。


まとめ

この本の帯に

"感情"がわからない少年が、愛によって生まれ変わるまで———

とあるが、ユンジェは母親の感情教育に対して、「僕が普通でいた方が母にとって都合がいいだけだ」と断罪している。

いわゆる毒親問題である。

目の前で母親が植物状態になるような凄惨な事件が起こっても、ユンジェは何も感じなかったのだから、感情教育の効果は無かったのだろう。

だが、ゴニとの一件を通して、ユンジェは感情を取り戻す兆しを見せた。

その時のショックで脳に異変が起きたか、これまでの感情教育の積み重ねの賜物か、人との関わりを通して感情能力が発達したか。


毒は薬にもなる。

母の息子に対する教育、ある意味当時のユンジェを否定しつつも行った教育が毒か薬か、それはユンジェにしかわからない。

子供への教育———愛には、そんな二面性があるのかもしれない。

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