瞑想以外で「思いやり」の感情を起こすには? 『なぜ「やる気」は長続きしないのか』 4
前回の記事では、『なぜ「やる気」は長続きしないのか』(白揚社)を取り上げ、瞑想が「思いやり」を深めるということについて述べました。
ところが、思いやりをどうすれば培えるのかということに関して、デステノ氏は、瞑想することの恩恵について言及しつつも、「瞑想は万人向けの方法とはいえないし、実際に、万人に必要なものでもない」としています。
そして、「瞑想以外に私たちに思いやりの気持ちを抱くよう仕向けてくれる方法があったとしても別に驚くにはあたらない」と述べたうえで、
としているのです。
では、具体的にはどういうことなのでしょうか?
まず『なぜ「やる気」は長続きしないのか』の著者である心理学者のデイヴィッド・デステノ氏は、思いやりの感情には、自分と似ているかどうかという、先入観・バイアスがつきまとうことを指摘しています。
しかしながら「なんらかの期待を持って他人に力を貸したとしても、将来見返りがある保証はまったくない」ため、「他人が恩返しをしてくれる確率が相当に高くなければ、道理に合わない」ことから、「相手と自分の類似性に重点が置かれるのである」と説明しています。
そして、
「自分と似ているという気持ちが強くなったことで、困った状況に置かれた仕掛け人に対してより深い同情心を抱いた」
という著者らが行った実験結果から、「思いやりには残念ながら社会性に縛られる性質があることが明らかに」なり、「いつ、どのように思いやりの感情を感じたかについては先入観がつきものだ」としていますが、
「しかしこれのプラスの面は、システムと戦うのではなくそれをうまく利用することで思いやりの感情を培う方法を示している点だろう」
とも述べています。
ちなみにここでいう「システム」とは、たとえば似た者同士が集まっているコミュニティやスポーツチームの仲間には「思いやり」の気持ちが生じやすいが、反対に自分との共通点を見出せない他の集団や、国籍が違うメンバーで構成される敵チームには冷たい態度をとってしまうといった、「社会性に縛られる性質がある」ということです。
そして、
「ほかの人と共通している部分を探してそれについて考える時間をとるというごく簡単なことが、相手が困った状況にあるときにより深い思いやりの感情を起こすための確実な方法である」
「自分との違いを強調するのではなく共通点を探すことが、ほかの人の幸運を気にかけられるようになるためにはたいへん役に立つし、さらに自分の自制心を支える感情をも引き起こしてくれるだろう」
としています。
また「瞑想」について、以下のように言及しています。
そして、「瞑想は万人向けの方法とはいえない」とする著者のデステノ氏は、「マオリ人の民族舞踊であるハカのような、チームをまとめるダンスにも見られる」、類似性のマーカーとして機能する同調した動きなどは、「思いやりを持つための近道であり、システムをうまく使うための手段である」としています。
すなわち、瞑想をすること以外で、思いやりの感情を起こすために大事なのは、先ほど引用したデステノ氏の言葉のように、
であり、
ということなのです。
次の記事へと続きます……。
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