【文章作成の基本】一文を短くする矯正術(追記)
先日、このような記事を書きました。後にnoteに上げたわけですが、しばらくして「あ、あれ書き忘れたわ」と気づきました。今回は、その追記になります。
本当はすぐにこれを書きたかったのですが、先週はいろいろと忙しかったので、時間が経ってしまいました。結果、大変ご面倒をお掛けしますが、先日の同題記事と合わせてお読みください。
では、本題です。
先日の同題記事で、このようなお話しをしました。
いわゆる「ワンセンテンス・ワンメッセージ」の原則ですが、これに対する補説です。
「一文に込めるのを、一つの話題に限る」ために、どうしたらよいでしょうか。それには、「なるべく単文・重文を中心に文章を組み立てる」ということを意識して文章を書くのが得策です。そして、「複文は極力避ける」べきです。
ここで一応、単文、重文、複文の説明をしておきましょう。これは、文構成において主述関係に注目した場合に分けられる文の種類です。小学生で学習する内容ですが、おそらく皆さん、忘れていますよね(特に「大人」の皆さん)。
単文は、主述のセットが一つしかないものです。
例文:私は、ボールを投げた。
これは単純明快ですね。主語は「私は」で、述語は「投げた」です。主述のセットはこれしかありません。ちなみに「ボールを」は対象語(目的語)なので、この場合は無視してよいです。
重文は、主述のセット(節)が複数組あるもののうち、そのセット(節)同士が対等関係にあるものです。単文が同じ資格で結びついている、と考えてもよいです。
例文:おじいさんは山へ芝刈りに行き、おばあさんは川へ洗濯に行きました。
ここには二つの単文があります。「おじいさんは」・「行き」で主述の組みの一つ目、「おばあさんは」・「行きました」で主述の組みの二つ目。この二つの文は、対等の関係として並列されているわけです。
複文は、主述のセット(節)が複数組あるもののうち、その片方のセット(節)がもう片方の節に従属している関係となっているものです。片方の単文が、もう片方の単文の従属した修飾節になっているパターンです。
例文:世界の平和が脅かされる時代に、私は生きている。
「平和が」・「脅かされる」が一つ目、「私は」・「生きている」で二つ目。内、「世界の平和が脅かされる時代に」という節は、述語「生きている」を修飾する従属節です。そのため、この二つは対等関係にはないと言えます。
これは、数式のように「かっこ」をつけるとわかりやすいでしょう。
例文1:
(おじいさんは山へ芝刈りに行き)(おばあさんは川へ洗濯に行きました)
これが重文。
例文2:
{(世界の平和が脅かされる時代に)私は生きている}
これが複文です。
これを前提に、本題の話を聞いてください。
さて、「なるべく単文・重文を中心に文章を組み立てること」、「複文は極力避けること」を意識することで、「ワンセンテンス・ワンメッセージ」は、ほぼ自動的にできます。なぜなら、単文ならば、主述のセットが一つである(=トピックが一つに限られる)ため、ワンメッセージにならざるを得ないからです。
また、重文も単文が連続していくだけなので、さほど複雑な文構成にならず、文構成の乱れを避けることができるため、事実上「ワンセンテンス・ワンメッセージ」が保持されます。(ただし、ずっと連続させると冗長な文になるので、注意しましょう。)
しかし、複文は極力避けるべきです。文構成上「入れ子構造」になるため、「ワンセンテンス・ワンメッセージ」が保持されないのはもちろん、複雑な文構成になります。よって、文構成の乱れを誘発する可能性が高くなります。(もちろん、それによって文章内容もおかしくなります。)
さっきの例文を、改めて見てみましょう。
例文1:
(おじいさんは山へ芝刈りに行き)(おばあさんは川へ洗濯に行きました)
例文2:
{(世界の平和が脅かされる時代に)私は生きている}
例文2の複文は、中かっこの中に小かっこがある構造です。こうした複雑な「入れ子構造」になるわけです。(ここではそんなに長い文ではないのであまり複雑ではないですが、これがより長くなると、哲学書や保険の契約書のようにより複雑化します。)
なお、この例文2を、単文に分けて「改善」すると、こうなります。
例文2の改善案:
世界の平和が脅かされる。そういう時代に、私は生きている。
単文に分け指示語で受けて文をつなぐと、構成が単純化します。このように、単文や重文を中心に文章を展開し、複文を極力避けると、ほぼ自動的に「ワンセンテンス・ワンメッセージ」となり、ストレスなく一文が短くなるわけです。
…こんなに長い記事になると思いませんでした。二つの記事に分けて、むしろよかったかもね(笑)。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?