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冒険から見つけた優しい日本

今日もオッサンの冒険を始めることにしました。
名古屋には「ドニチエコきっぷ」なるものがあります。小遣い減額中と言う極めて最下層で生活する僕には強い味方なのです。名前の通り、土曜日、日曜日、祝日と毎月8日に限り、市内の市バス、地下鉄が全線で1日乗り放題になるお得な貧乏乗車券です。


大人料金はたったの620円、子供料金は半分の310円です。
バスの運転手に「子供用1枚」と声をかけてみると、僕を横目でチラッと見たあと無機質に大人用のチケットを差し出してきた。


「620円です」


チェッ、流石に50歳を過ぎたオッサンは、子供料金では受け付けてもらえないらしい。当たり前なんですが、無反応で返されると途端にめっちゃ恥ずかしくなってしまいます。


流石に休日ともなると乗車人数が多いな。
僕は普段乗ったことの無い路線を全て網羅してやろうとしている。
サラッと周りを見渡しても、僕と同じ冒険をしていそうな人はいない。


ターミナル駅から出発する市バスには多くの乗客が乗り込んで来て、バスが出発し停車場が郊外になるに従い徐々に少なくなって行く。当たり前のことであるが、乗客の一人一人は目的地があるんだなと改めて思う。


人が少なくなると少し寂しさが増して行きます。
混雑してる場所が苦手なのに寂しくなるのはどうしてなのか。


半日市バスに揺られていて発見がありました。
市バスという空間についての考え方です。


ある人は公の場と考え、ある人は自分の部屋と同じように振る舞う。
確かに、市バスの中での振る舞い方について、どうあるべきなのかをしっかり考えたことがなかった。一般的には公共の場のはずです。


座っている方も、立っている方も、行儀が良い方は見ていて気持ち良いですね。一方、他の乗客に興味を持って、ジロジロ眺めていたり、スマホや読んでいる雑誌を盗み見している方もいる。他人に興味を持つことは悪いとは思いませんが、無関心の美学というものがあるだろう。


また、通路に足を伸ばしていたり、飲食をしていたり、お化粧をしている女性もいました。多分、自分の部屋と同じ感覚で過ごしているのでしょう。リラックス空間ではないはずなのに、どのように考えるべきなのか。


ところが、高齢者や妊婦の方、ベビーカーを引いたお母さんへは興味を持つ方が少ない。他人をジロジロ見て興味を抱く一方で、弱い立場の方へは無関心を貫く。あーって感じです。


子供を2人連れたお母さん。
ベビーカーを折り畳んで赤ちゃんを抱っこして乗車してきた。
こりゃ大変だと思い、席を譲った。


お母さんは恐縮していましたが、満面の笑みでお礼を言われると心が和みます。僕がベビーカーを支えてあげていると、近くに座っていた中学生っぽい男の子も近寄ってきた。


「僕の席もどうぞ」


お母さんと一緒にいた小さな女の子に席を譲ったのだ。
「ありがとう」と嬉しそうな女の子。
「ありがとうございます」と恐縮するお母さん。


中学生っぽい男の子は部活か何かの帰りなのだろう。
ジャージ姿でスポーツバックを持っている。
真っ黒に日焼けしている姿は中学生ながらなかなか逞しい。
やるなぁ、中学生。立派だよ、中学生。君は素敵な日本人だよ。


でも、周りの大人たちは未だ見て見ないふりをしている。
でも、きっと分かっているはず。ただ、タイミングを逃しただけなんだ。
ここが日本人なんだよな。ここの勇気がないんだよな。


市バスの中のエチケット。
注意すべきことを挙げるとキリがありません。
エチケットとは丸暗記で覚えるものではないし、規則でもない。
「コミュニケーションを円滑にするための知恵なんだ」と何かで読んだことがあります。ちょっと考えれば分かることなのに、なかなか気が回らず実行に移せない。


エチケットとは覚えるものではない。考えるものです。
そんなことを思い返していたら、降りる予定の停車場を過ぎていた。
まあ、ベビーカーを支えたままの状態であれば仕方ないか。


ふと気づくと、さっきの中学生は既に下車していた。
ちょっとだけ寂しい感じがした。
先に降りたんだね、君。


最後まで読み進めて頂きありがとうございました。
過ごしやすい季節になりました。しっかり季節を楽しみましょう。🍁


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