大冒険のはじまりだ
令和2年1月31日、ぼくたち夫婦の子どもが産まれた。
めちゃくちゃカワイイ。
まんまと、溺愛だ。奥さんもあきれている。ぼくもびっくりだ。
自分たちの子どもってカワイイだろうなぁ、というのは、産まれる前から、奥さんが妊娠する前から、思ったり話したりしてたけど、桁が違った。これはもはやリスペクトだ。
赤ちゃんは、欲しいときに欲しいと言う。
赤ちゃんは、常に全力で泣き、常に全力で母乳を飲む。
赤ちゃんは、日ごとに新しいことを習得している。
赤ちゃんは、好奇心のままに動く。
赤ちゃんは、常に全力で眠る。
無駄が無い。
おとなは、こうはいかない。考えすぎて、リクツで心をねじ曲げて、本来の自分の望みとは違う方向に行きがちだ。それも無意識に。
赤ちゃんを毎日みていると、例えば、何万人もの聴衆の心をつかむボーカリストの歌のように、例えば、誇り高く生きる者を描いた映画をみたときのように、圧倒的なものを見たときの衝撃を受けるし、いまの自分と対比して、すこし切ない気持ちになったりする。
赤ちゃんというのは、ものすごいのだ。
この最強のいきものは、しかし、親であるぼくらを見て育つのだ。プレッシャーと責任を感じると共に、そんな子どもといっしょに人生を歩んでゆく光栄も抱く。中年期にはいってるぼくだけれど、まだこれから、全く見たことのない景色がいっぱい待ってるのだ。
子どもがきっと連れて行ってくれる。ぼくらはただ、その手助けをしよう。
子どもの可能性は無限大――とは誰が言ったか。これはまじだな。生後9日の現状、ステータスほとんど最強じゃないか。胸を借りるつもりで、今日もおしめ替えさせていただきます。
あとそれはそれとして、ミルク飲んでるとき、決まってこぶしを固く握りしめるのカワイイ。
そして見よ!!
この飲みっぷりを!
このムーブをほとんど産まれたその日に遂行できるのすごくないですか? 誰も教えてないのに! タツジン!!
読んでいただきありがとうございます!!サポートいただければ、爆発するモチベーションで打鍵する指がソニックブームを生み出しますし、娘のおもちゃと笑顔が増えてしあわせに過ごすことができます。