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母の短歌

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母が生前に作った短歌をまとめたものです。
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#父

母の短歌 ぼろ屑と思える程の遺品をも

母の短歌 ぼろ屑と思える程の遺品をも

 ぼろ屑と思える程の遺品をも
 捨てかねており七回忌迎う

父が亡くなり、たくさんの毛筆書、日記帳、スクラップブック、レタリング帳、カメラ等が遺された。一周忌が過ぎて、三回忌が過ぎても、そのままの状態が続いた。

断捨離という言葉が言われはじめて、それが強迫観念に近い想念として湧いてくる。取捨選択して不要な物を処分しなければならない。だが、なかなか捨てられない。理由は簡単で、生きているからだ。生き

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母の短歌 庭の山茶花次々と咲く

母の短歌 庭の山茶花次々と咲く

 身に沁みる冬を厭いて夫と見る
 庭の山茶花次々と咲く

小さな庭には、梅や沈丁花や私の知らない木々が植えられていた。そんな中で冬に赤い花をつける山茶花がひときわ目をひいた。ずっと椿だと思っていたが、母のこの短歌を読むとそれが山茶花だったのかと知った。

父は心臓に持病があり、特に冬の寒気は体に堪えた。春が来るのが待ち遠しくて、温かくなると「また一年だよ」と言っていた。また一年、生きられるというこ

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母の短歌 廃棄せんと決めし自転車のペダルにも

母の短歌 廃棄せんと決めし自転車のペダルにも

 廃棄せんと決めし自転車のペダルにも
 深く染みいむ夫の足あと

休みの日によく父子して、自転車のペダルをこいで出かけた。手賀沼辺りのこともあったし、さらに利根川岸まで遠出したこともあった。ある時、父は、漕ぐだけ漕いだら、自転車を倒して草むらにバタッと寝ころんだ。父の心臓がバクバクと踊り出したのだろう。

また松戸の小金原へのこともあった。小金原の先は、昔住んでいた千駄堀が近く、そこには私の生まれ

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