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答えが風に吹かれっぱなしとは限らない

先日とある人物のインタビュー記事を読んでたら、ディランの“風に吹かれて”についての言及がなされていた。
「あれって、“答え”は無い、実体がない、ってことだから好きじゃない」
とのことである。なるほど。
「”答えなどない”、なんて、達観ぶってるだけ。かっこつけて言うことじゃないだろ」「雰囲気で良いこと言ってるだけで、実際はこと足らぬ歌である」、という意見も耳にした。

「風に吹かれるのは、もうやめましょ。聞き飽きたよ」と、と夜空の向こうでファンク標榜するSSWも言っていた。はっきり言わなきゃだめ、みたいな。

これまで(特にJ Pop)いろんな場面で、いろんな事が、雰囲気と都合だけで”風に吹かれ”てきたし、上でのような感想を持つ人もいる、のはわからないではない。桜が散るか風に吹かれるか、みたいな感じで。


でも実はこれ、邦題と、訳され方、そして日本のポップスの中でのこのフレーズの使われ方のせいだ。

ちゃんと聴けてないし、訳せてない。

詩的にしたかったのかなんなのか知らないけど、“答えは風に吹かれてる”というのは受動一辺倒なイメージ限定させる意訳の域を出ず、その意訳が一般的になりすぎて、少なくとも日本語圏での受け取り方をねじれさせている。
「真実とは風の様にとらえどころのないモノである」とか、「最終的には風に吹かれるだけなのです」などと、解釈が無常観に寄りすぎている。元々そういうニュアンスもあるはあるが、日本語に訳されたことによって、日本的情緒に寄せられすぎている。 

“答え”とやらは、ただ無常に“風に吹かれてる”だけなのか。

違うでしょ。

“風に吹かれて”の原題は“Blowin' In The Wind”。ここで気になるのは、blowinの主体である。風が吹いてる、というように、普通に考えればblow(風を吹かせている)する主体とは風そのものなんだけど、ここでは“答え”(”答え”、というよりは”真実”といった方がいいけど、それも解釈の一つ)が風の中で、風の様に、“blowしてる”、って表現になっているのがミソ。本来は、風が、風の中で、blowinしてるはず、のところを、この歌では風の中で“答え”とやらがblowしている。むしろ風の成分の様にして”答え”とやらが”吹いている”。”答え”とやらは”風”が吹く様に”吹いている”、らしい。

だってBlown “by” the wind ではないわけでしょ。(Blown ”by” the windされてたのは例えばU2の”Where The Streets Have No Name”とか )それに、もし“答え”が“風に吹かれて”いるのなら、受け身で“はためいて”いるのなら、fluttering とかwaving in the windのほうがむしろ妥当だ。


僕がこの曲で思い浮かべるのは、“答え”とやらが旗のようにはためきながら風をはらみ、同時に風を生み、巻き起こされるその風と“同化”してるようなイメージである。実際、旗が風の中ではためいている様子を表現する際に”blowing”と言ったりもする、らしい。

とにかく“答え”とやらは、風そのものであり、風を生む主体でもある、と僕は捉えている。というか、そういう気持ちで歌うことが可能な曲だ。そして”風=wind”とは社会とか世界のことで、”answer”がblowin’しているのは、何かしらのチカラとか意志をメタファーしている。という気持ちで聞いたり歌ったりすることができる。まあ、そうできない時もあれど、ありったけのロマンを動員すると、そういう力強い解釈もできる。

抽象的で受動的でふわっとしただけの物言い、には、少なくとも僕には聞こえない。ディランの声だから余計に多面的に聞こえるというのはあるにせよ、“答えは風に吹かれてる”と歌われるこの曲の言う“答え”は、ただびらびらとされるがままに“風の中で吹かれてる”だけではない。もちろん聞き方・歌い方・演奏によっては、“答えは風に吹かれっぱなし”、というイメージも確実に発生するし、元の曲調や歌い方から無常感を聞き取ることも可能だろう。でも、それだけか?

「とらえどころなく風に吹かれているようなもの、“真実”とはそういうものなのです」なんて、いかにも日本人好みな文句というかイメージだから、こういう解釈が広まったんじゃないのか。

見方とか、体調とか、精神状態変われば、もっとこう、「友よ、見よ! 答えはいつだって風の中で吹き続けていたではないか! それを今こそ手にしようぞ!」とか言ってそうな歌、という聞き方をしたっていいんじゃないの?とか思ってたわけです。暑苦しいから僕はそこまでの強い聞き方はしないけど、スプリングスティーンなら、そういう感じで歌わなくもない気が…さすがに無いか。
でもディラン本人、過去にそういう歌い方してたこともあるんじゃないの?

ともかく繰り返すが、「ふわっ、としたこと言ってるだけで大したことない」という意見は、ふわっ、とした解釈を受け手がしちゃってるだけ。それは、ふわっとした解釈に傾きがちにさせる邦題や、訳や、これまでに付着してきちゃったイメージゆえだと思う。そしてそれ以前に、英語の歌を英語の歌として聞くよりも、どうしても訳の方が優位に立ってしまってるからだろう。

他言語歌の解釈とイメージのねじれというのは、きっと昔から繰り返されてきていて、良い悪いではなく、このねじれの所為で他言語の表現というのは面白いわけだし、触れる価値がある。でもだからこそ簡単には扱えない代物だ。メタファーや慣用句やらは額面文字どうりに解釈するものではない、というのは当たり前として、そもそも言葉は社会的文化的コンテクストに応じて変化したり盛衰したりしてゆくわけだから、歌においてもそれは起こり続ける。ならばなおさら、他言語に変換する際には、直訳するだけでは絶対に伝わらないし、理解できないし、表現しきれない。

そもそも。直訳するだけで全容を表現できる程度の作品のいったい何が面白いのか。”世界中のだれでも理解できる作品は素晴らしい” なんて文句は一見美しいけど、上っ面だけ良いこと言ってるだけの思考停止でしょう。むしろ他者同士の間に、容易には理解できない表現が多様にあり、容易には理解できない、ということを理解しようとする多様なベクトルが、無数に行き交うのが芸術の良いところだ。無駄に”正しい”だけの直訳なんてむしろ曲の妨げになる。訳の限界を思いながらも、それでもなおチャレンジしよう、というのが詩訳、詞訳だ。その自覚のない訳なんて、超要らない。

いろんな言語を知らないが、日本語って扱いが難しいでしょう。それはすごく良いことでもあり、厄介なことでもある。いくら日本語で書いた詞が面白くたって、他言語に訳せばそっくりそのまま面白い、などということはありえない。だけど、日本語で考えたものを英語にして歌ってみました、って感じでおそらく作ったんだろう、と想像がつく曲によく遭遇する。そして大半が寒い。99パーセント。英語にすれば何となく体裁整う(英語でやっとけばかっこつくでしょ、みたいな)と思って売ってるのならそれは詐欺だと思う。あまりにひどいと、わかる人によっては、呆れる、耳をふさぐ、身の毛もよだつほどの寒さで気持ち悪くなる、というのは作って発表する側も少しは知っておいてほしい。英語だと本物っぽく聞こえるから、とか、なんかオシャレだから、とか、そういう寒い根拠でやってるものは、バレる人にバレる。渋谷系の頃はすごく寒かった。最近はあの頃ほどにはひどくないが、でも似たようなものは依然としてある。

これは歌だけでなくて、広告や映画やアニメやゲームの世界でも同様で、言語ってものを知らない浅はかな人が書いたであろう、意味不明な横文字が未だに幅利かせてる(Go to キャンペーンとか。文法間違ってるし英語にする意味あんのか)。オキシデンタリズムとか日本の近代史にまつわる根深いあれこれが関係あるのだろう。そのこと自体は今更良い悪いの話じゃないけど、そのせいで粗末なものが生みだされることがあるし、無自覚なうちに紛いモノ掴まされて美意識蝕まれてることがあるんじゃないか。





さて。当のディラン本人はそもそも「風に吹かれて」をどういう意図で書いたのだろう?

この設問はこの際、もう正直、どうでもいい。自分の作った曲はともかくとしても、少なくとも他人に関しては、書いた当人が曲全ての全責任を未来永劫負わなきゃならん、 とは思ってない。ディランも割と感覚で書きなぐって投げっぱなしにしてるんじゃないか。それは無責任だからとかじゃなくて、その方が書く方も聞く方も面白い、と感覚的に確信してるからかもしれない。あるいは、その方がかっこ良く聞こえるから、くらいの程度でしょ。それに、Blowin in the wind という文句も、どこか昔の歌とか詩から引っ張ってきたものだろうし(もしそうでなくて完全オリジナルだとしても、ここではどっちでもいい)、この文句を知った時にディランがどのようにイメージしたか、なんてわからないし、重要じゃない。ただ、ディランが歌うその曲がいろんな解釈を生んだり、いろんなモノの芯を食っちゃうことはすごいし、それは重要なことだ。
いや、ディランはやはりスゴイ、とかいう話ではコレ全くない。というか、最初からディランの話ですらないんだけども。だが曲を書こうとしてる人の中には、どうしてもディランの事を考えてしまう者がいる。”風に...”にだけ特に思い入れあるわけでもないし、ディランの曲の中で好きな曲として意識したこともあまりない。いや、というかディランだけの話じゃないな。やはりすごいなディラン。ディランの話だなやはり。ディランすごいね。ディラン期、何度も来る。来日中止はやはり残念だ。

とにかく、”Blowin’ In The Wind”、っていうのは、「風に吹かれて」、じゃあない。


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