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視界をひらく

眠れない夜の脳内は忙しい。
アレはどうしよう、ソレについてどうやろう、あの時のアレはどうなってたっけ、じゃあこれからどうしよう、、シュミレーションとイメージをこねくり回し、脳内はビジー状態です。思考整理よりも、むしろ感情の着地点がフワついて、落ち落ち寝てられんから、まず感情を整理せねば!ああ、でも、なんだか動悸がしてきて、いかんいかん無駄に考えてはイカン!と、自らを戒め、寝よう寝ようと努めてみるも、あ、そう言えば、、アレは、、そうだよなぁ、、などと止めどなくグルグルと思考してしまうのです。そんな時は、一旦諦めて脳内を駆け巡る何かを考えるだけではなく、アウトプットして視覚化して、整理するとスッキリしてきたりします。(今まさにスッキリしてきました)

書き始める時、今自分は何を整理したいのか、何を堂々巡りして寝れずにいるのか、自分に問いかけてみて、タイトルを考えていた時、つかえていた引っかかりの答えが、意図せず降りて来ました。

何について考えようが、結論を探そうが、方法論やその過程を分析しようが、問題はその内容ではなく、視界が狭くなっている事、視点の設定ミスがグルグルの原因だと気付きました。その問題提起のそものの解決についてより、問題に対面する自分の立ち位置が近すぎて、全体が見えていないから、細かい事を考えすぎて堂々巡りしていたのだ、と。

蔓延防止のマンボウさんによって、再びやってきた長い休業日。やっと年明けと共に再開できた流し営業。(短い春でした。。三週間後に、また再開出来ることを願って止みません。)1月23日第3回目渋谷lantern定期ソロライブは、時短の時間内に収まるLiveなので、決行されました。緊急事態の時よりは、まだ息ができる状態ではあります。

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何を夜中にグルグルしていたかと言うと、生活のために働き続けるであろう、この先の10年20年への漠然とした不安です。誰もが抱く、ごく当たり前の、よくある所在なさ、心細さ。働けない今としては働き続けられる事こそ、1番の願いなのですが、それと矛盾しているような、疲弊感です。いつまで元気に働いていられるのか、老いて働く事ができなくなったら、どうやって生きていけば良いのか。ごく普通の悩みです。

天職とはっきり自覚している流しのお仕事。楽しくて、やりがいに溢れ、生きがいとも呼べる仕事です。ただ体力的にも精神的にも、なにかと結構ハードでアスリート的要素の強い、足腰丈夫で気丈夫で、骨太でいなければ続けていけないお仕事。正直、この先何十年もやり続けられるのか、考えれば考える程、不安になるのです。9年もほぼほぼ毎日走り続けてきた自分を振り返っただけで、溜息がでます。ようやっとたわ、と。今よりも来年はもっと体力は確実に衰えるし、20年後、ちゃんと仕事ができているのか考えただけで恐ろしく、それに伴い家賃が払えるのか、ご飯を食べていけるのか、疲労が蓄積した時のガンの再発などに着目し始めてしまえば、どこまでも不安に震えて、眠れない夜を過ごす事になってしまうのです。

視界が狭くなっているとき、脳内はより強い感情に引っ張られて、意図せず堂々巡りを始めます。つまり、自分の1番弱いところにスポットがあたるのです。

と、ここで視点を変えて、ぎゅーんとカメラを空高く持って行き、俯瞰して見ると、私という人間の、『仕事人流し荒木ちえ』としての存在にしかスポットライトが当たっていなかった事に気付きました。荒木ちえというキャラクターにだけにスポットを当てて、一人の人間、生物としての人生や物事を、踏まえて考えていなかったために、仕事ができるかできないか、できなかったら人生お先真っ暗みたいな不安に囚われてしまっていたのだと、視界を広げて見て気付きました。この先私が生きていく時間は、当たり前にたくさんあるという前提ですが、全体の割合における『流し荒木ちえ』は、どれくらいを占めるのか、考えてみました。

例えば、職業『経営者』の人は、会社にいる時は当然ながら、プライベートでも仕事について考えていたり、そういった諸々含めて『経営者としての自分』の時間と、家族や友達、趣味やライフワークと向き合って過ごす時間、つまり、社会人パーソナリティと生身パーソナリティの割合は、どれくらいなのでしょう。いくら仕事人間だったとしても、全ての時間が経営者として在るわけではありません。プライベートの時間の中で、パートナーや家族、友人、地元の仲間などと過ごす時間がたくさんあります。どっちがサブでどっちがメインか、考え方は色々あるでしょうが、私はコントロールできない感情が渦巻く方が、より素の自分でありメイン、ある程度理性でコントロールできて、デザインできる自分はサブだと考えています。

私は、私のサブパーソナリティである『流し荒木ちえ』という私を中心に強く絞ってフォーカスして、カメラを寄り気味に思考し過ぎていたのだと、生身メインの方にスポットライトが全く当たっていなかったのだと、タイトルを考えていた時、あっ!と気付きました。前のめりに仕事人間過ぎて、無理をし過ぎて、置き去りにしてきた自分がいたから、身体が悲鳴を上げて病いに倒れたのを、すっかり忘れていたようです。喉元過ぎれば熱さを忘れる恐ろしさ。

自分に向き合い、向き合い過ぎてゲシュタルト崩壊、自分が何なのか、見えなくなっていました。流し荒木ちえ以外の、自分の人生について、もっと真剣に、楽しくて、やりがいに溢れ、生きがいになるような天職のような時間を見つけていけば、働き続ける不安だけに必要以上に囚われてより深い不安に落ちて、眠れない夜をグルグル悶々する事もないのだ、と初めて気づいて、目の前がひらけたように思います。

女として、ただの人間として、ちえちゃんではなく、千愛(本名チアイ)として、生きがいに囲まれる人生を、改めて探し直さなければ、と思いました。図らずもせっかく訪れた再びのマンボウ長期休暇、流し荒木ちえとしてだけではない、時間の使い方を模索してみようと思います。

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可愛い子猫姉妹のお母さんとしての時間だけは、常に確実にありますが。。

マンボウ明け、流し再開はもちろん全力でやりたいですが、それ以上に今年の抱負は、プライベートの充実、好きな事をただ楽しむとか、恋愛にうつつを抜かすとか、婚活とか⁉︎女子である事を思い出せる時間、ついつい全てを仕事に直結して考える癖を改め、夢中になれる感情を抱いて、視界を広く明るくして、限りある人生を慈しむ生き方を模索して行きたいと思いました。

一度は覚悟して全てを諦めた瞬間を経験して、神様から第二の人生をプレゼントされたような気持ちで見上げた、去年の桜。



今一度、過去を振り返り、今を生き、未来を楽しめる自分になりたいと思います。


思考整理のアウトプットにお付き合い下さり、誠にありがとうございました。

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↑拾い物です。

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↑次回Liveフライヤーです。
現在の唯一の収入源です。🥲
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眠れない夜に

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