僕の人生 ①

こんばんは、何にもなれなかった人です。本日は僕の半生についてだらだら話そうと思います。のたれ死ぬ前のメモみたいなものなので、こんな人生のヤツもいるんだなと、軽く読み飛ばしてください。


僕の親は、僕が4~5歳のころ離婚しました。原因は父による母への暴力と、母の鬱病の発症…と聞かされています。実際のところ、幼い頃の記憶でその頃の細かい記憶はとても曖昧なので僕はあまり父を覚えていません。ただ離婚した日のことは今でもよく覚えています。

僕らは保育園から帰ってきたボロボロのトタンみたいな材質で作られたアパートで生活していたのですが、いつも保育園から帰ると母は仕事帰りで忙しそうにごはんをつくっているのが日課でした。しかし、離婚したその日は、僕が帰ると母は玄関でこちらを向いて座っていました。そして、気の強い母が弱々しく笑いながら「ごめんね、お父さん、遠くに行っちゃったんだ。」と僕に語りかけました。その時、僕はなんとなく、父がもう帰ってこないことを悟りました。これが、離婚した日の記憶です。

その日よりあと、母と父は家庭裁判所で親権について話をしていたようですが、僕はというとその間、児童相談所のオモチャがある部屋で遊んでいました。母は両親が死去していて天涯孤独状態でしたから、預ける場所は児童相談所しかなかったのです。僕はその児童相談所の中の保育園みたいなスペースにいて、オモチャのなかにはボールを相手のゴールにシュートで有名なあれがあったりしたので、一人パチパチやってたのを覚えています。元父のパチンコ中毒の遺伝子だったのでしょうかね。でもそんなの楽しくもなく、一人くだらない遊びをしながら広めの部屋でボーッと過ごす毎日でした。そんなこんなで夜、暗い面持ちの母と一緒にタクシーに乗り込んで一緒に帰る。そんな日々が続きました。

子供ながら、児童相談所がどういう場所なのかはある程度察しはついていました。親と引き剥がされることもある。この情報は、僕のなかで非常に大きいもので、いつこのまま母が帰ってこない時が来てもおかしくない。でも、抵抗して悪い子になれば、それが理由で捨てられるかもしれない。そんな葛藤があり毎日本当に怖かったです。

そして時は流れ、母が親権者となりました。しかしほどなくして児童相談所の机のある部屋で待たされ、横で、相談している母と先生の姿を見る事がありました。その話し合いの結果、一時期、唐突に児童相談所の子供達なのか、そこら辺がよくわからない年代のバラけている子供達と一緒に過ごし、そしてそのまま数日母は帰ってこないことがありました。その時、僕は子供ながら、なんとなく、棄てられたことを覚悟しました。けれど、棄てられたくなかったので、僕は嫌だ嫌だと言っていた…記憶がうっすらあります。ここはとても曖昧なのですが、いずれにしてもそのあと数日で母の迎えが来て、僕はとても安心しました。この記憶はちゃんとあります。
この後の話し合いのときに、始めて母が僕からどうしても離れないといけない状況になることを、よこで盗み聞きして知りました。このときの僕は知りませんが、母は精神病になってしまい、自傷行為のおそれありで精神病院へ入院することとなっていたのです。なのでその間、結局僕はどこかに預けなければならない、でも、児童相談所は嫌がってる…おそらく相当の話し合いがあったのでしょう。いつもより長いその話し合いの結果、僕は里親のKさんの下に預けられることが決まりました。

このKさんの下での生活を、僕はすごく断片的に覚えています。基本はKさんのところにいる子供達に囲まれて公園で遊んだりごはんを食べたりしたのですが、一人でいることが多かった僕にとって、それはとてもおそろしく、でも新鮮な日々でした。僕はKさんのところにいたこと、その歳に船を使って移動したことは覚えているのですが、その間どこにいたのかまでは詳しく知りませんでした。その歳に僕が新潟県の佐渡という島と神奈川の某所を行き来していたらしい、と言うことは高校の時に始めて聞かされましたので。ただ、そんな特殊な毎日でしたので、Kさんのところの人以外の知り合いや友達なんてできませんでしたが、それでも始めて船で雑魚寝しながら移動した経験や、夜の海に光る生物の観察はとても楽しかったです。

ただ、楽しい毎日のなかでもトラウマとして、ピアノがあります。

僕は預けられてからしばらくした後、「ピアノをやってみたい」とKさんに申し出てやってみたのですが、ピアノを教えてもらう予定の講師の方が「まずは猫踏んじゃったやろっか、これ簡単だから。」と言ってきて、何が何やらよくわからないまま、僕はピアノの鍵盤を叩いてみたのですが、講師の方はそれを見て、「あ~キミセンスないね。やんないほうがいいかもよ。」と僕に一言言ってきたのです。僕はその当時4~5歳で、しかもピアノさわるの始めてですよ?普通もうちょいマイルドに言いますよね?正直めちゃめちゃショックでした。これによって、その後一切ピアノに興味が持てなくなりました。これが、幼い頃の大トラウマの一つです。

そんなKさんとの生活も、終わりの時がきました。母が精神病院を退院し僕を引き取ることになったのです。





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