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5、4、12は、大好きで大嫌いな私の成長線

はじめまして、OKIRIと申します。
この記事と出会ってくださり、ありがとうございます^^*

5、4、12。

それぞれ、小学校6年生、中学校3年生、高校3年生の時にいただいた背番号たちです。

バスケットボールに関わってきた10年間、多分色んな数字を背負ってきたんだと思うんですが、思い出すのはこの3つの数字なんですよね。

卒業前、各区切りの最後に背負う数字こそ、自分の立ち位置であり努力の結果だったから、鮮明に記憶に残っているんだと思います。

■#5番

忘れもしない。

小学校3年生の夏、校庭の南側にある雲梯の下、友達に「一緒にポートボールをしよう」と誘ってもらったのが、私のバスケ人生の始まりで。

その子と特別仲が良かった訳でもなければ、バスケに興味を持っていた訳でもなかったと思う。

なぜ私に声をかけてくれたのかは分からないけれど、私はその誘いに是と応えた。

それからCONVERSEのバスケットボールシューズを買ってもらい、adidasのエナメルのスポーツバックを買ってもらい、毎週土日はポートボールの練習に行くように。

何が楽しかったのかは全然覚えていないけれど笑、練習には毎週欠かさず参加していた。

初めて出た試合で、ディフェンスが上手くできて褒めてもらった事は覚えている。

「頑張る」という意識はなく、ただ目の前の時間に熱中していたし、勝てば嬉しく褒められれば嬉しく、続けていたんだと思う。

小学校最後の学年で貰ったのが「5番」という背番号。

バスケで言うと、副キャプテンという立場になる。

私をポートボールに誘ってくれた友達が4番、キャプテンで。

その子の次に上手いなんて思った事はなかったけれど、その番号を貰えた事は嬉しかった。

5番というポジションは居心地が良かった。

4番の友達は飛び抜けて上手く、その子より上になりたいとは思わなかったし、自分はその次なんだという安住する気持ちで劣等感は1mmもなかったし、小学生だから副キャプテンの役割なんてものも知らず責任は何一つ感じなかった。

バスケが好きで自由に楽しく過ごすのに最適な番号だったんだ。

だから私は、中学高校でもバスケという道を選んだ。

■#4番

中学受験をした私は、私立の中学校に通うようになり、今まで一緒にポートをしていた子たちとは違う学校になった。

私が進んだ中学校のバスケ部は、その年に創設された小さなバスケ部で。

上手な先輩もいたけれど未経験者がほとんどで、ポートボールとは言えバスケットボールに触れてきた私はものすごい勢いで勧誘され、断る理由もなかったのでバスケ部に入部した。

ここが、私の人生の挫折の始まりとも知らずに笑。

私の代は経験者、未経験者合わせて全部で7人も入部し、初めて公式戦に参加するようになった。

顧問は自身も有名校で活躍していたバリバリのバスケ部ウーマンで笑、めちゃめちゃに厳しいものの、教わる私たちは8割が初心者という謎の構成は、どこぞのバスケ漫画のようだった。

しかし、バスケ漫画のような奇跡が起こる訳もなく、公式戦初戦は、

200点超 VS 2点

という結果に。

圧倒的な体格差の相手チームのキャプテンが肘の上に転んで肘に大きな痣はできるし、得点板がめくれませんという200点目は情けなかった。

でも、誰一人、一度も試合を放棄しなかった。

負けるのと諦めるのは違う。

そのボロ負けの悔しさをバネに私たちは卒業まで頑張れたと思う。

結局「公式戦で一勝」が最後まで目標のまま叶わなかったチームだったけど。

そんなチームで背負ったのが「4番」という背番号。

経験者だったからとかではなく、上手かったからでもない。

怪我をしようが休まずに練習に参加し続けた根性と、チームを想う気持ちを評価してもらえたんじゃないかと思っている。

あなたは「自分には声出しくらいしか長所がない」と言うけれど、あなたが落ち込むとチームも落ち込み、あなたが喜べばチームも喜ぶ。あなたはチームの底となって支配しているんですよ。

最後の試合の前に顧問から送られた、今でも大切にしている言葉。

4番という数字は何よりも重く、愛おしい数字だった。

■#12番

私は中高一貫校に通っていたので、高校で部活を変えるという感覚はなく、高校でも当たり前のようにバスケ部を選んだ。

高校では他の中学から来る外進生も多く、ちっぽけな中学のバスケ部の4番なんて歯が立たない存在だった。

特に私のポジションには有能な子が入り、私はスターティングメンバー(所謂スタメン)から外れてしまった。

しかも、4月に腕を骨折するという有様。

同じポジションに上手い子がいるし、スタートダッシュは骨折でコケるし、おまけに私のクラスは他のクラスより授業数が多くてバスケの練習に割ける時間が少なかった。

練習には欠かさず参加したし、朝練も個別で取り組んだけれど、最後まで私はスタメンにはなれなかった。

私がバスケ人生の最後に貰った番号は、「12番」。

ユニフォームのサイズとかの問題もあったにせよ、5番や4番とは程遠い位置の背番号で。

全然、嬉しくはなかった。

けれど、ある子が私の背番号を見て「良いなー!」と言った。

その子は6番を貰っていたので、数字の大小にばかりこだわっていた私には何が良いのか分からなかった。

理由を問うてみれば、「12って自由に、でしょ」と本気で答えられた。

そんな、駄洒落。。

でも、この駄洒落は一瞬で私の心を軽くしてくれた。

だから、私はその背番号を今でも好いている。

4番とか5番とか、憧れの番号ではなかったけれど、友達が意味をつけてくれた12番という数字は、私の思い出を綺麗に飾ってくれた。

自由に、好きで走る。

そんな、バスケを始めた頃の楽しさをぎゅっと詰め込んだ背番号なような気がしたから。

❁❁❁

バスケットボールに関わった10年間。

楽しさも悔しさも苦しさも、色んな本気の感情を経験をしました。

バスケはちっとも上手くならなかったけれど、たくさん、たくさん、人生を教えてもらいました。

この10年は私の人生の土台であり、その背中にあった数字たちは、私の大切な成長線です。

一生忘れたくない想いを込めて、noteに綴らせていただきました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

#背番号のストーリー

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