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【毎日投稿】本気で、勉強する理由考えます。

 おはろん。勉強頑張っている人を永遠に応援してます、しらすです。

 自分で言うのもどうかと思うが、私はそこまで勉強に苦戦するタイプではなかった。それに気づいたのは初めて個別指導を行ってから2か月ほど経った大学1年生後期だった。

 数学に苦戦している人が多い印象はあるものの、数学を教えてください!という人でも、他の教科が同じくらいボロボロだったりする例は稀ではない。

 これは、最近定期テストの時期が近づいて、理科や社会を教えることになって気づいたのだが、社会や理科は暗記科目だし、数学や英語、国語はワークからどの問題出るか当てるゲームになっている。

 つまり、学びを楽しめていないのだ。

 本稿では、私が思う勉強することの目的や利点を話す。これをモチベーションにして勉強するのは難しいかもしれないが、勉強できることによるメリットというのは確実に存在すると思っている。それをうまく言語化できたらと思っている。 

 最後まで、ご覧あれ...。

勉強の意味は、テスト勉強しているうちは気づけない

 これはこの記事の前提である。テスト勉強という名目のもとの勉強とは少しベクトルの異なる話をしている。何故かというと、テスト勉強というのは半分以上が暗記で占められるからだ。

 暗記そのものに意味がないとは思わない。しかし、暗記に没頭しているうちはその真髄には近づけないような気がする。正直この領域に私が達したのも、勉強しているうちは気づかず、大学生になった今だからこそ気づけた部分が多い。

 なので、この記事はテストなどが近くにない、心に余裕があるときに読んでほしい。

国語を勉強する意味

 国語の意味に関しては、文字を読めるようになり、書けるようになるためである。これに関しては文句はない。しかし、学校の授業を受けていると、読んだことのない文章や物語を読んでは、何か先生が解説を入れて、気づいたら次の話を読んでいる。

 これをやり続けても国語の楽しさや有用性を感じ取れるわけが無い。

 国語で学ぶべきは、おそらく正しい本や文章の読み方を、文法などを交えて教えてもらいながら、それらを活用して書いてあることを制限時間内に読み取る力、文章を実際に書いてみる力を養うことだと思っている。楽しいと思えるかどうかは別だが、国語こそ一方的に教えることなく文を書くことについての理解を深めさせた方がよいと考えている。

 具体的に言うなら、読書感想文の書き方は国語で教えるべきだと思っている。長期休みになると作文用紙と要項だけ渡されて「必要なことは要項に書いた、さぁ書いてみよう!」のようなほっぽらかし状態なのはよくあること(今はどうかわからないが。。。)。授業内でも実際の文章を書く練習はできなくもない気がするし、誰かに見てもらわないと文章は書けないし、読めているかどうかも把握できない。

 初めて文章が読めた実感を得たとき、読書の楽しさや文章を読むことの大切さを体で感じられることだろう。

数学を勉強する意味

 はい、きました。お悩ませ教科ランキング第1位。しかし、好きな人はとことん好きなので、全員が嫌いというわけでもない。

 これは完全に私見だが、数学は論理性がしかない言語だと思っている。

 国語や英語と同じく、今目の前で起こっていることが数式や図形、文字を用いて表されている。英語や国語と変わらない性質を持っているような気がするのだ。

 数学を勉強することの意味は、そういった論理性を養うことである。

 数学という未知の言語に対して、「A=B, B=Cなら, A=Cである」などの基本的な論理を用いながらパズルのように解き明かしていくという、感情を排除した謎解きのようなものである。それを解くためには、数学というルールに従ってものを操作する必要がある。

 学年が上がるごとに煩雑なルールが増加して、そのルール(手札)を元に目の前の問題を解決していく謎解きパズル。それが数学であり、数学が好きな人の中にはそういった問題解決の楽しさが理由であることも多い。

 そして、数学で養われる力は国語や英語でも活きる。「問題を読んで、そのルール(文章)に従って書いてあることを整理しながら、解答していく」というところまで国数英共通なのだ。文章を読む力、物事を整理する力など相互作用的に能力を上げていくことができるのも数学の特徴の一つである。

英語を勉強する意味

 実は、英語を勉強する理由は数学と同じく、ルールにのっとって書いてあることを整理し、理解する力を向上させることだと思っている。そこに英単語の暗記が増えただけだ。

 今の学校の英語は、学問的にも英会話的にも位置づけが中途半端である十感じているため、学校教育的英語には触れないでおく。

 英語には、実はもう二つ目的があって、そのひとつがヨーロッパ言語への対応力を上げることである。話者が多い英語やフランス語、スペイン語、ドイツ語、イタリア語などのヨーロッパ言語は基本構造が似通っている。英語を一度習得しておけば、他の言語の習得スピードが上がるとされているが、それは真実だと思っている。

 もう一つは他国の文化の概要の理解である。教科書には、英語圏であるアメリカやオーストラリアを中心に題材が組まれることが多い。そこで触れることの多くが、日本との違いである。そういった文章や英作文などから、日本と他国との違いを学ぶことも英語でできる利点の一つだろう。

理科を勉強する意味

 理科でやることなんて知らなくても生きていけるジャーン。なんで化学物質とか覚えなきゃなのー?

 これが理科に対する本音だと思われる。

 実際、理科で勉強すること自体は別に大したことではない。では、理科を勉強する意味はなんなのか。

 それは、あるシステムの理解、適応である

 理科で学ぶことには、ちゃんとした裏付けがある。ある物質とある物質がなぜ化学反応を起こすのか。光合成の原理とする理由は何か。なぜ示準化石を見れば年代がわかるのか。全て人類の叡智が考えた「仕組み」で説明が可能である。

 この仕組みを理解することこそ、理科から学ぶべきことなのである。そして、それに適応しているかを確かめるためにテストを行う。これは例えるなら、サッカーのルールを確認せずとも違反せずにゲームを遂行できるか、みたいなもので、理科の世界、そのシステム内にちゃんと身を置けているかを確かめている。

 これが出来れば、実は理科でなくても良いと思っているが、我々の生きる環境にここまで関与している科目はこれ以上にないので、理科を学んでいると言っても良い。

社会を勉強する意味

 公民、政治・経済はまだわかるけど、地理とか別に世界へ羽ばたきたいわけじゃないし、歴史なんて過去のもの覚えてなんになるのー?

 社会を勉強する学生の本音を、偏見を交えてお送りした。

 社会科を学ぶことで、世界の見え方はぐっと変わると思っている。正直、私は社会を学ぶことが一番実生活に役立つと思っているため、長めに紹介する。

社会を学ぶ意味:産業がわかる

 地理の分野では、ある地域で盛んな産業について学ぶことがある。どういう場所でどういう産業が発展しやすいのか、実際に物がどういう動きをしているのかが主に地理を中心とした科目でわかる。

社会を学ぶ意味:人の営みがわかる

 歴史というのは、人が実際に行った形跡である。応仁の乱だろうが、享保の改革だろうが、邪馬台国の建国だろうが、米騒動だろうが、すべて我々と同じ人間が行ったことである。

 教科書に載るような出来事というのは、人々が相当な感情を持って起こった出来事。そこには誰かの思いがあり、心理がある。これを学ぶことは、例えば現代の政治や一般の民が思うこと、実際に行動する際の指針などがわかる。

 つまり、歴史を学ぶことは現代を学ぶことでもあり、人間について学ぶことでもある。

 また、歴史にはエンタメの要素もある。ドラマにもなっているように人の営みが関与するということは、そこにストーリーが存在していることでもあるので、それをドラマのように展開を追えることは歴史を楽しむうえで大切かもしれない。

社会を学ぶ意味:経済の概要がわかる

 公民分野で学ぶべきは、お金についての知識だ。

 需要供給曲線などもそうだが、何がきっかけでお金が動くか、政府や国という単位でどうお金が存在し、何に使われているか、ちょっとした専門用語を用いて学ぶことの方がより大切だ。

 総括すると、地理を用いて産業の興り方や世界の特徴を知り、歴史で人の心理や行動のとり方を知り、公民でお金の動きや社会のルールの概要を知る。これが社会の相互作用であり、現代を理解する上での重要な資産となるだろう。

結論

 国語で文字の読み書きができるようになり、数学でそのための論理性を養い、英語で他国の存在を理解し、理科でシステムへの順応力を上げ、社会で今の世界を理解する。割とバランスよくできた5教科だと改めて感じる。

 こんな記事を書いといて矛盾を疑うかもしれないが、勉強は、やはりちゃんとやった人にしかわからない魅力と意味があるのだと思う。最初から意味を求める人には向いていないと心から思ってしまう。

 だから、最初のうちは勉強ができるようになっていく、成長している自分を肯定し、表面からでもしっかり理解していくことが勉強のはじめの一歩として重要だと感じる。

 学校の勉強は、今の世界と人類を成り立たせる根幹の部分。それを学ぶと、今まで見えなかった世界が見えてくることだろう。

P.S

 誰目線の記事なのか。。。

 


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