自分を知る旅、自分を癒す旅
昔、すごくメンタルがしんどくて、カウンセリングにいっていたとき、
印象に残っていることばがある
「これからは、自分を癒す旅、自分を許す旅ですね」
そのことばが、すんなりと自分のなかに入ってきた
人生をとおして、自分がなにをしたいんだろう
自分はなんのために生きてるんだろう
とずっと考えてきた人生だった
そんなことを考えないひともいるんだろうけど、わたしにとっては息をするように自然な質問だった
ときには、考えすぎて、立ちすくんでしまって、
遠回ししたり、迷走したりもした
若いころは、特別な何者になりたかった
小説が大好きで、テニスに熱中してたから、
自分も小説家とか、スポーツ選手とか、
そんな、何かを生み出す、誰かに感動を与えられるような、特別な何者かに
将来の夢として意識し出したときは
作家、心理カウンセラー、弁護士に憧れた
20代のときは、
ヨガインストラクターとか、webライターとかにも憧れたりした
そのどれも中途半端な憧れで、別に実現するために努力したりはしなかった
わたしは、30代になって、自分が若いころより、もっと自由になっていることに気づいた
わたしは結婚して、一回転職して、子どもを産んだ
キャリアに悩んだり、自己実現に悩んだりももちろんしているけれど、
ある意味で若いときより悩むことが減った
わたしはただの事務員で、ただの母親で、ただの30代の女になった
自分は、ものごとを理解する能力、文章を読む力、ものごとを整理する力があると気づいたとき、
事務の仕事は単調で地味だけれども、わたしにとっては無理なく続けられる適職だった
仕事は生きがいではない
単なる生活の糧にすぎない
けれども、自分にとって自然にできることで、人に感謝されたり、社会とつながっていられるのは、そう悪いことでもない
ひとりの男性を好きになって、そのひとと結婚した
もう生涯ほかの男に恋をしないであろう(多分)
向いていない子育て
一人の子どもの母になった
ほかの子どもの母になることもないし、
わたし以外の母もいない
わたしは発達障害気味で、
体力もなければ、精神力もない、
いびつなかたよりの多い、制限の多い人間であるとつくづく知った
昔憧れたようなことを成し遂げるだけの安定した精神も、体力も、自分を律する力も、自分はもっていなかった
わたしは、人生のいろんなことにぶち当たるなかで、
ひとつひとつ、自分が持てるものを選んでいき、
そして、ほかの可能性は捨ててしまった
わたしの器は大きくなかったから、持てるものは少なかった
服や雑貨を選ぶように、あれもこれもというわけにはいかなかった
そうしたら、不思議と、昔より、ずっと自由で、ラクな気持ちになれた
特別な何者かにはなれなかったけど、たった一つだけと、正解かどうかはわからずとも、自分が覚悟をもって選んだものが、ここにある
今でもわたしは息をするようにあたりまえに考えている
自分はなんのために生きているんだろう
わたしは人生でなにを成し遂げたいんだろう
いまのわたしの答えはこうだ
わたしは、自分を知るために生きている
より、自分になるために生きている
わたしは、わたし以外のものにはなれないから
わたしというカタチの心とからだで生きているから
あらゆる学びや出会いや経験は、そのためにあると思っている
わたしが運動や自然がすきなのも、
より自分が自分とつながっているのを感じられるからだ
服や、装いにこだわるのも、
より自分らしい自分になれる喜びがあるからだ
わたしは、より自分が、本来の自分らしいと感じられたとき、
自分の本質的な部分とつながっていると感じられたときに、
いちばん喜びを感じる
これから、40代、50代と歳を重ねるなかで、
たぶん、もっとしんどい思いもするかもしれないけど、
現実の重みに負けてしまうかもしれないけど、
いつかどんでもない後悔をする日が来るのかともしれないけど、
この方向性だけは忘れないでいたい
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?