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[小説] 「鱗」ウロコ〜4話〜6話。病院のベッドで観た夢、其れは現実への入り口だった。


        4話

 『加賀見さん、奥様大変お待たせしました、本日救急外来担当の加藤と申します』


 廊下の長椅子で待ちくたびれたカミさんも呼ばれた。

「本日、平岡クリニックの平岡先生から、頂いた資料も拝見しましたこれから、色々と検査をしないと判らないのですが、現状を精査しますと『肺炎』です。

 結論から言いますとかなりの重症ですね」

「あ、はい、んー」

「肺炎にも色々なタイプがあります、どんな状況なのか詳しく、調べないといけません。

 それから血液の数値も拝見しました、心臓機能の著しい低下だと思われます。其れと、『心不全』も併発しています。酸素濃度が低いですね、恐らく『心不全』の影響からで、90%を切っていますので」


「んー、そ・う・で・す・か」


「加賀見さん、かなり重症です。」


 程なくして、看護師の鈴木さん。

『そろそろお部屋とベッドの用意が出来ましたので、車椅子で移動しましょうか』

 何とか車椅子に乗り、救急外来を後にした。もしかすると、車椅子に乗るのも初めてかも知れず、馴れてない事に加えて『結構スピードが出るんだなー』と、今更のように知った重症患者は、揺れる点滴と酸素ボンベを乗せて、静かで穏やかなエレベーターに吸い込まれた。


 緊急外来の物々しさに比べ、9階病棟は水を打った様に静まり返っていた。用意された部屋はフロアーの一番奥にあり、4人部屋の入り口にはもう既に加賀見啓介と、名前記され、もう一人患者さんの名前も見え、窓側のベットからは暗がりの中に、其れなりに立派な鼾(いびき)が聞こえていた。


 実際この50年、病気らしい病気もなく元気に生きて来たし、本格的に病院にお世話になった事も無い中で、だらだらしながらも、それなりに、一所懸命に生きて来たのだ。

 其れ故に、余計にそう言う風に思うのかも知れない、さりとて、この瞬間これは現実なんだと、紛れも無い事実として受け入れると、ドンドン悪化して行く感じに包まれた。


 部屋に入ってから、周期的に襲ってくる咳が、若干激しさを増していた。タオルで口を塞ふさいでいないと体全体が軋(きしん)で、骨や筋肉にも伝わりマジで苦しかった。

 その周期が少しでも緩ゆるやかになればと、とにかく眠りに就つきたいと、願っていたからで、しかし、眠る事など全く許されず、而も究極の魘(うなされる)と言う事を、初めて味わうのだ。


 部屋の中は真っ暗闇まっくらやみでは無く、程々に暗い程度だろうか。平岡先生の処で着けた酸素マスクより一回り大きいマスクは、限りなく鬱陶(うっとうし)く息苦しく馴れていない事もあり、苦辛(くしん)を増した。


 酸素マスクは、咳をする度にズレるのが気になり、『こめかみ』辺りにマスクのゴムが食い込む事で、其れは其れで相当邪魔者ものだった。しかし『酸素が足りないですね』の一言には、並々ならぬ説得力があり常に口を覆っていないと、実際問題それは大変な事態を引き起こすのだろうと必死だった。

 そこに一人の看護師が点滴を持って入って来た。魑魅魍魎(ちみもうりょう)とする中、ある意味『生命維持装置』の一つかもしれない点滴を、新しく入れ替えていた。


 徐々に落ちゆく滴は、そのミクロの世界で謎のウイルスに果し状を渡して、正々堂々と戦いを求めているのだ。その関係は知悉(ちしつ)的な上で、解決と言う名の未来が待っていると信じるしかない。


『ん———、う———、ア———、ハ———、死ぬ————————』


『加賀見さん明日から色々と検査をしますが、今日のところは、時間も時間なので、とりあえずどんな『肺炎』でも効くような抗生剤を点滴します、少しは和やわらぐと思いますので、あと、こちらは心不全に効く薬ですから直ぐに飲んで下さい!』


 幅にして3、40センチか、ベッドと平行になったテーブルの上に、僅かに冷えが残った麦茶と、南アルプスの天然水が置かれ、気が利くカミさんが用意してくれたのだ。

 徐々に目が馴れ枕元のスマホを見ると優に2時を回っていた。緊急搬送されてから既に、8時間以上経過していたのだ。

 部屋では薄暗い中でも状況を把握しようと、芋虫のようにうねうねと身体全体を動かしては、彼方此方目を凝らすと、見えないなりにも、色々と分かり始めて来た。

 教えられた通りに、ナースコールのボタンを押すと、一人の看護師が勢い良くやって来た。きちんと名札が確認出来た、暗がりの中でも、とても分かり易い名前で、小川遥としっかりと見て取れ、年齢的には27、8歳だろうか恐らく30前だろう。


「加賀見さん、どうしましたか?」


「す、すい・ま・せん、ト・イ・レに行き・たく・て、んー」


 病室に移って最初に発した言葉が『トイレ』だった。


 少し顎を引くと胸あたりに、何本かのケーブルが見えた、身体を這う様に色々な線で繋がれどうする事も出来ないのだ、其れ以外にも点滴の管くだが3本。

『あっ、すいませんすぐに用意しますね』

 2分と経たないうちに運ばれたのが簡易トイレの『おまる』だ。恐らく再会したのは50年ぶり?、それは立ち所に部屋にある家具の一員となり、馴れた口調の小川さんの声が聞こえる。


「加賀見さん、点滴は付けたままでトイレはして下さい。他のは外しますので、ちょっと大変でしょうが、頑張って下さい。加賀見さんは絶対安静なので、総ての事は私達がやりますので」


 ベッドで身体を捻りながら、何とか起き上がろうと動くも、物分かりが悪いこの身体。


『本当にフラフラなんだな……んーん、たい・へん・だー、んーハー、ハ〜マジ・な・の?、んー、うあ————』


 重症患者は普通にベッドから降り『おまる』まで、その距離凡そ90センチにも満たない、その90センチを歩くと言うか、移動する術べを完全に失っていたのである。


 『何で?』緊急外来にいた時は未だ、身体は動かす事は出来たのに、50年以上生きて来たが、歩けないと言うか、動けない現実に相当びっくりしていた。


 未知なるウイルスはたった2日で、急激に繁殖し病魔がその牙を剥いて、とうとう本格的に暴れ始めたのだろうか。


 ベッドから降りるも、足の踏ん張りが全く効かないのだ。そう『立てない』と言う、極めてシンプルな事実に血の気が引き愕然としていたのだ。


 まさに手探ぐりの状況で、3本の点滴を掛けるスタンドを頼りに立ち上がると、見た目は既に90歳の身体か杖が無いと立っていられないと同じで、かなり変な体勢になりながらも、どうにかこうにか無事に、用を足す事は出来た、と、思う。


 しかし過酷な状況はまだ別にあったのだ、行きがあれば帰りもある訳で、再びベッドまで、戻らなければいけないと言う現実が待っていたのだ。子供の頃に聞いた『行きはヨイヨイ帰りは怖い』は違っていた。


『行きも帰りも怖かった』のだ、やっとの思いでベッドに戻ると、心が大声で叫んだ。


『あ————、これは大変だ————』


 通常ベッドから降り、用を足すと言う至って単純作業、即ち、『立ちション!』恐らく1、2分もあれば片付く話だろうと思う。


『立ってられない、まじか————、マジで立ってられないぞ…マジで、ヤバいよ・・・・・・このまま死ぬの?どうなんだろう、どうするの、どうなの』


 その絶望的な状況の中、此これ程に苦しい状況下にいながらも、薬が効いたのか、一瞬眠れる事が出来たのだ。

 睡眠と言う薬を確実摂取したのも束の間、次の瞬間、頭に激痛が走った。それは頭が割れた実物を見た訳では無いが、脳ミソが滴したたり落ちたのでは無いのかと、疑う程の激痛だ。


 頭痛ではなく、激痛としてはっきりと認識されたその痛みに、慄(おののき)を感じるさせた。


『うお—————どうした?頭————?』


 その痛みは特に前頭部から全身の各部に伝わり、これまた頭が割れんばかりの激痛に、底知れぬ恐怖が根を下ろした。


『もうダメだ————こんなに頭が痛いって一体何だろう?』


 本当は別の病気があって、実はまだ検査でそこまで調べは届かず、もしかしたら、それは言いづらい事なのであると。

『やっぱりそうなんだ、死ぬんだ、このまま……』妄想が高速を逆走して、完璧にテンパっていた。


『あー、うー、ハー、ハ〜』


 そう言えば、救急外来にいた時に、色っぽい鈴木さんにお願いして、お水を一口含んだのが最後だったのだ。

 それから水分補給をしていなかった事に、今更のように気付いた。ほぼ10時間もの間唾液だけで賄なっていたのだ。


 テーブルの上には、計量カップとペラが一枚、テーブルにポツンと置かれ、暗がりでも、半透明の容器には50ミリ、100ミリの目盛が見え、その間を10ミリ単位で刻んでいる。


「加賀見さん、これからこの用紙に、飲んだ量と時間を書いて下さいね」


「わ・か・り・ま・し・た……うー、あーす・い・ま・せ・ん、い・ま・物・凄く・喉が・渇いて・いて、うーん、はーハー」


「一遍に沢山飲まなければ大丈夫です、少しずつ体に染み込む様に飲んでください」

「はー、はい、・どの・位・ずつ・です・か・?」


「2、30ミリ位でしょうかね!」


「­­……は・い……」


 水分補給の度に上体を起こすのが辛い。カミさんが用意してくれた、恐らく買った時には冷えていたのだろう、既に常温になった670ミリの麦茶を恐る恐る注いだ。

 その容器に注がれた麦茶は、僅か20ミリ辺りのラインで止まって見せ、震える手で最初の一行が記される。


 20ミリ。4時35分。


 そう、かれこれ遡ぼる事約10時間ぶりの水分補給なのだ!あたかも乾ききった口の中と言う大地、一切の植物の生息すらも許さない、ヒビ割れた大地に一滴の水分、ほぼ調味料に匹敵する麦茶、大さじ1杯その20ミリと言う量を口にしたのだ。

 精神的に少し安心したのか、急に睡魔が押し寄せると、スーッと眠り行く身体を感じた。


        5話


『えー、マジかー、そうなんだ……』

 暗がりに見えた伝票の数字、7を頭に0が5つ見えると、若い啓介は素直に感じていた『えー、なんでこんなに高いの、おかしいでしょー』


 梶浦健もやや呂律(ろれつ)が回らない感じで、3軒目と叫んでいた。啓介は、天現寺でもそうだったようにここ赤坂でも感じていた。梶浦の癖なのか、左手で右手の拳を包み込むように摩さすっているのが、印象的と言うのか少し気になっていた。


 父親は帰えると言うので皆と別れてタクシーに乗利、246は空いていると言えども、中目黒までは大抵たいてい25分位は普通に掛かるだろう、家の前で父親が払おうとした時に、ティッシュの事を思い出し、その事を父親に話すと、「良いよ、それはお前のお金だからさー」

「でもさー、これで払おうよ……」


 そう言って開けると、暗い車内でもはっきりと判る、ピン札が三枚重なり、その一枚を運転席に渡した。


 翌朝、目が醒めると少し頭が痛く具合も悪く、立派な二日酔いの啓介の姿があり、母親が父親を責める声に記憶を辿ると、至って平気な父親は、ゴルフの事でブツブツ言っていた。


「どうかしたの?」

「昨日調子が悪かったから練習場に行くか?」

「今日は日曜日で混んでるから、行くんだったら夕方の方が良いよ」

「どうせ相当、待たされるんだからさー」

 それならばと、練習場の前に其れこそ昨日のゴルフ仲間が年中集まる、ゴルフショップに行こうとなったのだ。


 池尻大橋にそのゴルフショップはあった。昨夜の、赤坂の夜がそのまま続いているような感じに映っていて妙だったが、啓介は新製品のアイアンが欲しくて、暫くそこから離れようとせずに、かじり付いていた。

 父親が『ウチの息子なのよ!』と言って、啓介をショップの人に紹介して回っていると、その中に佐伯と言う人物の顔があり、その人はどうやら、梶浦健の所で働いているらしく、昨日はあまり印象があったような無かったような、寡黙な感じの人だ。


 啓介は、きちんと礼儀正しく『昨日はご馳走様でした、有難うございました』と、若者らしくしっかりとした口調でお礼の挨拶をすると、そろそろ練習場に行こう的な顔の父親が、ショップを出ようとした時に、昨日は居なかった一人とすれ違うと、父親とは比較的仲が良さそうな感じの人で『息子の啓介です』と紹介すると


『おー息子さんかー、齋藤です』


 その声はとても頑丈な声に聴こえ『いつも父が、お世話になっています』と、自然と言葉が出ていた。


 案の定練習場は人で溢れかえっていた。大画面のテレビで最終日を観ていると、番号が思いの外ほか進まずに、結局2時間待たされた挙句、一番ハジの打席になり、それでも、アプローチを中心に1カゴ打つと、汗びっしょりで、着替えのポロシャツを持って来て正解だった。


 季節的には11月の後半だったと思う、ベントレーから3ヶ月程経過していた、齋藤の難しい『齋』の字は、年賀状の記憶の片隅にあり、今週の土曜日にゴルフに行こうと言う父親は、朝早くに齋藤さんの奥さんの運転で、ウチまで来るのが定番になっているらしく、父親は運転が面倒臭いから、息子を連れて行く事で均整が取れている訳で、まー良い親子関係を、築いているんだとも感じていた。



 齋藤さんは、相当昔からやっていた感じのゴルフで、まず40台は打つ事は無いだろう。

 啓介のゴルフを見て、それからと言う物、永久スクラッチだと言って勝ったり負けたりと良い勝負をしていたので、ある意味父親より、仲良くなっていたかも知れない。

 齋藤さんはその仲間内でも、比較的ご意見番的役目の人物なのか、正直斎藤さんの言葉に、少しだけ貫目(かんめ)の遊弋(ゆうよく)を感じていた。


 そんなとある土曜日に、いつものようにラウンドしていると、その日は特別激しい戦いになっていた。


 17番を終えて、啓介1オーバー齋藤さん1オーバーと、のっぴきならない状況になっていた。それは秋晴れの中始まったゴルフも、段々と陽も傾き初め、辺りは薄暗くなって来る中、正直難しさも倍増していただろう。

 やがて迎えた最終ホール、最終18番はショートホールで、距離的には158ヤード位で手前に池がある、れなりに難しいホールで、グリーンが少し馬の背になっていて、乗ったところで、安心出来ないそんなホールだ。


 今日のピンの位置は奥目に切ってあり、啓介は8か9で悩んでいた『よし!決めた!』

 9番を少し立ててフルショットで、ほぼ真っ直ぐに高いボールが打てた。グリーンに乗ったか乗らなかったか、グリーン手前のエッジ辺りに止まり、齋藤さんは躊躇(ためら)う事無く8アイアンを手にした、渾身の8アイアンはピン横2メートルの絶好のバーディーチャンスについたのだ。


 啓介はグリーン手前のアプローチに、色々なクラブを考えに考えた末、安全を期してパターを持つと、手前からも結構早いので、パターと言えども難しい状況だ。

 距離およそ20メートル、啓介のボールはとても良い転がりを見せると、結構強く入ったせいで勢いを増して相当オーバーしたと誰もが思った瞬間、何とカツンとピン真芯に当たり、そのままカップに入り、チップインバーディーをもぎ取ったのだ。

 齋藤さんのバーディーチャンスは、無情にもカップの淵で止まり、秋空の下齋藤さんとのデットヒートは、一打差を持って幕を下ろしたのだ。


 その夜は、齋藤さん案内で恵比寿にある焼き鳥屋に行く流れになり、近々、その一角を大規模開発をして、巨大な複合ビルの建設も予定されている、3人でジョッキの生で乾杯した。


「いやー、今日は参ったねー、やられたな、啓介君に!」

「すいません、まさか入るとは思いませんから……」

「いやいや、運も実力の内だよ!」

「あれ、でもオーバーしてたら、啓介のは多分3メーター位は行ってるね!恐らく」

「うーん、そうかなー……」

「そうだよ!返しも入らないから、啓介が負けてたな!」

 父親も微妙は所にいたと思う。


 店にはお品書きは無く、1本1本、丁寧に、而も食べるスピードに合わせて、焼いてくれるのだ、初めて聞く名前の焼き鳥の部位『へー、こんな名前があるんだ……』


『ここは、旨いよー、ホント東京で一番じゃないかなー、適当にやって!、』

 そんな高級感溢れる焼き鳥を、じっくり味わうと、齋藤さんには子供がおらず、そんな事もあってか、随分と可愛がってくれていた感じが伝わって来た。


『すいません、日本酒いいですかね?少し肌寒いので、熱燗でもいいですか?』

『いいよ!いいよ!熱燗頂戴ちょうだいな!お猪口三つね————』


 啓介は気になっていた事を訊ねようと、父親との話に割り込むタイミングを測ると。

「齋藤さんはどんな、お仕事をされているのですか?」

 少し考える素振りを見せてか、串を串立てに刺しながら話してくれた。

「金融なんだよね……」

「あー、そうなんですか、金融?ですか……」


 金融と言われても何だか困った。大学では名ばかりの経済学部に籍があったし、金融と名がつけば、それなりの世界と言うのか何と言のか、付け加えながら齋藤さんは教えてくれた。

『あまり人には言わないけど、君なら良いか……』それは間違いなく、

 学校くんだりでは、教わらない金融的世界と言うのか、どうなのか、果たして金融なのだろうか。


『啓介君、其れはね難しい世界なんだよ』と、そう言いながら話し始めるると、齋藤さんはの話はとても、分かり易かったが、静かに聞いていた啓介は、ある事が浮かんで素朴に解(げ)せなかったのだ。


『そんなにお客がいるのだろうか……』


 要するに齋藤さんの専門は、一流企業に勤めている人が客体を占めていて、それ以外は一切関わらないのが鉄則らしく、絶対に決めた事は守っていると言っていた。


「要するにこう言う事ですか?」

 啓介は、父親を挟む様に徳利を伸ばす。

「そうだね、まーそんな感じかな」


 要約すると齋藤さんは、基本的に日本人では無く、それは映画の世界丸出しと言うか、信じられない事で埋め尽くされていたのだ。

 その一つに今の時代から割り込むと、既に50年以上も前から、一種のマネーロンダリングを影で支えているような、そんな仕事で、更に言うと違う国の厄介なお金を、日本の困っている人に貸すと言うのだ、そして別の国のお金を貸す際に、円に両替させた後に貸すので、手数料共で『一手間増えるんだよ』とも言っていた。


 而もまとまった額が相手なので『そこは随分と嵩(かさ)が増すんだよね』と、何食わぬ顔で話すもそこから更に、2番手3番手が控えているので、中々抜け出せないし、そこは正に『地獄の世界だよ』と話しながらクッと空けた。


        6話

 

 どの位眠ったのか、目が醒めた瞬間には、頭の激痛はそのままだった。

『んーお腹・が・空いた・か・も』

 それはそうだろう、昼の会議の前に、コンビニのお握り1つと味噌汁、残った唐揚げを1つ食べたのが最後で、彼此18時間ご飯的な物を一切、何も食べていないのだ。

 重症患者は感じた。空腹感があるから死なないのかも知れないと、生きる為には食べるのだからと、勝手に結論付けていた。


 どうやら水分を補給したせいなのか、体内に潜む何かが次は栄養を要求して来たと言のだろうか。

 それでも「あー」と「うー」に到底かなわ無いので考えないようにもしていた。

「す・すい・ません、あさの・ご・ごは・んは、出ま・す・かー、んー」


「加賀見さん!絶食です!」


『絶食?』正直初めて耳にした言葉かも知れない。

日常では、明け方にお腹が空く、こんな明け方に絶望を噛み締めた。


 病室に於いては間違いなく先に入院している方なので、先輩なのである。そうこうしていると、一人の看護師がその先輩の元へやって来たのだ。


『結城さん!お早うございます』毎朝必ず行う血圧と体温を測り、エクセルに入力するのだ。見ているとそれだけでは無く、薬の事や担当医師からの伝言やら様々な、情報収集の場でもあり、朝からテキパキと動いていた。


 水分しか採って無い事もあり、当然トイレもままならず、その距離約90センチは、全く以って縮まる事無く、相当遠くにあるのは変わりなかった。


 それは、かつて一度行った事がある、北欧ノルウエーの地、日本からオランダ、ドイツと、やっとの思いでオスロに到着すると、そこから、国内線の飛行機に乗り換えて、辿り着いた先は、サンネスと言う田舎町、本当に遠くにある街だったと思い出していた。


 6月末のノルウエーは白夜の国。薄紫の空が広がるサンネスの空、時にスーパーでビールや食材を買いホテルに戻ると調理をしていた。

 てっきり地元の人は、ノルウエーサーモンを良く食べているのだと思っていたが、コーディネーター曰く、サーモンは海外に輸出するので、余り食べないのだと言う。


 ある日スーパーマーケットに、買い物をしに行った時に、小海老が山盛りに売っていたのが見えると、パンに挟んで食べるらしく、港近くの屋台に行くと、確か20クローネ位だったと思う、塩味が素朴でこれが意外と旨いのだ。思い出深い味が何とも、空腹が記憶のすみっこまでも、あさり始めたかも知れない。


 廊下の方から、いかにも食事を運んでいる様な、音が聞こえていた。

 生命いのちを繋ぐ上で最も大切な事、それは食べると言う絶対的不可欠な事の1つだろう。それはまた別の『生命維持装置』と呼ぶに相応しく、濃密でとても尊い事だと言える。


 対岸の結城さんの元にも、朝食が運ばれていた。『絶食』は決定事項なので、それ程未練も無く、スパッと諦あきらめる事が出来たが、いざ目の前で繰り広げられている、濃密なる行為は羨やましい限りなのだ。


『んー、お腹・空いた・なー、うー、あー、ハー、ハ〜』


 我々4人部屋には二人しかおらず、それは静かで、それ程バタつく感じは無く、結城さんの朝食が終わったのか、カーテンの中が一段落した気配を感じると、まさにそんな時だった、専用トイレの出番がやって来たのである。


 それはあろうことに、しゃがまないといけないバージョンだったのに加えて、明るい所での其れは絶対的に経験などある訳なく、当然だろう普通は無くて当たり前で、理性が全く持って『恥ずかしいー』と言うしかなかった。


 それよりも悪魔に鎖で繋がれしこの身体で『それ』をする事がどんなに大変な事で、恥ずかしいし大変だし、もーこんな経験は無いし『勘弁してよ————』とマジで言いたかった。


『お早う御座います、本日、昼間担当の北川と言います、宜しくお願いします』


 北川さん『おまる』の確認が済むと直ぐに新しいそれと、取り替えているそんな音が耳に届くとそれはそれで嬉しかった。

 続いて、体温計の音が聴こえると、『38度6分』は、昨日と変わらなく高い。

 それもそうだし、トイレットペーパーが無いのだ。汗ばんだニューヨーク・ヤンキースのTシャツの胸元に手を置きながらモヤモヤしていた。


 『北川さん、ス・イ・マ・セ・ン、トイレの紙を貰えますか?』


 『んー、スッキリした!』


 ハッキリ言って、何でも経験してしまえば、大した事は無い。恥ずかしさなんか、生きる為には何の役にも立たないのが実感したので、大人になったのかも知れない。

 そのかわり、ニューヨーク土産で友達から貰ったTシャツが汚れてしまっている。
 確かあれは2003年だったと思う、もう彼此かれこれ15年も経つアメリカンリーグの第7戦、土壇場でポサダのタイムリーで二塁から激走した55番が、ホームベースで歓喜の雄叫びの如くジャンプした姿が、何とも忘れられない。


 その姿は190センチ95キロの鍛え抜かれた身体が、無重力になった宇宙空間でフワッと止まった、飛行士の様な瞬間だった。


 やがて世界中に配信された、その勇姿に感動した事が忘れられない、結果ワールドシリーズを見事手中に納め、後世まで語り続かれるのだろう日本の英雄、そうなのだ、そんな素晴らしいTシャツを着ているんだから、絶対良くなると信じよう。


 「加賀見さん!後で、担当の医師が来ますので、少しお待ち下さいね」

「んー、あー、はい、うー」そう言いながら、8行目まで書いた用紙をチラッと見た。

「大変なのに良くここまで……」


 「加賀見さん!唐沢と言います、専門は『呼吸器』です、宜しくお願いします、ちょっとお胸の音を聞かせて下さいね」

 いかにも『白い巨塔』と言った風貌の先生、その時頭に浮かんだのは『田宮二郎』だった。

『懐かしい!』彼の人生もドラマの様な最期だったし、それは強烈な記憶として今も残っている。


 長めの白衣を着た唐沢さんと、研修医と思おぼしき20代後半か、半袖ユニホームの先生、声が小さく名前が聞き取れずにいると。


「加賀見さん!どうですか具合は?」

「も・う・最・悪・でこ・んな・感じ・で熱も・・結・構・あって」

「加賀見さん!まだ年齢的に見ても、お若いので大丈夫なんですが」

「はー、えー、そ・それ・で?」

「はっきり申し上げますと、コンディション的に、ご高齢の方だと危篤状態です」

「キ・ト・ク?で・す・か、んー」

「お昼過ぎに、レントゲンを撮りましょうか、時間になったら看護師が迎えに来ますので」


 そろそろお昼なのか、また廊下で大きなワゴンが、ガラガラと糧かてのご飯を運んでいる、そう言えば、対岸の結城さん、未だ顔すら見た事が無いのだが、別にどうでも良いと言えば、そうなんだが……。


 結城さんのお昼も終わりプレートを、看護師の一人が下げようとしていたすると北川さんがニコニコした表情を浮かべてやって来た。


 「加賀見さーん!レントゲンに行きましょう!」後で判った事なのだが、この病院自体病棟が大きく2つに分かれている、今いる9階がA病棟、その隣がB病棟で、それぞれ役目が異なり、人間のほぼ総ての機能に対応すべき、各部門が用意され、千人近くのスタッフが、日々病気と闘っているのだ。


 『いかんせん笑い事ではなかった……。』


 レントゲンを撮る為には、立つなり横になるなり、どっちにしても、一度車椅子から降りなければならないのだ。


 直ぐに終わると言うので、立って撮る事になったのだが、しかしこれが、咳でかなり揺れる、而も息を吸ったり止めたりと、その都度その都度、止まらぬ咳にまずもって困窮していると、『やっぱり横になりましょうか……』艱苦(かんく)の末に撮り終え、やっとの思いで車椅子に身体を戻すと、北川さんの押す手で、来る時と違う風を感じながら部屋に戻った。


 手が油断したわけでは無かったが、初めて50ミリのラインを超えて少し慌てると、今まで、20〜30位しか摂取していないのに、50ミリとはえらい事になったと、体がその量を1口で飲み干せず、初めて2口と言う、新大陸を発見したかの様にゆっくり体全体に染み込んで行くのがリアルに判った。


 50ミリ14時45分。哀しく思えるが50ミリは、居酒屋で良く見かけるお猪口に一杯、そんな分量なのだ。


 何処まで行っても、水は水でしかない変化もしなければ進化もしない。

 たまにはと、ジュースやポカリ的な飲み物などを、欲しいと言う欲求を感じる事も無く、兎に角、病気の正体やウイルスを明らかにして、的確な治療を行う事が最優先なのに、中々先に進まない現状に些か苛ついてもいた。


 現時点で入れる事が出来るのは、調味料に匹敵する水と麦茶と、スマホのメールと着信、その着信とメールも結構貯まっていた。


 そんな中、唐沢先生が、フワッと、いつもよりカーテンを大きく開けた。


「加賀見さん!お胸の音を聞かせて下さい」


「先生、相・当・具・合・が、悪いの・ですが・どう・でしょう・か?」

「先程、血液検査の結果が出て、見ているのですが、やはり相当悪いですね」

「そう・なんで・すか……」

「点・滴は・効いて・いる・んで・すか・ね?」

「そう昨夜からの点滴は、相当強力なお薬なんですよ、どんな菌でも綺麗に跡形もなく殺してしまう位、強いお薬なのでもう少しこの点滴を続けましょうか、通常は2〜3日で良くなって来ると思います」


「あーはい、わか・りま・した、んー……」


 64とはっきり読める数字。スマホに溜まっているメール。全く読む気にもなれずにいたし、体温計がピピッと微かすかに鳴ると、39度8分と、夜中より更に上がっている。


『んー、・やば・いな、もう・少しで・40度だ・んー』

「んー、大丈夫・なの・か・やっ・ぱり・死ぬ・の?えー、マジ?、40・度」

『40度』10代の頃に1、2度見た事がある数字だ、でも昔は水銀で知れせるアナログで、音も鳴らなきゃ正確でも無いだろう、仕方が無い昭和なのだ。


 未熟でも何でも皆輝いていた昭和、生活環境や経済的な面に於いても、現代いま程格差は無かった気がする、中には特別なご家庭もあっただろう、しかし足並み揃えて前に進んでいたと思う『高度成長期』とわ言え体温計は、正確な数値の方が良いに決まっている。

 熱に依る汗なのだろうか、全身から吹き出し滴したたり落ちる感がヤバさを増している。

 何しろ水分補給をするにしても、いちいち測りながらで、分量も僅かでイライラするも、今は忍耐強くただただ安静にするしかない。

 恐らく外は、35、6度で、マジで暑いであろう8月の下旬、

 これほどの熱に魘(うなされ)ながら、息も絶え絶えと言うのに、部屋の中は快適そのもので、当の本人は普段から相当汗っかきで、エアコンが付いていようとも、汗がダラダラ垂たれて来る始末で、それだけでも、本当に有難かった。


 エアコンが無い時代は、一体どうしていたんだろう。扇風機と団扇うちわで賄まかなっていたと言うのだろうか、それはマジでヤバいだろうと頭を過よぎるも

『それにしても熱がー……』

『んー、40度……、ハー、ハ〜』

 憚(はばかり)ながらも、ナースコールを押すと、スピーカー越しに聞こえる声。

「加賀見さん!どうされました?」

「す、すいま・せん熱・が、結構・ある・ので、さっき・測った・ら40度・位・あるん・です」

「そうですか、ちょっと待って下さい!」


 胸の名札には自分で書いたと思われる、沢井礼子と丸身を帯びた字で書かれ、手にしていたのは、即効性が高いで有名な、医療機器がやって来たのだ。

 その名も『氷枕』と言う、昭和の香り漂う名機。


 タオルを巻いているが、ゴツゴツした感触は昭和のスーパースターとして、全国津々浦々何処の家庭にも必ずや、存在していたと思われる氷枕。

 中学生かそれとも小学生以来か、どちらにしても、最近てんで見る機会が減ったと思う、氷枕が今まさに降臨したのだ。


『自衛隊』にも『ペンタゴン』にだって、絶対に無いと思われる秘密兵器だ。


『いや、絶対とは言い切れないかも知れない……』


 秘密兵器の効果なのか判らないが、意識が盆踊りの綿アメの様にふわっとして、どうやら眠りの森にゆっくりとゆっくりと落ちて行く気がしていた、2、3時間と言う少ない時間でも、きちんと眠れることが出来た。


 『ガシャン・・・』ベッドに付随する落下防止の柵に肘がぶつかり目を醒ました。

 ゴツゴツした昭和の機能、本来の主要成分である氷が、完全に消滅し変わり果てた姿になると、かすかな記憶が溢こぼれ落ちた。


 彼此かれこれ27、8年以上前になると思うが、30歳になるかならないかの頃に何度か泊まった事があるニューヨークのホテル。


 確かダウンタウンの方だった記憶している。第45代アメリカ合衆国大統領に就いた『ドナルド・トランプ』さんが、31丁目のハドソン川沿に作った、ヘリポートが『トランプ・エアー』だ。

 ベトナム戦争で活躍したような『アパッチ・軍用ヘリ』を改造して、5、6人が乗れるヘリコプターで、隣の州のニュージャージーを往復する。


 機内は爆音で耳が壊れる感覚が、今でも鮮明に残っている位で、そんな打ち合わせやら撮影と色々済ませて、ホテルに戻ると、スタッフと遅めの夕食をワインと一緒にかっ喰らい、長い1日が終わり、やっとこさ部屋に戻ると、肩までしか無い浅い湯船で微睡むと、午前3、4時位だろうか、疲れ切った体をベッドに預けた瞬間唸った。


『おー、ウオーターベッドじゃん!』


 鮮明な記憶の中の、ウオータベッドと同じで、姿を変えた秘密兵器は、もう秘密でも何でもなく氷が溶け、ただの水が入った茶色のゴムの物体と化していた。


        7話につづく

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