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#2 心を遣るということ

おケツに入れたスマホのライトが光っているのにきづいた

ホタル
わたしはホタル 

とまわりに誰もいなかったので口ずさみながら歩いた。

本当に大事なことは、重要に見えることの周辺に落ちているという。もしも直視できない時は、その時見えるもの、見れるものを見ればいいんじゃないかと思う。

歌を口ずさんだら、怒られる世界はやだなあと思う。今はみんなが泣いているからと泣くことしか許されない世界はやだなあと思う。周りにいる人が、笑ってくれたらなあと思う。

祈りの形は、それぞれだ。

どんな大きな出来事も、小さな出来事の延長にあるとするならば、日々、目の前の小さな出来事に心を遣ることを、私たちは誰も、バカにできないだろう。

だから、自分がホタルみたいだなと思ってちょっと可笑しくなることも、
いつもとちがう路線に乗って駅の名前を読み間違えていたことをはじめて知ってまた一つ賢くなったと嬉しくなることも、
そもそもその駅を通って正しい駅名を知れたのは、人身事故でいつもの路線が使えなかったかことがきっかけだったという事実にあとから気づいて悲しくなってしまうことも。そういう日々の出来事を、私たちはバカにできないのだ。

新しい景色を見れたきっかけが、たとえ誰かの悲しい出来事だったとしても、私たちはその景色を見た人を責められない。個人的な全てを、世の中の出来事と結びつけて生きるのはあまりに苦しい。祈りは心中じゃないの

一杯一杯になってしまった時は、日々の、小さな目の前の出来事に心を遣る、それだってきっと一つの祈りの形だから。

2023.10.19

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