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ささやかな大切についての徒然【エッセイ】

 最近、一日のうちのいつ頃の時間帯にnoteを書いたらいいのかちょっと悩んでいて、試しにこれからはあかるい時間にぽつぽつと、こま切れでも良いから、書くことにしようかなと思った。夜が深まってから書いてしまうと、書き上がりのタイミング次第では次の日にずっしりと響いてしまうことになるから。

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 友だちの歌ってくれたくるりの「宿はなし」がとても良くて、あたたかさとしんみりした涼しさに浸りながら、その日の夜は過ごすことができた。「創作を思うように楽しめなくて憂さ晴らしに歌いました」と言われたので、「実はぼくもイマイチです」と返事をした。

 それから、「こうやってお互いに弱音を吐けるのは良いよね」と言って、たぶんふたりして笑いながら、しばらくメッセージのやりとりをした。

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 夕ご飯が終わったら、テーブルを拭きあげる。「ここだけはちゃんときれいにやっておくぞ」と思いながらやると、何というか、ぴしっと気持ちが収まる。

 毎日は積み重ならずに、ひとつずつ横にずれていく感じがしている。気持ちを収めて、また収めることを繰り返して、そうして少しずつ広がっていくくらいなのかなあと思う。「やってきた」という感慨が。今にもさくりと割れてしまいそうな、薄くて大きい海老煎餅みたいに。

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 妻と、息子と、日の終わりには何かしらスキンシップをとるようにしている。声をかけて、お礼を言って労いながら、背中に手を当てたり、髪をまるく撫でたりして、少し話す。

 ふれると、やっぱり存在がつよくなる。それから、相手にふれる時の、じぶんのふれ方を、よくよく考えるようになる気がする。ことばと、声と、ふれ方と。大切にしたい人に、それをつぶさに伝える機会は、ささやかであればあるほど、欠かさずあればあるほど、きっと良い。

 じぶんの中に、大切な人への気持ちを発酵させるための場所を、持ち続けて、手入れをし続けていく。

 あなたたちが安心して過ごせるように生きていくぼくでありたいから。そのためにも、不機嫌の穴に落っこちたりしないように、めいっぱいの楽しいことを潤滑油にして、ハンドリングしていかなくちゃね。

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 読んでいただき、ありがとうございました。