お母さん、ごめんね①

こんばんは。忙しすぎてnote毎日更新止まってしまいました~…
まあ仕方ないですね、ゆるゆるです:)

今までのnoteで家族の話をしましたが、読んでいただいた方々ありがとうございます。ほぼフェイクなしでばれたらどうしよう…と内心思いつつ。

母は私の神のような存在でした。母が絶対だったし、いつの間にか母に逆らうことを諦めました。

母についてのnoteは長くなりそうだな、と思いながら、書き始めていこうと思います。私なりに、母がどうして母なのか、いつも考えています。私がしてもらったこと、受けて傷ついたこと、お母さんの性格、ちゃんと理由があります。お母さんが悪いわけではない、それはわかっているつもりです。

母は三人姉妹のすえっことして生まれました。上二人は器用で何事もそつなくできたようです。母の両親は二人で自営業を営んでいました。
母は運動に打ち込みながら、学生時代を過ごしていたようです。

母があるとき、夢があり、「お店を開きたい!」と姉たちに話すと、「バカはそんなこと言っちゃダメなんだよ」と言われたり、
父には姉二人と比べられ、それはそれは苦しい時代だったのでしょう。
在籍した学校では「虫けらどもは黙ってろ!」と教師に言われたり…

自己肯定感マイナスの母が生まれてしまったのはこの環境に大きく起因している気がします。

そんな中、母の味方は母の母でした。(私からすると祖母)
切れやすい父をなだめながら、仕事を手伝い、家事をこなす祖母だけは、母の味方だったそうです。

余談ですが、母は若いころ相当かわいらしかったそうで、バイト終わりに何台もの車が迎えに来てくれていたそうです、そのDNAはどこにいったのでしょうか(^▽^)/

そして母は社会に出て、働き始めます。
知人の紹介で父に出会い、結婚しました。全国転勤もある県内大手で堅実に働く父は、母の父にも認められ、母も幸せに暮らしていた模様…。


そんな中私が生まれました。よく母が口にするのは、「自転車に小さいあなたを乗せて皇居まで行ったのよ」。父との結婚である程度のステータスを得た母。姉二人に負けず劣らずの生活をしていると思っているようです。

ちなみに、母の姉たちはエリートでバリバリ超大手で働きながら家庭をもっています。

私は母にたくさんの時間と財をかけて育てられました。
私服登校ができる小学校の間は、6年間ずっと母が用意した服を着ていましたが、すべて子供服ブランドのものでした。
塾にも通いながら、たくさんの家族行事や旅行が揃えられていました。とても恵まれていたと思います。

母は専業主婦で私が家に帰ると必ず家におり、その日あったことを伝えていました。私は、その頃は大人と話すことが好きだったこともあり、学校で起こったことを話していました。

話した分、母は友達の家庭状況を話しました。
「◎◎ちゃんのおうちは、せいかつほごなのよ。なのにね…」
「△△さんはさいきんいさんがはいってね、それでさいきんくるまをかって…」
「××くんのおうちはえりーとよ、しりつのちゅうがくにでもいくのかね…」

だんだんと話される意味を理解していく私は、つねにその情報を頭に入れて友達と接していました。

そして私も母に呼応しました。
「ままのいってたとおり、最近XXちゃんのおうちはね…」
「〇〇くん、みょうじかわったよ!りこんしたのかな、けっこんしてなかったのかな…」

意地汚い子どもでした。なんにもわかってないふりをして、友達の話に耳をそばだてて、家に持ち帰って、母と二人、笑っていました。

人にばかにされないために、勉強は頑張りました。
母もそれを望んでいました。
90点以下のテストは机の奥にしまっておいて、たまに小さくきりきざんで捨てていました。

そんな中、私の小学校生活に大きな出来事が起こります、
つづく。

大学卒業までに50冊本を読む目標を達成するために使わせて頂きます◎