生きたい人間から、死にたい人間になるまで。(幼少期〜小学生)

はじめまして。めじるるです。

今回は誰にも吐けなかった。いえなかった事。
全てを綴ろうと思います。
最後まで見てくれたら嬉しいです。

みなさんODと言う言葉は知ってると思います。
自傷行為という言葉も知ってると思います。

今回は、私の過去話をします。我ながらよくここまで生きてんなぁ〜ゴキブリじゃんって思ってます。

1月4日に私は産まれました。これは母親から聞いた事なので、本当なのかあまり知らないんですけど、お母さんのお腹から出てきて、お父さんに言われた第一声は、「なんだこいつくっっっそブスじゃん。こんなやついらない。」でした。

産まれてきてくれてありがとう。じゃないんです。
産まれて早々貶されるって、我ながら運悪すぎW

月日が立って、お父さんとお母さんは離婚しました。
お父さんの女遊びが凄かったし、私と、お母さんを捨てたんです。

そして、お母さんとの2人暮らしの生活が始まりました。お母さんはしょっちゅうイライラしてた気がします。好き嫌いをすると、そのご飯は全てゴミ箱に捨てられました。ヒスを起こされて、殴られ、蹴られ、物を投げられ。だからそれがまだ幼少期だった当時は本当に怖くて、嫌いなものも我慢して食べてました。

そんな日が何ヶ月も過ぎ、私は小学生になりました。
お母さんは相変わらず怖かったです。
わたしは、おばあちゃんが大好きで、おばあちゃんの家に行った時はずっとおばあちゃんにくっついてました。おばあちゃんはとても強い人でした。
おばあちゃんも、私にはすごく甘々だったと聞きました。ま、おばあちゃんの話はまた後で話します。

小学生になって、私は新学期開始早々いじめられました。何故なら、他の子よりも明らかに細くて、足、腕に痣がいっぱいあったからです。汚いって言われました。そして、アレルギー性鼻炎持ちだったので鼻水も凄くて、常にポケットティッシュ持ち歩いてました。

菌扱いされ、無視され、トイレに閉じ込められたり、ベランダに締め出されたり、嫌いな男の子から抱きつかれたり、幼虫や、毛虫とかの虫を触らされたり、投げつけられたり。他にも沢山ありました。

人間として見られたことがなくて。
それでも、笑ってました。おかしいよね。

涙もそのうち出て来なくなりました。それでもまだ良心はありました。でも多分もう大分削れてたんだと思います。

母親の虐待もあって、大人に怯えて、怒られる度に体が震え、生きづらい毎日でした。

授業参観の後や、下校時に手を繋いでる親子を見てると、羨ましいなってずっと思ってました。
普通の親子が本当に羨ましかった。


一応お母さんに言って見た事あります。
私もお母さんと手繋ぎたいって。


だけどお母さんの口から出た言葉は「ぶりっ子すんなよ気持ち悪い。」でした。お母さんに甘えられなかったんです。正直1番甘えたかった時だったと思います。


私には居場所なんてありませんでした。


言うこと聞かなかったら押し入れに閉じ込められたり、真冬の中、外に投げ飛ばされたりしました。
お母さんが投げる物も、包丁や、フライパンなどが増え、エスカレートしてました。


小学2年生くらいから、死にたいと一言こぼれてしまったんです。いや、早すぎね。笑


それでも、殴った後に抱きしめてくれるお母さんを知ってて、優しいとこを知ってしまったから、嫌いになれなかったんです。父親に見捨てられた私には、お母さんしかいなかったんです。


何も考えられなくて、宿題もできなかったし、文字も読めませんでした。その度に母親に殴られ、先生からも怒鳴られ。いじめもエスカレート。もう生きた心地しなかったです。それでも、困ってる子が居たら、代わってあげたり、色々振り回されても、いいよ。って言って我慢してました。

私は、学校終わった後に、学童に通ってたんですけど、やっぱりいじめは凄かったです。
お片付けしてたのに、してないと決めつけられて、おもちゃで遊ばせてもらえない時が凄く多かったです。ほぼ1人でお絵描きしてました。
ま、それすらも没収されたんですけどね。

小学校3年生くらいから、人に対して嫌悪感を抱くようになりました。そしてお母さんは家に帰らない事がちょこちょこありました。多分新しい男(今のお父さん)と会ってたんだと思います。

小学校4年生になりました。
私は転校する事になったんです。
お母さんが再婚しました。
まぁ南小から北小に変わったくらいなので
大きな転校までは無かったんですよね。

転校初日。みんな私の事を珍しがってました。
だけど、転校した学校には幼なじみがいました。
お母さん同士が仲良かったので、関わりがあったんです。

やっぱり転校生って珍しいんですね。
めちゃめちゃ話しかけられました。
幼なじみはそれが気に食わなかったのか、
どんな噂を流したのか、先生も味方じゃなくて教えてくれなかったから、未だに謎なんですけど、
またいじめられるようになりました。

「もういいや。」全て諦めたんです。もう無理だと。
それでも家にはいたく無かったし、怒られたくなかったので、頑張って学校に行きました。

そして、そんなある日、自傷行為と出会います。
お母さんの再婚相手から、漫画どれでも読んでいいよ。と、言われたので、適当に漫画本を選びました。

「問題のない私たち。」っていう本に何故か惹かれて、読んでみました。みどりちゃんがすごいメンヘラだったけど、服装がすごく可愛くて、めちゃめちゃ気に入りました。(この時に地雷系に目覚めました)

リストカット。その文字を見て、行動を見て、本当に楽になるのか、好奇心でした。カッターを持って、腕にスっと引く。その瞬間、辛かった物が、スーッと消えたんです。感動しました。楽になれると。

そこからはもうどハマりでした。
毎日毎日、辛い時、いじめられた時、何度も何度も切りました。傷もどんどん深くしないと気がすまなくなるほど依存してました。

お母さんにはバレませんでした。
上手く隠してたんで。

小5の時、私は男の子から石を投げられました。
担任もクソ野郎だったのを覚えてます。
石が目に当たって、痛くて、泣きながら帰りました。
お父さん(再婚相手)のおばあちゃんが、慰めてくれて、その後、先生に怒って電話したんです。

次の日私は呼び出されました。
担任から。そして言われた言葉が、
「私は貴方の言う言葉なんて信じてません」
でした。思考が停止し、結局私が悪い事になりました。

私は、まだ小5なのに、自殺を決めたんです。
遺書を書いて、ロープを準備して、外に出ました。
決めてからはすごくはやかったんです。ロープを縛れるような場所はどこだろうとずっと探してました。
気づいたら夜でした。お母さんとおばあちゃんが、
警察に通報してたみたいです。
はやくしないと。そう思いました。適当に塀の中にあった木をみつけ、ロープの縛る方法なんて分かる訳もなく、適当に首に結んで、ロープも木にくくって、塀から足を離しました。


目が覚めると病院でした。
首吊ったすぐ後、たまたま通りかかった人が見つけて、ロープからおろしてくれてたみたいです。
ちゃんと周りを見てれば良かった。
まぁつった瞬間は、意識も飛んだので、痛みも苦しみもなかったです。

小6に学年集会が行われ、私はみんなの前で自分の思いを言わされました。しんどかったです。本当に無理でした。先生に、いじめの事相談した時、先生は「貴方から言ってくれるのを待ってました」そう言っていました。


それって。いじめ見て見ぬふりしてたって事じゃん

もう全て諦めました。死にたくなりました。
そんな時出会ったのがODでした。
ただの好奇心でした。大量に飲んだら死ねるとテレビで聞いていたので。鼻炎の薬を大量に飲みました。
合計で100はあったと思います。
意識が飛び、真っ暗な世界に1人で眠ってるような状態でした。すごく気持ち良かったんです。

以上
幼少期〜小6。リスカ、ODに出会うまでです。

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