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働く、ということについて【プロポ】220822

「毎日投稿する」と宣言して、二日目にして、早くも若干心が揺れてしまったので、やっぱり宣言するって大事だなと思った。

今日のあなたは、どんな一日だっただろうか。きっと高確率で、「労働」、または「学業」だの「家庭のこと」だの、やらなければいけないこと、に精を出したのではないだろうか。

というわけで今日は、「労働」、引いては「働く」ということについて、思うことを。

堅苦しく言うと、「働くことの意義とはなんだろうか」。
もう少し、くだけて言うと、「なぜ働くのだろうか」。

どんな意見があったっていいが、ひとまず、これだけは間違いないだろう。
『生きていくための、金を得ること』

うん、間違いない。
金が発生しないなら、普通は、働かない。
なんなら、もっとくれ、足りない足りないとみんな思っている。

金のためと言い切ると、少し薄汚く感じる人は、こう言うだろう。
『社会に貢献すること、この世を良くするということ』

これも、間違いない。
どんな職種であっても、必ず給与が発生するものは、自分以外の誰かを助けている。いま私がこんなとりとめのない文章を書けているのも、誰かがこのパソコンという機器を発明し発展させ材料を採掘しデザインし生産し物流に乗せ販売しインターネット環境を整備しアプリやソフトを開発し享受させ、なんなら私に文章や漢字を教えた人がいてそう言えばさっき食べた食事にも数えきれないほどの人が携わっているだろうしいま飲んでいる酒はうまい。

というわけで、仕事とはどれも例外なく、この世界を支えている。
他の誰かの仕事があって、自分の生活が成り立っている。

しかし、ここまで挙げた二つに加えて、私はこの場でもう一つ、働くことの価値と呼びたいものがある。

それは、

『余計なことを考える時間が無くなる、少なくなる』
ということだ。

なんなら、『暇じゃなくなる』ということだ。

いやいや、暇は必要だろう。むしろ働かないで生きていけるとしたら最高だろう。と思うかもしれない。
もちろん、健康な生活を送っていく上で、適度な「余暇」や「休息」、「空白の時間」は絶対に必要だ。
しかし、人生が『暇』で埋め尽くされるのは、だめだ。
暇は人をダメにする。そう思う。

この世界でしょーもないことをするやつら。
爆音を鳴らして道路を暴走したり、薬物乱用に手を染めたり、なんなら他人を、怨恨という理由ならまだしも、特に意味もなく傷つけたり。

そんなやつらは、総じて、『暇』なのだ。
他に、没頭できるもの、かつ有益なものを見つけられなかった、かわいそうなやつらなのだ。私はそう思う。

あと、暇がありすぎると、大抵の人間はこんな思考にとらわれてくる。
「なぜ自分は生きているのか」
「生きる目的とは何なのか」
「幸せとは何か」

つまり、幸か不幸か、哲学に足を踏み込んでしまう。

現に、歴史に名を残した偉大な哲学者たちは、私の知っている限り、ほぼ
全員が裕福な環境で育っている。私は仏教も哲学の仲間だと思っているが、その祖であるゴータマ・ブッダも、たしか王子かなんかだったはずだ。
他の著名な哲学者や思想家たちも、大抵、王家か貴族か、金持ちだ。
今のように、コンビニに行けばうまい食べ物が手に入る時代ではない。
奴隷のような生活は当たり前。一般市民でも、明日を生きるのに精いっぱいの時代だ。

哲学者たちは、哲学をしてしまうだけの時間と余裕があったのだ。
そして、答えのない問いに日々もだえ苦しんでいた。

もしかしたら、現代は、誰もが哲学者になれてしまう時代なのかもしれない。
生活水準でいけば、100年前の貴族や王族のような生活をみんなしているのだから。

お店に行けば、食べ物が捨てるほど余っている。それを、自分は手に入れられる。家に帰れば、敵襲の心配もなく、あたたかな布団で寝られる。

そう、暇は人を、良くも悪くも哲学者にしてしまう。

だから、きっと、昼間は無心で働いた方がいい。

金にもなり、社会のためにもなり、自分の心の安定のためにもなるのだから。

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