親との苦い想い出を手放してみる

帰省2日目。家族水入らずの時間は静かに流れ、なんてことはなく。母と2人、最近のマイブームや地元の変化について等、あらゆる話題を喧しく話しております。昨日の就寝は夜3時。これは娘上京家庭あるあるではないでしょうか?

そんな今日は母との話について。実は昨日、実家に帰る前に大学時代の友人と会う約束をしていたのです。

久しぶりの再会に話はどんどん盛り上がり、あっという間に22時過ぎ。ここから電車を乗り継ぎ、自宅まで歩いて帰れば23時半近く。母にLINEを送るも既読がつかずで、ふと高校時代の同じシーンを思い出していました。

当時の仲良し3人組で、部活終わりにファミレスに立ち寄り、勉強や部活や恋バナの話題であっという間に22時過ぎ。もともと帰りが少し遅くなることは母にメッセージで送っていたものの、返信が来ず。

一人っ子だからか、母の心配は当時やや過保護気味で、21時代に最寄駅に着こうものなら「女の子の一人歩きなんて危ない!」とタクシー利用必須。報連相も徹底しており、誰と何時までどこに居るのかは毎回連絡を入れていました。

これは母の雷が落ちるであろうことを予想しつつ、とはいえ電車の本数も限られていてどうしようもない為、怯えながら帰宅。

今でも忘れられない家に着いた瞬間。いつもやや甲高い声で怒る母がボソリと「もう勝手にし」と呟き静かな圧を放ち、自身の寝室のドアをバターンと勢いよく閉めるあのシーン。

あまりの怖さに、つい1時間前の楽しい時間も忘れ大泣きしていました。

あれから十数年。帰宅が遅れる内容のメッセージを送り30分程経ってから「はーい、気を付けてね(^o^)/」と顔文字付きのメッセージが。マンションのエレベーターで自宅階まで着くと、なんと笑顔の母の姿が!

実は電車の中で少し怯えていました。もうそんな心配するような歳でもないけれど、相変わらず心配をかけてしまったかな、と。

年月を経て、また異なる環境下で、考え方や距離感、が少しずつ変化していき、「世界一過保護な母」の称号を自らタイトルを下ろしたからこそ、独立した一個人として認めてもらえたのかなとも思います。

相変わらず「通過駅に着いたらLINEちょうだい!」という母と、途中駅でタクシーを捕まえる小心者な娘ですが。昨日夜中3時まで、当時の出来事と恐怖を笑い合えるようになった親子なのでした。



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