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みぃ曰く「ひとりでも孤独じゃないです」

三年生のみぃ。通級の少人数のSST(ソーシャルスキルトレーニング)の時間、「丁寧なことばで話そう」が目当ての授業があった。二つの選択肢からどちらかを選び、選んだ理由を発表する課題。『友達がたくさんいて忙しい』と『ひとりでさみしい』のどちらかを選ぶことになった。みぃは、ひとりの方を選び、理由は

『ひとりでも孤独じゃないです。ひとりでもさみしさを感じません。好きなことをするので。』

と言ったそう。

(みぃのことをよく理解している先生が、あえてこの質問をしたんだと思う)

先日、六年生の長男も同じようなことを言った。薬物の危険性を学ぶセーフティ教室のあとに、わたしに

「薬物は多くの人が友達から薦められ、やらないと仲間外れにすると脅されるパターンがあるらしいんだけど、僕は別にそう言われても断れる。独りにされても別に構わないから。」と言ってきた。

ひとりでも構わない、という二人のスタンスが、わたしは本当に嬉しかった。感動的だった。

ひとり=さみしい という一元的な価値観から脱している。すごいことだと思う。すごく大切なことだと思う。

そもそも、人間には生まれ持った性質があって、集団でいることを好むタイプと一人で行動することを好むタイプといるんだと思う。犬と猫のように。

二人とも幼い頃から、ひとり遊びが多かった。わたしは、同学年の子達とあまり関わらないことを心配したり、憂いたりしていた。ひとり=さみしいという固定観念から来ていたと思う。

でも、二人ともきっとさみしいとはそれほど思っていなかった。夢中になれるものが常にあったから、友達と遊ぶことよりも、目の前の玩具を熱心に触って研究したり、空想の中に入り込んだり。

それに二人は他人と自分を比べることに興味がないのだ。周りのことが気にならない。これは一長一短ではあるが、自分は自分というさっぱりとしたところは、生きていくうえでとても良い面だと思う。

「みんな仲良く」「仲間」「絆」「友達」

これらが求められすぎているから、苦しくなる人がいるんだと思う。わたしもそうだった。友達付き合いが下手なことで随分劣等感を抱いてきた。無理して誰かと一緒にいるようにしたり、今振り返ると「友達」という呪縛の中で四苦八苦したと思う。

我が子のようにもっと早く割りきれていたら、きっと楽だったんじゃないかと思う。

ひとりでさみしいときもあるけれど、ひとりはさみしいことじゃなくて当たり前のこと。ふつうのこと。ネガティブなことではない。そういうメッセージが逆に必要なんじゃないかと思っている。

ネガティブじゃないどころか、プラスの面だってたくさんある。ひとりは最高の自由だ。ひとりでいられるのは自立している証だ。それに、芸術、創作、思考、ひとりでないと出来ないこともたくさんある。うちの子達は、放課後誰かと約束して遊ぶことなんて、ほとんどなかったけど、その時間に自分のやりたいことをたっぷりしてきたから、それがそれぞれの個性や特技や将来の夢に繋がっている。もし、友達付き合いで忙しかったら、二人とも今のような特技も趣味もなかったと思う。

学校がつらい、友達関係がつらい等、鬱々として過ごしているお子さんがいたら、是非「ひとり」のポジティブな面にも目を向けて欲しいし、自分と同じような価値観を持つ同志に巡り合うまでどうか焦らないで欲しい。

長男とみぃは、好きなことがたくさんあるから1日が24時間じゃ足りないと言ってる。さみしいとは無縁でいられる一番の理由は、やりたいことがたくさんあること。ふたりが興味を持ったことを大切にしてきて良かったなと思う。

#不登校

#ホームスクール

#教育






















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