死ぬ前に読むノート

よく『秋の夜長に手紙を書くな』という。
今まさにこのノートの書き始め、10月10日の深夜である。

生き恥を晒すことにならなければよいが…

と、不安げな指を走らせる。

このノートの主旨、それはタイトル通り
自分がいつかしぬ前に、徒然なるままに書きたいことを
思う存分吐き出す場所としてここを選びました。

なんだか字面だけ見ると
中二病どころの話ではない雲行きの怪しさ

しかし、だれでも共感しうることだと思うのです。
人はいつも元気ではいられないし、正しくも生きれない。
きっとだれでも一度はしにたいと思ったこともあるはず。

けれどだれしも、死に際に立ったときこう思うのでは?

しぬにはまだすこしもったいないかも…


銀行の残高はまだ若干残っているし、
親より先に旅立ったら残された家族はきっと悲しむ。
大した貯金はないけれど、相続だとか財産分与だとかその辺の生前整理はしてから逝ったほうが良いか…
自宅でしんだら大家さんに迷惑がかかるかな…

生きる希望はないけれど心配事はたくさんある…!


何もない人生より、一度でも充実した人生のほうが未練が残る。
友達もある程度いる。家族も元気。大切な人もいる。
成績も普通くらいだった。
学校でも目立たなかったがクラスメイトは好きだった。
それが徐々に苦しくなった。
守るものがある人は一体どこで弱音を吐いているのか。
泣かない人は強いのか。泣けないだけなのか。人知れず枕を濡らしているのか。
このようにひとり哲学に没頭する日々である。

計画性のあるじさつなんて、虚しいことなのかもしれない。
ころされるのはいやだけど、さいごまでひとりだなんて。
いやそれは最低限の周りへの配慮とも言えるのか。
選択的独りなのか。

もう一度生きてみたいと思えるまで、このノートに思いの丈を書きなぐっていこうと思う。
共感できるひとの目に留まればそれは嬉しい。
投稿頻度も不定期かもしれない。
おそらく毎回拙く乱文で自己満のクオリティを更新し続けるだろう。
それでも明日の私を生かすかどうかは私次第だ。
一旦死に場所ではなく生息地を探して。
しばらくお邪魔させていただきます。

皆さんも、秋の夜長に長文を書くときはお気を付けて。
それではまたね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?