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ナイルは死さない
まだ私が若くて美しくてお洒落だった頃、ヨーロッパ中部を流れるドナウ川でディナークルーズをしながら、美しく輝くブダペストの街を臨んだりするという神々の遊びを堪能し、若くて美しくてお洒落だった私は、食事のときに出てくるお水が炭酸水であることがデフォルトだったり、カツレツがやたらと潰れているのがデフォルトだったり、毎日毎食ポテトやらマッシュやらイモばかり食べるのがデフォルトだったりしたことに衝撃を受け、若くて美しくておしゃ、おシャ、、わ、、となったあのときが、もうかれこれ20年前くらいの話だということに、今震撼してます。
そんな私も大人になり、神々の遊びを卒業し、
ナイル川沿いをただお散歩する人になりました!
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初めてのナイル川は、「おおっきぃ〜〜〜!」って、つい声に出しちゃうくらい大きかった。
それもそのはず、ナイル川といえばブラジルはアマゾン川、アメリカはミシシッピ川に並ぶ世界三大河川のひとつで、尚且つ、アマゾン川もびっくりの世界最長を誇る川(6,650km)なのだ!
日本の直径(北↔︎南)✖️2.5倍くらい。
この辺りは、ザマーレクといういわゆるちょっとお洒落で高級なエリア。洗練されたレストランやカフェがあったり、近くには大使館やカイロタワーなどがあって、コスモポリタンな雰囲気。
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そんなナイル川沿いにある素敵なお店、『MOUNAYA Gallary』に行ってみた。外からお店に入る直通の入り口はなく、お店が入っている大きな建物にまず入らないといけない様子。が、その建物の扉は鍵がかかっていて入れない。訳わからんのでとりあえずインターフォンのチャイムを鳴らしたら、ようやく中から鍵を開けてくれた。重装備すなあ。
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お店には感度の高い人たちが好みそうなセンスの良いアイテムがたくさん並んでいた。
品質の良いエジプシャンコットンを使ったものやアートなどなど、入り口重装備すなあ、な高価なものがけっこうあった。
日本人の感覚でいくと、ここだけ日本の物価と変わらんな、程度だけど、コシャリ一食120円、、ってことはこれ何コシャリやねんっていう計算方法が板についてきた私であったので、これは150コシャリか、、などと計算すると、やはりここに置いてあるいろいろな物が高価に感じるのであった。
しかし、雑踏感すごい国に来たときの、たまに現れるこういう文明的なところって、安心安定ホッとするよねほんとに、、。
って思ったそばから、ハッ!とするものが目についた。
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2011年のエジプトにさかのぼる。
約30年間に渡ったムバーラク大統領の独裁政権に爆発的な不満を持つ民衆たち。
若者の高い失業率や、穀物高騰による食糧品値上げで貧困層の経済状況が悪化。(今のご時世、私たちにも少しだけイメージつきやすいかも...)
国民の約2割は1日2ドル以下、4割以上が1ドル以下で生活していた。(普通に無理。)
↓
政府への抗議として、低賃金にあえいでいた国民の焼身自殺が続出。
(イスラム教で”自殺”は特に厳格に禁じられているにも関わらず多発することの意味。大きい。)
↓
国民が反政府デモを計画。
Facebookにおいて最初にデモを呼びかけるページを作ったのはGoogle幹部のワエル・ゴニム。
8万7000人の参加表明が集まる。
↓
Google幹部のワエル・ゴニムが政府に拘束され、デモ計画の拡散に使用されたfacebookとtwitterのアクセスがエジプト国内で遮断される。
↓
1/25[1回目の大規模デモ]
1万5000人の参加。
3人死亡。50人負傷。500人が拘束された。
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↓ 1/28
エジプト政府より、インターネット、携帯電話&メールが遮断され、夜間外出禁止令が出される。
[2回目の大規模デモ]
デモ隊は夜間外出禁止令を無視、無政府状態になり放火や略奪行為が相次ぐ。1回目よりもさらに大きなデモとなり、死者38人、負傷者1,000人。
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↓ 1/29
デモ発生後、初めて公に姿を現したムバーラク大統領が、「より良い経済改革を行っていくことを約束する!でも俺は大統領やめねーぞ!」宣言。
エジプト考古学博物館では、軍や市民の混乱により、古代エジプトのミイラが2体破壊されるなどの被害を受けた。(ミイラ壊されるってエジプトならではですね、、)
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↓ 1/31
TwitterがGoogleなどと協力し、電話からメッセージを書き込めるサービスを開始。
(グッジョブトゥィッター!)
↓
2/1[3回目の大規模デモ]
”ムバーラク辞めろー!”のデモ隊とムバーラク支持派が超絶衝突。タハリール広場には20万人以上集まり、最大規模のデモとなった。
死者300人、負傷者3000人以上、逮捕者数百人。
↓デモ隊が支持してる新しい大統領候補の写真
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↓ 2/4[以降、ずっと大規模デモ]
まさかの20万人規模のデモagain。
↓ 2/8
まさかの25万人を超える過去最大級のデモ発生。
↓ 2/11[悲報]
エジプト全土で100万人を超えるデモに発展。
しゅ、、しゅごい、、、
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これにて30年近くに及んだムバーラク政権は崩壊。辞任表明後にムバーラクは意識不明の重体になったと報道された(ムバーラクまじどんだけ)
ムバーラク政権崩壊を聞き付けた人々からは歓喜の雄叫びが上がり、花火が打ち上がるなど、お祭りのような騒ぎになっていた。
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↓デモ隊念願の新しい大統領
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一枚一枚めくるごとに、私の顔面めがけてカウンターばりの強いパンチをドゥフドゥフ打ってくるような写真ばかり。エジプト革命の痕跡。
若くて美しくておしゃ、、わたし、、が大人になって選んだものは、繊細で美しくてお洒落なものよりも、パンチみたいな衝撃の写真集だった。
店の外に出ると、目の前には変わらず壮大なナイル川がいた。さっきもいたはずなのに何か景色が違って見えたのは、陽が少しづつ落ちて辺りがぼんやりとしても尚、ナイルが確固たる存在感を持って鎮座していたからだけじゃない。
対岸には、エジプト革命が始まったタハリール広場がある。きっとナイル川はエジプトのすべてを見てきたんだ。写真集を片手に、ナイル川を目の前にした私の黄昏が、私に違った景色を見せた。
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↑デモ隊で溢れ返るタハリール広場。
↓通常のタハリール広場。左側はナイル川。
この画像はネットから拾いました。
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そんなナイル川沿いを、カイロから南に660km下ったところに”ルクソール”という街がある。
古代エジプト時代(紀元前3000年頃/日本では縄文時代)に栄え、伝説的な数々の王や王妃、神々がいた古代都市だ。
長く長いエジプトの歴史のように続く、長く長いナイル川を、列車というタイムマシンに乗って下りたいと思った。神々の遊びをしていた私も、20年の時を経て、神々の歴史に触れることを楽しみに。現代から古代へ、カイロからルクソールへのタイムスリップだ。
ナイル川は全部知っている。
エジプトのすべてを。
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