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日本資本主義の魁を作ったはずなのに…

今日は、一人紹介したい歴史上の人物がいます。
それは、受験生にとって、覚えるのが大変な歴史の勉強で受講生の頭を悩ませる人物の一人である田沼意次です。

大抵の方が田沼意次といって思い出せるものは、賄賂政治といったことが多いのではないでしょうか?そんなわけで、今日は田沼意次の名誉を回復させれればと思いを記事にしました。

江戸時代の中期は、戦国時代のように物々しいことはなく平和だったのですが、大飢饉(享保の大飢饉)が起こり食糧難や一揆、打ちこわしが多発し、約100万人の死者が出たといわれいます。そのため暴れん坊将軍ごと徳川吉宗が幕府財政の立て直し方法として税金(年貢)あげました。

その方法で限界が来て田沼意次が新しい政策を考えました。簡単に言うと、日銀もどきを作り国債を発行したり、農耕から商業をメインにして儲かっている商人から前金をとって幕府を立て直そうとした人なんです。

こんな人↓

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彼のやったことを挙げるなら
1同業者組合(株仲間)を幕府公認にしました
2北海道(蝦夷地)開発して、ロシアと貿易を始めました
(貿易は頓挫しましたが)
3北海道開発の結果、特産品干なまこをつくり交易した結果、中国で高級食材になりました
4今まで金銀の重さの価値で取引していたので、額面決まった貨幣を作りました

そうそう、あと彼はイケメンだったとも言われています笑


彼のやったことは日本を黒船来航前に資本主義にかえてしまうものでした。
結局、周囲から反感を買っていて政権交代時、この政策は長続きしない結果で終わっています。

最後にもう一つ彼の名誉を回復させないといけないのは、彼の政策上賄賂が横行しましたが、彼自身が賄賂政治家ではないということです。
色々面白いことをやったはずなのに評価が低すぎるので、皆様是非とも田沼意次に愛の手を差し伸べてもらえればと思います。


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