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□番外編 仏教から神道への改宗

元来、仏教のご縁もあり、祖母が地元では
有名な祈祷師だったのですが、幼い頃から
祖母とお弟子さん達と一緒に、「篠栗参り」
や「四国参り」に連れられたり地元にある
霊山「英彦山」にある「英彦山神宮参拝」や
英彦山での修験道の火渡りなど、祖母達と
一緒に行っていたりと、そんな幼少期でした。

神仏に触れる機会が多かった為か、祖母の
血を色濃く引いているのか、幼い頃から
人の目には見えないものを感じたりする、
ちょっと風変わりな子供だった様な気が
します。色々な不思議な体験も沢山経験を
していますので、当時は自然と仏門の方へ
と、流れて行ったのだと思います。

仏教的な思考である、「生きることは苦で
あり、人の世は苦に満ち溢れている」あら
ゆる物事は原因と結果から基づいて、人々
の苦にも原因が存在する。したがって苦の
原因を取り除けば、人は苦から抜け出す
ことが出来る」と言う仏教的な思考も若い
頃には持ち合わせていて、「写経」をした
り、お経や真言を唱えたりなどもしていま
したが、今振り返ってみますと、自分の中
で違和感を感じていたのかもしれません。

ある時、友人の紹介で「金峯山寺」の在家
のお坊さまとのご縁が出来ました。女性の
お坊さまなのですが、この在家のお坊様の
事が大好きで、いつしかお坊さまの所へと、
足を運ぶ様になりました。

修験道の方でしたので、山登りをよく
ご一緒させて頂きました。色々とお勉強を
させて頂いていましたし、金峯山寺にも数回
足を運んでいたりもしていたのでお坊様から
「得度」を進められていました。

そんなある日「弘法大師」が登ったと言われる
若杉山の登山に、ご一緒させて頂いた時の
出来事ですが、頂上にあるお宮さんの鳥居
の前で、お坊さまが突然、「さあ、今ここ
で腹をくくりなさい。得度して、そして、
私の弟子になりなさい。なると決めたらば、
この鳥居を心して、くぐって来なさい」と。

当然の如く鳥居を潜って、お坊さまの方へ
向かおうとしましたが、何と、足がまるで
大地に根が生えたかの様に、一歩も動けず
鳥居をくぐる事が出来ません。何度、試み
ても一歩も歩けないのです。ただ、立ち尽
くすだけ・・。「違うのか?!」と、そう
思いが駆け巡りました。そして、お坊さま
に「先生、私は先生の事が大好きですが、
どうも、この鳥居をくぐる事が出来そうに
ありません。申し訳ありません、私の事は
諦めて下さい。」とそう言う他、手立ては
ありありませんでした。そして・・・

この出来事があり、一から自分自身の事を
じっくり見つめ直してみようと考えました。
仏教的に言えば「内観する」と言う事なの
でしょうか。そんな時でしたが、私は若く
して、「解離性動脈瘤」による「脳梗塞」
を併発する事になります。この出来事で、
自身の考えが大きく変わりました。脳梗塞と
一緒に不思議な体験もしました。脳梗塞の
イベントが起きている最中に、一般的に言
われる、意識不明の状態の時に頭の中では
「走馬灯の様に、今までの人生のフラッ
シュバック」を体感していました。まさに
自分の人生を振り返り、死ぬ準備を
始めていました。が、その時に一瞬、
「フッ」と幼い子供達の事を思い出し、
「この子達を残して、まだ死ぬ訳には行か
ない!」と思いどどまり、懸命に命乞い
をしました。
「神様、どうか、お助け下さい!!」と....。

今思うと、 私が命乞いしたのは、お釈迦
さまでも観音様でもありません・・
お大師さんでもなく、そう、他ならぬ「神様」
でした。お陰様で、命拾いした私は、それ
からと言うもの「神様」の事を沢山勉強
する様になりました。

神道の中の1つに「森羅万象に神の遍在を
見る」考えが目に止まりました。太陽や月
山や海、そして、四季折々になす自然の
草木に至るまで、自然界に「神」が宿る。
自然に手を合わせ「感謝」する。1日、1日、
日々に「この世に生かされている事に感謝
する」一生懸命に「生き抜く」事に意味が
あり、死して「極楽往生」する為でもなく、
また「輪廻転生」しない為に生きるのでは
なく、死しては「みたま」となって子孫を
見守る選択をしました。かと言って、仏教
を否定している訳ではなく、仏教は「苦悩
を脱却する為の智慧」だと思ってもいます
が、私自身が、仏教的な考えから神道的な
考えに変わり、私自身の考えが一変する事
になりました。「感謝」する事で、
「苦悩を脱却する」事に繋がったのです。




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