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"大審問官" ポップに解釈してみた—カラマーゾフの兄弟

カラマーゾフの兄弟を読んでいます。

"理性"と"本能"、"本音"と"建前"、"真心"と"演技"に引き裂かれ続ける登場人物たちのやり取りは、どこを読んでも面白く飽きずに読み進められます。

(学生時代は一瞬で挫折しました。新潮文庫の原訳より光文社古典新訳文庫の亀山訳が読みやすいかも。)

カラマーゾフといえば「大審問官」がとにかく凄いと聞いており、先ほど読み終わったので自分なりの解釈をまとめて置こうと思いました。

「大審問官」はカラマーゾフ家の次男のイワンが三男のアリョーシャに、神やキリストを批判する自作の物語を聞かせるワンシーンです。

物語を通して
イワンは理性的で理論家
アリョーシャは信仰的で実践家

として描かれています。

自分なりの解釈で、本文に載ってない例えも多く登場しますが、大体の流れを掴めればと思いまとめてみました。ここは明らかに間違ってるよ、という部分があれば教えてください。

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イワン:アリョーシャ、幼児虐待とかが横行してるこの世の中に本当に神なんているのか?ちょっと許せないわ。

アリョーシャ:それでも神はいます!

イワン:そもそもキリスト教って矛盾してない?ムカつくからキリスト教論破する話作ったったわw聞きたい?

アリョーシャ:…聞きます。

イワン:教会で信者束ねてる90歳の"大審問官"って爺さんと、ほぼほぼキリストみたいな男が登場するんやけど

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大審問官:おいイエス!お前の作ったキリスト教、信者が大勢いるのはええけど、まともに信仰してるやつおらんねんけど!

大審問官:"自由な意志と愛を"とか謳ってるけどな、信者が興味あるのは"現世利益"と"奇跡"と"権力"だけや!

大審問官:お前が聖書の中で石ころをパンに変えずに、地上のパンより天上のパンを!とか綺麗事ぬかすから、飢えて変になるやつ続出や。「お腹が空いて死にそうです、でも祈りとか自由の方が大事だからいいんです、でもお腹が空いたので奴隷になってもいいのでご飯を恵んでください」ってアホか。仕方ないから信者から少しずつ金集めてパン配ってやってるわ、アホくさ。

大審問官:しかもあいつら、ほっとけば「病気治してください」だの「死んだ人蘇らせてください」だの「大金が降ってきてください」だのそんな奇跡みたいな事ばっかり祈りやがって、愛と自由なんか二の次三の次や。

大審問官:おまけにあいつら、愛と自由のための信仰なのに、本来的には服従を望んでるんや。それも、絶対的な、誰もが従わざるを得ない最強の権力への服従や。さらに、服従の果ては統一への欲望に辿り着く。同一権力による絶対的な統一や。人類史振り返っても統一のための戦争ばっかだわ。愛と自由を信仰してるはずのキリスト教徒同士で殺し合ってるんだから訳わからん。

大審問官:イエス、おれの悲しみがわかるか。おれだって若い頃は愛と自由、信仰一筋だったが、いざ信者が集まるとこの調子なんだから、もう信仰心削がれちゃったわ。それであいつら、犯した罪をさも申し訳無さそうな表情で告白して来るから、ウンウン聞き流してひと言「赦す」って言ってやると、憑き物が取れたみたいにスッキリした顔で帰って行きやがる。クソ調子いい奴らだよ全く。

大審問官:おれだって心からキリスト教を信仰したいと思ってたのに、大勢の迷えるクソ子羊たちのために、自らの信仰を裏切ってまで偽善的な慈善事業してるんだからな。あーあ可哀想な俺。もうイエスの事嫌いだわ。てかなんならお前よりおれの方がクソ奴隷信者ども幸せにしてやれてるわ。イエスは理想高すぎるんだよね。人間買いかぶりすぎ!

イエス:「チュッ…」

大審問官:「うげぇぇ(…あ、悪い気しないかも。)」

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イワン:どや。神もキリストも嘘っぱちや。

アリョーシャ:違います!色々違います!これはキリスト賛美です!そもそも兄さんが作った苦悩する審問官みたいな人間はいません!教会の人間は、権力欲とか支配欲、いずれ地主になりたいって欲で動いてるだけなんです。それなのに兄さんは理想的な信仰心を持った人間がいるはずだと望んでいる!兄さんが神やキリストを批判するのは、強烈にそれを望んでいるからなんだ!そもそも自由とか愛ってそんなに堅苦しいものなんでしょうか!

イワン:おいそれ本気で言ってんのか。じゃあ何世紀にも渡るカトリックの運動は全部権力欲でできた嘘っぱちって言うのか!?

アリョーシャ:それも違います!前提が間違っているんです!兄さんの話の審問官は無神論者なんだ!それが兄さんが作り上げた問いの答えなんです!

イワン:そうだな、その通りだ。若い頃理想に燃えていた審問官は、ある日悪魔の囁きに耳を貸し、”信仰への裏切りと引き換えに大衆の盲目な幸福”ということで手を打った。でもこの信仰への裏切りだって、ひとえに信じ続けてきたキリストのためなんだよ。仮にこんな審問官みたいな人間が一人でも存在したら、それだけでもうキリスト教的な悲劇が生まれるには十分じゃないか?

アリョーシャ:そうです!で、兄さんはその審問官なんですよね?神を、自由や愛を、信じていないんですよね!
でもそれじゃあどうやって人や世界を愛していけると言うんです!そんな地獄を心や頭に抱いていたら自殺してしまう!

イワン:いや、どんなことにも耐えていける力があるのさ!

アリョーシャ:どんな力です?

イワン:カラマーゾフのさ…カラマーゾフの下劣な力だよ。

アリョーシャ:『すべてが許されている』というアレですか?すべてが許されている、そうなんですか??ほんとうにそうなんですか???

イワン:どうやらお前の心の中にもおれの居場所がないことがわかった。かわいい隠遁坊や、でもおれはこの『すべてが許されている』という公式を撤回しないぜ…。

アリョーシャ:「チュッ…」

イワン:「アッ——(…おれにはこいつしかいない。)」

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こう書くと格好のBLネタになりそうなお話ですね笑。

真面目で不器用なイワンは愛らしく感じます。白黒はっきりさせないと気が済まない思想は、中途半端な神やキリストの存在を認めることができず、彼自身どこか絶対的な力に身を委ねたいような危うさがありますね。その対象がアリョーシャということなんでしょうか。

アリョーシャは優しく大らかですが、どこか人間離れした危うさも感じます。神を、この世の全ての事象を信じているので、全てを受け入れ切れなくなったとき、彼自身の器が崩壊してしまわないでしょうか。
また、穿った見方をすれば常にマウントポジション取れる嫌なやつにも見えますが、彼の性格と信仰心から来る何かが、周りにそうは感じさせなさそうです。

『すべてが許されている』と『すべてを信じている』

一見同じように聞こえますが正反対の指向性がありそうです。

まだ先が長いですが続きが楽しみです。

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