しーさん

こんにちは。妻と横浜で暮らしています。セキセイインコもいます。 書くことが三度のご飯よ…

しーさん

こんにちは。妻と横浜で暮らしています。セキセイインコもいます。 書くことが三度のご飯よりも好きです。 おしゃべりはもっとスキです 若い頃、東京のフランス料理専門店でワイン係をしていました。 (昔も今もビール一杯で顔が真っ赤になります) 思い出もいつか書いてみたいなと思っています。

マガジン

最近の記事

  • 固定された記事

女の顔

 朝起きると、女が立っていた。 知らない顔だった。 「もう疲れたから、この顔で生きていく」と女は言った。 それで女の名前を思い出した。 「それでは、困る。前の顔でないと戸惑う」そう言うと、女は少しのあいだ黙っていた。 「分かった」と言って、女は部屋を出ていった。 斜めに朝の光が私の部屋を明るくしていった。 サイド・テーブルのタバコを取ろうと、からだをひねったが、空だった。 「73かあ、めんどくさくなるのかな」そんなことを考えながら、着替えた。 キッチンの冷蔵庫から炭酸水のボト

    • 小澤征爾さんのお父様との思い出

      川崎市幸区紺屋町、JR川崎駅からバスで20分ほどにある町で私は生まれ育ちました。 幼い頃、母が隣町の歯医者さんに通っていて、待合室にピアノがありました。 そのおじいちゃん先生は、母の治療を終えると、「ぼう(や)、ぼう(や)」と言って私の頭をなでてくれました。 その時の笑顔は、小学校に入る前の記憶ですが、いまでもはっきり覚えています。 母が、どうして同じ町の歯医者でなく、わざわざ隣町の歯医者さんに通っていたのか。 母は生涯、文学や音楽、絵画など芸術を愛していました。あ

      • 死んだ母と妻と三人で食事を

        私は今、妻と二人、横浜で幸せに暮らしています。 住み慣れた近隣の街から横浜に引越してきたのはちょうど12年前のことです。 それは、3.11、東日本大震災の年でした。 2月25日、午前7時6分、看護師さんが、「今のが最後の一息ですよ」と言いました。 母が亡くなりました。 私は、そのときの記憶をどこかにとどめたくて、 腕時計を外し、左の腕から右腕に付け替えました。 「余命はあと1か月」と医師から告げられたのは、12月のことでした。 毎日病床に通いました。何としても母に伝えたいこ

        • 司馬遼太郎もびっくり

          歎異抄(たんにしょう)という鎌倉時代の古典が、 世界的なブームになっているらしい。 英語訳もあるという。 なんだろう、と思っていたら司馬遼太郎も、この人ひとり生んだだけでも鎌倉時代は偉大だったと言っていた。 その親鸞(しんらん)という仏教のひとが、 あるとき、あるひとに言われたことを、 こぞって全文を暗誦する作家が続出するほどの名文、美文で書かれている。 ※書店で見かけた。店員さんに聞いたら、「かたい内容なのに10万部のベストセラー」とのこと。 本の帯に、「やがて死ぬ

        • 固定された記事

        マガジン

        • 小説(ショート)
          1本

        記事

          家内の親友から今年もまた冬の「太陽」の宝石箱が届きました。 いつもの通り、二人の「葉っぱ」がひと組添えてありました。 心の奥が暖かく、熱くなります。もう十年になります。

          家内の親友から今年もまた冬の「太陽」の宝石箱が届きました。 いつもの通り、二人の「葉っぱ」がひと組添えてありました。 心の奥が暖かく、熱くなります。もう十年になります。

          最近は万年筆や筆から離れて、パソコンばかりに向かって文章を書いていました。 今更ながら、筆はいくら書いても疲れない。癒される。つくづくデジタルはストレス強いンダなあと思いました。 10月ごろから、ソワソワ準備を重ねて、ようやく完成。 嗚呼、神田沙也加さん、、、

          最近は万年筆や筆から離れて、パソコンばかりに向かって文章を書いていました。 今更ながら、筆はいくら書いても疲れない。癒される。つくづくデジタルはストレス強いンダなあと思いました。 10月ごろから、ソワソワ準備を重ねて、ようやく完成。 嗚呼、神田沙也加さん、、、

          ノーベル賞に殺されたのか、川端康成と三島由紀夫

          (1) 川端康成と三島由紀夫の師弟関係は文壇ではよく知られている話でした。 川端康成は、滅多に作家を褒めなかったそうです。 例外のひとりが三島由紀夫でした。 三島由紀夫は、学習院中等科の頃、作品を書いては教師に見せていました。 見せられた教師は、驚愕しました。 13歳の処女作。老成した文章に非凡を感じ「三島由紀夫」のペンネームをアドバイスしたのもこの教師でした。本名の平岡公威(きみたけ)ではなく、普通の感じがする「三島由紀夫」がいいと。 1946年、三島由紀夫、21歳、川端

          ノーベル賞に殺されたのか、川端康成と三島由紀夫

          12月8日にケーキを食べる理由

          こんばんは。我が家では毎年12月は、24日でなく、 8日にケーキを頂きます。 約2600年前、ゴータマ・シッタルタが35歳のこの日に 成仏(仏の悟りをひらくこと)されました。 クルシミマス人生、やがて死ぬのに、なぜ生きるのか。 その答えを発見されて、全人類に宣言された日だからです。 ※ゴータマ・シッタルタは、カピラ城に住まいされていた太子でした。 ※4月8日に生まれられ、35歳の12月8日に仏になられたあと、 80歳2月15日に亡くなられるまで45年間、法を説かれました。

          12月8日にケーキを食べる理由

          「税金は義務である」その間違った思い込みの悲劇

          「税金は義務である」その「信仰」にも似た思い込み。 これが元凶で、日本に民主主義は、昔も今も未来にも存在しない。それは、「日本は民主主義の国」だと、誰も疑っていないことで、絶望に通じる。 ことの始まりは、太平洋戦争(第二次世界大戦)までさかのぼる。 戦費の膨大な出費に、時の政権は何をやったか。 いわゆる会社に「委託料」を支払い、「勤め人」から税金を徴収することを強制した。 今は、当たり前になってしまっている「源泉徴収」と言われるもののルーツだ。 これが、いかに民主主義を破壊

          「税金は義務である」その間違った思い込みの悲劇

          【思い出 小澤征爾さんのお父様との再会】

          私は、川崎市幸区紺屋町というところで生まれました。 母に連れられて隣町の歯医者さん行ったのは、まだ小学生になるまえのことでした。 その丸顔のおじいちゃん先生は、「ぼう(や)、ぼう(や)」と言いながら私の頭をなでて、ニッコリ笑いました。ほんとうにあたたかい笑顔で。あんなあたたかい笑顔は後にも先にもありません。 そして口のなかが、全部、金色に光っていたことも目に焼き付いています。 たしか、小澤先生というお名前でした。 待合室には、おおきな黒い机のようなものが、ありました。 黄

          【思い出 小澤征爾さんのお父様との再会】

          花と聖徳太子

          いつものとおり水のなかで花々の茎に花切りハサミを入れていると、 ふと「何で『水切り』が必要なのかなあ」と単純に疑問に思いました。 さっそくふだんから親しくさせて頂いている仏教の布教使の方にお聞きしました。 「人間でも、血管に空気が入れば、たいへんなことになるでしょう」 どんな科学的な説明よりも納得できました。 広く知られていることですが「生け花」は、日本で最初に憲法をつくった聖徳太子ゆかりの京都六角堂が発祥の地であるとのこと。 その憲法の二番目に 「あつく三宝を敬え。 三宝

          花と聖徳太子

          ウオッカは好きですか/SMIRNOFFの底力

          Do you kike Votoka? This is a marketing job story about Smirnoff.      客が席に着くと、キンキンに凍ったボトルからグラスに酒を注ぐバーテン。 チェイサーはビール。 ルーチンワークに常連客は満足する。 ボトルのラベルは、 SMIRNOFF。 ロシアの酒として知られているウオッカですが、アメリカが多く消費しているようです。 20世

          ウオッカは好きですか/SMIRNOFFの底力

          芥川賞発表の日に寄せて/森鴎外と松本清張の因縁

          昭和の時代、九州小倉で今か、今かと受賞の知らせを待っていた人がありました。 直木賞候補となった松本清張氏でした。 氏は朝日新聞に勤務するかたわら、地方の文芸誌などに投稿を続けていました。 或る時、三田文学から執筆依頼が舞い込みました。 三田文学。中央の雄、東京の三田文学。 地方の文芸誌とは、いわゆる別格です。 しかし、その時の氏には、書く題材がない。 苦心のすえ、幼いころの体験を元とした作品を送りました。 また依頼が来ました。 それに応えた作品が、直木賞候補となったのです。

          芥川賞発表の日に寄せて/森鴎外と松本清張の因縁

          チョコレート菓子、キットカットと英国チャーチル首相

          「キットカット」というチョコレート菓子をご存じでしょうか。 赤いパッケージで、サクッとした触感のチョコレートです。誰でも一度は食べたことがあると思います。 日本で、チョコレートといえば、女性から男性に贈るバレンタインデーが連想されます。 この習慣は、日本では1960年頃に始まったそうです。ただ、最初は男性から女性に贈るというものだったのらしいのですが、 「そういう習慣は日本には馴染まない」ということで、「女性から男性に贈る」という発想に変えたところ、世の中に広まったそうです。

          チョコレート菓子、キットカットと英国チャーチル首相

          ロシアの著名な作家、ドストエフスキーは幸せだったのでしょうか

          世界で最も優れた文学書と言われているのが、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」 文学の歴史上、常に「読むべき本」とランキング上位を占めています。 国家と、個人の歴史と、世の出来事などさまざまなことが、重層的に描かれた大作として知られます。 ハイデッカーと並んで20世紀最大の哲学者と称されるビィトゲンシュタインは、50回読んだと言われています。それでも玩味尽くせないと。 デビュー作は「第二のゴーリキ」と絶賛で迎えられましたが、時の政権に睨まれ、シベリア送りとなってしまいます

          ロシアの著名な作家、ドストエフスキーは幸せだったのでしょうか

          星野源さんと吉岡里帆さんの「どん兵衛」のCMを見ていて思ったこと

          ほんとうのことを言ったり、書いたりすると嫌われる、けれど。 言わずに死ねるか!と昔の作家が言っていました。   明日から来年。 除夜の鐘を、またいで。 なぜ108つ鐘をつく? ご存じの通り、星野源さんと吉岡里帆さんの「どん兵衛」のCMでも出てきたセリフ「ぼんのう」   108の煩悩(私たちを、煩わせ、悩ませ苦しませるもの) 今年は、この「欲」や「怒り」「そねみ、ねたみ、うらみ(=愚痴)」の煩悩(これで3こ、あと105こ)で、苦しんできた。 来年は、そういうことのないように、「

          星野源さんと吉岡里帆さんの「どん兵衛」のCMを見ていて思ったこと