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天然の美

人が日常生活や非日常生活の中で、何かしらの感情を動かされたとき、無意識レベルでうまく処理され消化されて、いつの間にか忘れていったりする種類のものと、それを何故かしきれない正体不明の分類が難しい微妙な種類のものがあったりします。爪痕を残されたような、いつまでも消えない強い残滓が残り続ける種類のもの、ーー例えばトラウマのようなものーもあります。

その消化しきれない感情の粒子が、心の底にいつの間にか澱のように溜まって行き、ある日突然その塊が現実世界に形を求めて咆哮し、誕生するウズウズ渦渦とした何かしらの衝動があります。たとえば言葉、あるいは行動、また衝動を上手くコントロールできない場合は、苛立ちや暴力という形をとる場合もあります。その衝動をコントロールし昇華できるラインが体内に開通している人は、それをメロディ、歌、音楽、絵、舞踊、パフォーマンス、少し煮詰めて時間をかけてストーリー性の中でその咆哮を魅せる漫画や小説、映画、舞台などなどの『作品』と呼ばれるものを、産み落とす事ができます。

『作品』それは、あくまでも自然発生的右脳先行ナチュラルボーン。頭をひねって考えすぎると気をてらい過ぎたり、押し付けがましいものになったりする場合もあります。あまりにも考えに考え過ぎると、ひねった分だけ逆回転して負のスパラル、スランプというパニック状態に陥ったりします。

よく言葉やメロディが降ってくるという言い回しがありますが、それはまさにナチュラルボーンした瞬間と言えます。いつもボーンボーンと誕生してくれれば世話はないのですが、〆切や様々な事情で早く生まれてくれないと困る場合もあり、ひねり出すみたいな状況に追い詰められる時もあります。考えるなら無理にひねらず素直にコツコツと、衝動を完全にコントロールし、頭の中でも実際にでも、ホワイトボードに衝動のイメージ写真を貼り付けて、相関図を描いて、思考を整理し、左脳で論理的に一つ一つ積み上げて、作品を構築すべし、と、いつも頭では思います。(分かっちゃいるけど、なかなか)右脳の衝動昇華と、左脳の世界観構築、できればその両方をバランスよく持っているのが理想ですが、独りで完結する必要はないので、チームで補い合って作りあげることも大切です。また、作品自体を独りで作れても、発表の場や運営、配給など表舞台にそれを持っていき、多数の人の目に触れる形にするには、やはりチームの力が不可欠です。

作品の中心にはそのチームを惹きつけるナチュラルボーンな衝動の核、共感の嵐を呼ぶ、ある意味暴力的な嵐のような感情の渦渦が存在していて、そこに惹きつけられて、多くの人が関わり、全力を尽くしたくなる衝動が宿らなければ、作品は本当の意味での完成にたどり着けません。作品の核が魅力を失えば、引力を失い、チームは崩壊します。

天然である事、ナチュラルボーンの大切さ。直感を信じて感覚で動いた先に見つかる答えが、いかに無意識で最短距離を選んでいるか、後から振り返ってみると分かったりします。教育現場では、左脳先行の行動における自己コントロールを優先的に指導しがちで、そこから外れるとアウトローと呼ばれたり、根拠の無さを標的にダメ出しのダーツを浴びたりします。1番大切なのは、感情における自己コントロールだと、私は思っています。考えて、計算して、行動をコントロールできても、感情は抑圧されたままだったり、置き去りだったりで、ふとした時に衝動が爆発してコントロールを失い、暴走したり、体調を崩したり、人間関係でトラブったりして、せっかく積み上げてきたものを失ってしまったり、本末転倒、作品どころではなくなります。外面をいくら鍛えても、ふとした衝動に負けて化けの皮が剥がれ、コアの魅力のなさを悟られ、大切な支持者を失う事もあります。

魅力的な作品には、たくさんの支持者が自然と現れます。ナチュラルボーンに反応し、ナチュラルに人が引き合います。その作品が物であったり、音や映像であったり、アーティストと呼ばれる人でなくても、人として魅力的な人はその人自身が作品です。

絵が描けるとか、歌が歌えるとか、特殊技能がなくても、経営者は勿論会社というものが作品だし、営業も事務も子育ても家事も全て、人の手による手仕事は作品です。また、自分自身が作品として生きる事で、多くの支持者を得て結果的に、その作品も成功を納める事に繋がります。

まずは右脳先行の根拠のない直感を開き、自分自身の感情と対峙し、衝動をコントロールし、そのコアを表現したり、作品として昇華する事、そして次にどんな形であれ世に出す事、そして、そこに共感してくれる人を大切にし、チームを大きく強くして行く事が必要なのだと、それが、人と人の間と書いて人間という生き物なのだと、その気づきが、ここ最近降ってきました。ボーンと。

本当に価値があるものだと、周りから魅力を感じてもらえる作品、存在かどうかを、このコロナ禍において、人と人の繋がりがかつての様に密でなくなり、コミュニケーションやな不自由を抱える今だからこそ、強く問われていると思いました。

流せない流しとして、アイデンティティを失って久しい今、新しい形の作品(仕事)を模索しています。そして、私自身の作品としての自分を、深く掘り下げる必要性を、常日頃切に感じて来ましたが、コロナ禍でそれはより一層切実になりました。

コアを支えてくれていた大切な人達が、それぞれの事情で離れて行く結果になったり、私の不徳の致すところで涙の卒業式を迎えたり、またこの度のコロナ禍の影響だったりで、支えてくれていた人達、場所を失ってチーム崩壊の感覚を、今まで何度も味わって噛み締めて参りました。その度に、誰かが手を差し伸べてくれたから、今があります。

今できる事は何なのか。私の作品は、いつ、どんな形で花開けるのか。私自身が深く共感を得てもらえる作品になれるよう、さらに精進して参りたいと、深く深く思う秋の夜長です。

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久々に新作イラストを描きました。その名も『Reborn』再生です。ボーンと描いてみました。

galleryちえにて販売中です。もしよろしければ、お立ち寄りください。↓

絵だけじゃなく、歌もオリジナルを制作中です。ライブ活動もボチボチ始めて参りたいと思います。

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