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note書くハードル土中埋め記

 書きたいこといっぱいあるのに、書くこと思いつかない。
 アイデアが浮かんだときは書きたいと思ってても、さあ書こうかとポメラ(子猫サイズの文字書きデバイス)を開いたときには、そのネタそんなにおもしろいか? ってなってる。というか、記事1本書くくらいの気分じゃなくなってる。
 文章を書くには、ノリとテンションが必要なのである。

 でもそれって、それだけ文章かくのに気合いが要るってことでもある。
 いるか? 気合い。趣味の文章書きで?
 なんか、こう、おもしろい文章かこうと思ってるんですよね、ぼくは。それも推敲なしでそのままアップロードできるようなやつを。
 ええかっこしようと思っているのだ。自分に対して。
 下書きだろうと、文字として思考を書き出すからには美しくわかりやすくおもしろく簡潔な文章でなければならぬ、と思っているふしがある。

 なんというか、ひとりカラオケに向いてないタイプだ。聴いてるの自分だけなんだからヘタクソだろうと気にせず気持ちよくなってしまえばいいのに、へんにうまいこと歌おうとする。でも、別にうまくないので、楽しくなくなってしまう。

 ただ、ぼくが読んでおもしろいと思う文章って、うまくまとまってる美文よりも「この人かきたいこと書きたいように書いてるだけだな」と思うような文章だ。

 ひとは皆なんかの偏執なギークなので、そのひとそのまんまの文章が書かれたとすると、それはそのひとだけの文章だけであり、本音なので、1ミリも理解できなくてもなんかおもしろいと思う。
 でも、皆なんやかんや一般常識を身につけたひとなので、表現ひとつとっても何かの類型を踏襲するし、文章全体もなんとなくの一般的な型をなぞることになる。

 ぼくもそうだ。
 なので、ポメポメ(ポメラで文章を作成すること)しようとするとき、書く前から類型の組み合わせの文章になってしまうことがなんとなくわかると、書く意味あるのか? という気分になる。

 ただ、ときどきある。
 強く書きたいことがあり、気分がノりまくっており、打鍵が止まらないときが。
 そういうときって、類型をぶちぬいてハイジャンプすることができる(ような気分になる)。語彙がたりなくてもどかしいから辞書をむさぼって強い表現を乱れ撃つ。結果、自分でもわけわからん文章ができあがる。
 そういうのは自分で読み返してもおもしろい。外からでは見えない自分の中身を他人の目線で見ているかんじ。

 とかいってますが、こういうこと言ってるからハードルが上がって、結局なにも書かないみたいになるのである。
 文章を書くハードルなんて土中に埋まってるくらいが良い。ちゃんと書く必要はない。自分の意外性を見つけなくていい。おいしいごはんや楽しい体験、エモーショナルな光景や愛しい存在の話じゃなくて良い。ためにならなくてもいい。興味をひかなくてもいい。
「あー」って思ったら「あー」って書けば良いと思う。「書くこと思いつかねー」なら、書くこと思いつかねー、だ。

 なんか思いっくそだらだら思考たれながして、あとで投稿前に推敲すれば良いと思う。いや、推敲もしなくていいか。したほうが読みやすくていいと思うんですけど、それもハードルになるかもしれないので除外だ。

 赤ちゃんの描く絵に下書きや清書なぞあるか。赤ちゃんが「まんまんま!」って言ったら「なんて言ってるのかな?」と気になるが、赤ちゃんが「まんまんま!」というとき、伝えたいメッセージは「まんまんま!!」だ。

 生(き)でいけ。最初っから物差しで計ったり、枠におさめようとするな。そういうのは後で必要ならやれば良いのだ。
 おお! なんかノッてきたし、アツくなってきた!!
 今朝近所の公園でけんすいしたら5回できたけどなんかそのあとからずっと左肩がちょっといたいよ! わー!!

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