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SION社員マガジン

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毎週火曜更新!個性豊かなクリエイター達が自由に書き上げる社員マガジン。
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#映像

引きこもりがちAPが年中真っ黒なワケ

ついに回ってきました。 入社7年目APの小木と申します。 イマドキの女の子たちのように自分の写真を撮ったりするタチじゃないので、いま必死こいて写真集めて記事書いてます...笑 少しお付き合い頂けますと嬉しいです。 簡単に自己紹介 どんな方がこの記事を見てくださっているか分からないので、まずは簡単に自己紹介を・・・ 現在は日本テレビで「THE突破ファイル」を担当している、アシスタントプロデューサー、神奈川県出身の28歳です。 (いかに酒飲みかが分かる、だいぶいかつめな写真で

AD日記書いてみました

入社3年目、ぐるナイADの高原といいます。 4月16日の金曜日、noteの依頼がありました。 提出期限は2ヶ月後なのでのんびり書いていこうと思います。 ゴチ現場で突然… 4月19日の月曜日、「ゴチになります!」の収録がありました。 収録終わりにインスタ用でゲストの日向坂46小坂菜緒さんにインタビューをしました。 前まで収録後のインタビューはディレクターが話してADがカメラを回していたのですが、この日からADがインタビューすることになり、撮影前は一瞬頭が真っ白になりました。

バスケ人生から一転 テレビ業界を目指した理由

初めまして。 この社員マガジンの話がきてから約1ヶ月半が経ち、焦りながらこの原稿を作成しています。さんま御殿担当の土井です。 思い返せばバスケしかやってこなかった人生。将来の夢は高校の教員になってバスケ部の顧問をする事でした。 ありきたりですが、そんな僕が全く関係のないテレビ業界に入った訳を話そうと思います。 僕の生い立ちとバスケ人生の始まり(北海道・静岡編) まずは簡単に僕の生い立ちから説明しますと、『北海道札幌生まれ→静岡→東京育ち』となります。 ここで大体「北海道

なんだかんだで歴10年超え

シオンでディレクターやっております、新納と言います。 シンノウとかアラノとか間違えられますが、ニイノです。 よろしくお願いします。 新卒からシオン一筋で12年目になります。 もう12年目か!!時が経つのはとても早いので、今、若い皆さんも気をつけてください。 本当にあっという間でした。 会社から、「何か掲載できそうな写真ありますか?」と言われて怖気つきました。 全く仕事の自分の写真がありませんでした。 唯一出てきた自分が映った写真が沖縄のロケでした。 赤いボードを掲げて

取り柄も華もない地味な私が、毎日幸せに生きている理由

島根県出身。大学進学のため上京。取り柄もなく、華もない44歳。 ただありがたいことにお仕事は続けられており、健康。 ご縁があってシオン勤続19年です。 ざっくり自己紹介 現在は「マツコ会議」でディレクターをやっています。 マツエクを1000本付けてもらったり・・・ 高級ランジェリーを身に付けプロの手でメイク&写真を撮ってもらったり・・・地味な人生に華やかな経験を添えていただき感謝しかありません。 マツコさんはもちろん、この番組をやってないと出会えない方々とお話しできるこ

18年前からの夢を叶えた今、思うこと

入社9年目。現在はデジタルコンテンツ部でweb系を中心にディレクターをしている中村です。 このブログ、みんな声を揃えて言っている「何書こう・・・」 私もどうしようかなーと思って色々考えてみました。 【この業界目指し始めたのっていつだっけ?】→【なんか小学校の卒業文集に書いた気がする】→文集探す、見つける→【将来の夢:獣医&芸能人スタッフ・マネージャー】 「&」の使い方を間違えてるこのおバカな12歳当時からエンタメ系の仕事には興味あったみたいです。業種は違うけど、似たような業

入社5年目の原彰太って言う奴。

初めまして。個性も取り柄もない『普通の人間』です。 細々と生きておりますが、実は今年5年目に突入しました原と申します。 そんな私の26年間について少しだけご紹介したいと思います。 少々のお時間、お付き合い頂けますと幸いです。 ※決していじめられている訳ではございません。 シオンに入るまでの『私』 まずは、簡単に生い立ちについてお話ししたいと思います。出身は埼玉県白岡市という場所で生まれました。いつも「どこそこ?」といった顔をされるので、「久喜の隣」と教えると何とか乗り切る

接客業しか出来なかった私が管理部門で働くまで

管理部門の第二弾を振られました、最近写真を撮るとポーズが昭和だと言われる中村です。 旅行、K-POP、舞台鑑賞がこよなく好きです。(趣味) 十分な時間をもらったにも関わらず全く書きたい事が見当たらず、パソコンの前で一日正座する週末が何週続いたことか・・・管理部門の私は別に面白くなくても良いよね?真面目なのが取り柄だし・・と半ば自己解決をしてシオンで働き始めた経緯など自分の過去を振り返ってみました。 業務中の写真を探しても写真すら見当たらず・・デスク業務中を写真に残す事ってない

「嫌な事があったら笑え!」「馬鹿になれ」 憧れの人の言葉を崇拝したから34年仕事が出来た!?

自己紹介 業界歴34年。シオンに入社して21年、その前は別の制作会社に13年いました。 これまで担当した番組は「ザ・サンデー」「発明将軍ダウンタウン」「ナイナイサイズ!」「踊る!さんま御殿‼」「Cの嵐!」「Dの嵐!」「Gの嵐!」「嵐の宿題くん」「ナカイの窓」「新・日本男児と中居」など主に日本テレビの番組に携わってきました。 仕事始めた時は超バブル時代 1987年に仕事を始めた時、ADは3K(きつい・帰れない・給料安い)と言われていました。 日本テレビで初めて担当した番組は

写真で振り返る8年。気づいたヤバい事実。

記事を書くためにカメラロールを見ると、雪山で風呂に入る様子や白タイツに白塗りをする様子をおさめた写真を発見! シオンに入社して8年目。今年でついに30代に突入するディレクターの神谷です。 現在は日本テレビ「マツコ会議」や東海テレビのeスポーツ番組などを担当しています。 何を書けばいいのか難しい!なので他にもロケハンなど仕事中の写真があったので 写真を使いながら大きく“3つの時期(AD初期・AD後期・D)”に分けて書いてみます。(写真で文章力の無さを誤魔化したいだけです!!

エレベーターのボタンを押して本番前に楽屋に呼びに来る人

28歳でプロデューサーになりました。 ただ理由は周りにやる人が他に居なかったので仕方がなくです。もっとディレクターをやっていたかったのですが、当時は番組制作の人数も少なく、会社にプロデューサーがいなかったからという理由で制作協力をとるためには必要という理由でやることにしました。 何もわからない状態で始めたP業務はキャスティング、予算管理は勿論、番組のスケジュール管理、資料作成とDからPではなくADに戻ったのかと錯覚するような忙しさでした。余裕ができて楽しいと感じはじめたのは3

40歳を機にテレビマン人生を振り返ったらナイナイ一色だった

「俺、ナインティナインが好きだなあ」 はじめまして。 自己紹介よりも先に、心の声が出てしまった株式会社シオン 17年目の冨田です。 現在はテレビ番組の演出・ディレクターとして「ぐるぐるナインティナイン」などを制作しています。 弊社で「シオン公式note」を始めるにあたり、TVディレクターとして、自分は何を書こうか? noteのネタ探しをしているこの頃、実はぐるナイの編集真っ最中。 長年担当している「ゴチになります!」はシリーズを重ねる毎にどんどん面白くなっている様に思う