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自己紹介

自己紹介が苦手だ。道草しか食ってない自分をいつも紹介しきれずに終わる。最適な自己紹介は何か、いつも考えているのだが、私自身仲良くなりたい人は「自己紹介が下手くそなひと」だったりするので、自分も下手くそなままでいいかと思ったりもする。自己紹介をハキハキできる「しっかりした人」はなんとなく周波数が合わなそうでこわい。

とりあえず、私が外向き用にまとめたプロフィールはこんな感じだ。ノートのプロフィールとしても書いてある。

川村真央
イラストレーターなど
1998年生まれ。早稲田大学卒業後、東京のペルシャ絨毯屋でデザインチームに所属、現在は京都の呉服屋にて着物のデザインをしながら個人でも活動している。現在イラストレーターなどしているが最近はラジオの放送作家や脚本家など言葉を使った仕事に興味津々。

こんな感じのイラスト、ここに載っていないこんな感じじゃないイラスト、色々描いている

補足すると、大学では中東イスラーム研究をしていて、主にイラン(ペルシャ)の美術品について研究していた。ペルシャ絨毯屋で働いたのもその興味の延長だ。東洋美術も好きでけっこう学んでいたので、日本美術にも局地的に詳しかったりする。今はちょっとだけ、それが着物のデザインに役立ったりしているので道草も悪くないなと思う。イラストやデザインは、コロナ禍で予定していた留学にいけなくなり、暇すぎてやりはじめた。私をいろんなおもしろい人につなげてくれた、大事なモノである。
好きな食べ物はエンガワとポップコーン。カレイのエンガワとヒラメのエンガワで利きエンガワをするのが夢。

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全て事実で、自己紹介としてはまずまずに見える。何をしているか、何をしてきたか端的でわかりやすい。
なのに、気持ち的に全く自己を紹介できている気がしないのはなぜだろう。もしかしたらこの事実から見えてくる人間像が、比較的ちゃんとしていて意欲的な人間っぽいから、そう思うのかもしれない。本当の自分は全然ちゃんとしていないし、毎日くだらないことばかり考えている。

赤い体育帽をかぶった小学生の列を見てマッチ棒みたいでおもしろいなとか、近所のステーキハウス・ブロンコビリーの前を通るたび同じ語感のどろんこハリーを思い出したりとか、嫌なところにできたニキビに名前をつけたら愛着がわいて憎くなくなるかもしれないと思って名前候補をたくさん出してみたりとか、そんなどうでもいいことばかり考えている。

このどうでもいいを磨いてみたら、何かになるだろうか。みんなが「何もない」と思ってる景色から、とても小さい「変」とか「なんかいいなあ」「なんかだめだなあ」を見つけられたら、私は遠くに行かなくてもご機嫌に生きていけるんじゃないか。

プロフィールの最後にある、「最近はラジオの放送作家や脚本家など言葉を使った仕事に興味津々。 」と書いているのは、こういうどうでもいいことが宝に化けるとしたら、それは言葉がうまく伴った時だろうなと思ったから。同じものでも、言葉次第で宝に変わる。

同世代のみんながどんどんかっこよく、しっかり自立していく中で、「どうでもいい」をかき集めて抱えてしまう自分。考えすぎるほど考えてしまう自分。そういう自分を否定するよりも、まあしゃあないねと受け入れて持っているものをとりあえず調理してみる。これからnoteでは、そんな毎日うるさいくらい考えてしまう頭の中のおしゃべりを書き留めていけたらと思っている。

※自己紹介を事前に見てもらった時、「好きな食べ物を書いて欲しい」と謎のアドバイスをもらったので変なところにねじこんでしまった。いつも気になる人に「朝ごはん何食べた?」とか聞く彼女。そんなに人が食べてるものが気になるんだろうか?私にはない感覚。みんなは気になる人がいたらまず何を聞きたいんだろう。私は起きる時間かな。

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