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創業ストーリー 【就職活動~社会人編】

皆さまこんにちは!シオンの広報担当です。
前回はシオン創業ストーリー第一弾 井上社長の「学生時代編」をお届けしてまいりました。
今回はシリーズ第二弾「就職活動〜社会人編」となります。

学生時代、決断した起業への想い。
さて、そんな決意をした井上の就職活動は一体どのようなものだったのでしょうか。
どうぞお楽しみください!


就職活動 氷河期

―それでは早速、就職活動について教えてください。

私の就職活動の時期は、就活氷河期と言われていた時期で、大手銀行の破綻や、四大証券の1つが自主廃業するなど就職環境は厳しいものだったと思います。

難しい就活環境を嘆く人も沢山いましたが、私は「嘆いたところで外部環境は変わらないし意味がない。むしろこの時期に就活が当たったからこそ、真剣に就職活動に取り組む気持ちにもなれる。前向きに捉えて進んでいこうじゃないか!」と思い、就活は一生懸命に取り組みました。

このような厳しい就活状況下では、内定を取る人、取れない人の差が如実に出るもので、1つも内定を貰えない人が多くいる一方で、内定を取れる人は複数獲得している状況でした。
そんな中、ありがたくも、複数の銀行・証券・損保などから内定をいただくことが出来たのですが、その時の私は、真剣に就職活動を進めれば進めるほど、「商売がしたいな。大きな事業を手掛けるのも面白そうだな。」と思うようになり、総合商社に就職し、起業では体験出来ないビジネスを手掛けてみたいという気持ちが芽生えてきたのも事実です。

当時の総合商社の採用活動は、新卒採用スケジュールの中でも終盤に動き出すものでした。先んじて内定を頂いた金融機関のリクルーター達からは、「保険として使って良いから、とりあえず金融機関の内定は承諾しておいてから、総合商社を受けに行ったらいいじゃないか。」と何度も言われましたが、なかなか首を縦に振ることはできませんでした。お世話なった人達に嘘をついてまで手に入れるものが、本当に自分が欲している結果なのだろうか?と自問自答を繰り返した結果、噓をつくことなく内定はお断りすることにしました。

―ただでさえ内定獲得が困難な最中に、しかも大手金融機関を軒並み断ってしまうなんて勿体ないのでは…!

ですが、当時の私は「振り返った時に良い就職活動だった」と胸を張って終わりたいという気持ちと、何より「お世話になった人達に嘘をつきながら、自分が行きたいと思う気持ちのみを押し切る人生は、自分の生き方らしくないな」と思い決めたことです。決断した後の後悔は無かったです。

こう話してると、昔も今も自分は変わらないなと思います。

ベンチャーキャピタルとの出会い

そんな中、大学の就職課の先生から「何故内定を断るんだ?もっと冷静に考えるべきだ。それでも納得いかず鼻っ柱が強いなら、騙されたと思ってこの会社の面接に行ってきなさい。」と案内された企業が、社名も知らなければ、事業内容すら聞いたことのない「日本アジア投資株式会社」という、当時
未上場のベンチャーキャピタルでした。

当時は、私を含め周囲の学生も「ベンチャーキャピタル」という職業を全く知らず興味も無かったので、面接に行くことを何度も断り続けました。
ですが、あまりに何度も勧められたので、しぶしぶ受けてみることにしました。

そこで出会ったのが、当時の日本アジア投資の会長でいらっしゃった今原禎治さんという方です。この方は、日本にベンチャーキャピタルを持ち込み、日本最大のベンチャーキャピタルを作った"日本のベンチャーキャピタリストの第一人者"でした。

今原さんの話しを聞いた瞬間、何か言葉では言い表せないような強いオーラを感じました。アントレプレナーが持つ独特の雰囲気に痺れ、手の先足の先まで一気に血が巡るような、そんな熱い気持ちになったのを今でも覚えています。

そして今原さんの「銀行は過去に投資するが、我々は未来に投資するんだ」や、「我々は会社を作っているんじゃない。未来の雇用を生み出しているんだ」というインパクトのある数多くのエモーショナルな言葉を聞き、「こんなにも社会的に意義のあるミッションを背負った熱い仕事があるんだ。」と感銘を受け、この企業に入りたいと考えるようになりました。

その後、、無事この企業の内定を獲得したものの、「アジア」も怪しければ「投資」も怪しい。そして「担保を取らずにお金を出す」という未上場企業。両親からは「騙されている!」と猛反対を受けましたが、そこを押し切り、無事社会人としてのスタートを切りました。

今こうして自分の就職活動を振り返ってみて思うのは、「やっぱり嘘をつかず、真摯に就職活動を続けて良かったな」ということと、「人との出会いが全てだな」ということです。

自分にも相手にも、正直に進んでいたからこそ出会った会社。そうでなければ、今の自分自身にも出会うことはなかったと思うのです。

怒涛の新入社員時代


ーまっすぐに進んでいった結果、導かれた結果でしたね。
実際入社してみて、いかがでしたか?

大変でしたが、非常にやりがいがありました。

アポイントの相手は覚悟を持ってビジネスをされている社長ですから、知識も経験も全く敵わない。日々努力の継続だったように思います。
そんな業務の中で、成功に繋がるご支援をさせていただいたことはもちろんですが、何よりも財産になったと感じるのは、経営というものの厳しい現場を間近で体験し、会社を経営することのやりがいと厳しさを肌で感じることが出来たことです。

ー成功だけでなく、辛い現実も間近で見てこられていた中で、起業することが怖くなりませんでしたか?

怖くなるというより、逆に覚悟がつきましたね。
人生を掛けて事業をされている方や、本気で挑戦している方を見ている中で、「彼らが起業して事業に挑んでいることの価値や本気度をリスペクトし、私も本気で支援をしていかなければいけない。」そう思いました。
シオンの社内制度の1つである独立制度でも「起業はギャンブルであっては絶対にダメだ!」と言い続けていることの原点は、この厳しさを体感したことに基づいているのだと思います。

ー1社目で、仕事をするうえで大切にしていたことは何でしたか?

2つあります。
1つ目は、「とにかくハードワークすること」です。

例えば、ベンチャー企業の社長の多くは、24時間365日、"自身の会社や事業を拡大していくため、会社が生き残っていく為に必要なことは何か?"を真剣に考え実行し続けている方々です。その方々と対峙して「一緒に頑張っていきましょう」と言っているキャピタリストが、いちサラリーマン的なマインドで仕事をしていたとしたら、恐らく本当の意味で信用されない。腹を割って本気で話をしてくれないと思うのです。

相手と同じ気持ち、同じ目線になり、同じ船に乗る決意になって、はじめて人は心を開いてくれるものだと思います。「少なくとも彼らと共通のマインドで寄り添いたい」そう思い、休日昼夜を問わず必死に仕事をしていました。でないと、社長からの本当の信頼は得られないと思っていましたから。

2つ目は、
「ひとつひとつの仕事に対して、真剣に、そして責任と覚悟を持って取り組むこと」です。

ベンチャーキャピタルの仕事は、企業が継続して成長するためのエクイティファイナンスを中心とした成長支援を行います。
企業への出資を行うには、投資委員会で上申し、決裁を得ることになるので、"担当企業の未来を賭けた場"だと思い、臨んでいました。

私も「ベンチャー企業の経営者と同じ決意と未来を夢見てリスクを取っていきたい」という思いが強く、私の案件が却下されたらその場で辞表を出して辞職するよう、日付だけ抜いた辞表を常に胸元に用意して臨んでいました。

それくらい真剣に、覚悟をもって、ひとつひとつの案件に取り組んでいたのだと思います。

本気で働くということ

ーお話を聞いているだけで、井上社長がどれだけ真剣に、そして本気で仕事に向き合っているかが伝わってきます。
そういった経験の中で得られたことは何だったでしょうか?

「仕事は、本気で取り組まなければ面白くないですし、本気で取り組めば必ず結果が出るようになる」という信念です。
私が成果を上げられるようになったのは、能力が高いなどではなく、ただ誰よりも本気で仕事に向き合い、ただ実直に努力をしていたということなんだと思います。

仕事をする上で、いかに相手と同じ目線、相手と同じ気持ちになって考え、行動が出来るかが大切だと考えています。この考え方は、今も仕事に取り組む姿勢としての礎になっていると思います。

ーその時は社長経験もなく、新卒でいきなり社長と同じ目線で考える、というのは非常に難しいと思うのですが、具体的に工夫されていたことはありますか?

当時は大変苦労をしました。若さもありますが知識も経験も不足していたので、最初は社長には全く相手にしてもらえませんでした。
分からないなら体感するしかないと思い、社長がどのようなことに日々向き合い、感じ、悩んでいるのかを、様々な方法で吸収することにしました。

分かったことは、経営書に書いてあるような高度な内容以前に、経営の現場では、日々様々なことが起こっており、社長は想像以上に身近で小さなことに悩み、解決し続けているということでした。
社員の離職や、指示通りに事業が進まないもどかしさ、銀行や取引先との些細であるが重要なやり取りの繰り返しなど、日々の身近な課題に対峙されていることが分かりました。

そこで私が気付いたのは、"キャピタリストとしてエクイティファイナンスによる企業成長支援のみではなく、エクイティファイナンスに限定されない範囲でサポートすることが本当の企業成長支援"である。そして、本気で支援するためには、経営者の些細で本質的な悩みを解決する支援をすることこそが必要だということでした。

私は当時キャピタリストでしたから、すべての悩みを解決できる力は持ち合わせていません。ですが、私が解決できないのなら、その分野が得意な人の力を借りれば良いのです。
そこで、社長の悩みを解決できる協力者や企業を探して開拓していくなどの作業を、土日や業務時間外で取り組みました。

ー若い新人社員がアポなしで訪問をされて、跳ね返されませんでしたか?

はい。でも、1回でだめなら、2回、3回と行けばいい話です。「社長の悩みに本気で応えたい、自分に出来ることは何か?」という思いがあったので、諦めるという選択肢はなかったです。

ー真剣に、本気で真っすぐに取り組む。その姿勢は今も昔も変わらずですね!「本気で働くということ」、「本気で取り組めば結果は必ずついてくること」がよりリアルに伝わってきました。



新卒で入社してから約8年間、ベンチャーキャピタルに務めていた井上ですが、ある日、伊藤忠商事のスピンアウト組が作った不動産企画・開発を行うスタートアップ企業に出会うことになります。

これが井上社長の人生を大きく変えるきっかけとなります...!

「創業・理念編」へ続きます!