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茶の湯の本たち #75 茶の湯の歴史 (角川ソフィア文庫)  

読み易さ ☆ (三点満点中)
専門的です。面白さは満点
茶の湯の歴史を学問として研究しており、お点前の歴史についても出てきます。
点前が時代によって変化することがよくわかります。

このシリーズについて

茶道初心者が茶道の本を紹介する記事です。ほぼ自分のメモがわりです。
本記事では、茶道の初心者向けのおすすめ本を紹介します。

今回の本はこちら


おすすめポイント

  • 茶の湯の通史を読むことで、発展・衰退が見える。

日本に茶をもたらした人についても

そこで発想を変えて、帰国した遣唐使船で、日本へ茶の実が奈良時代にもたらされたとしよう。そうすれば、先述した季節的条件から、その船と乗船していた留学僧を絞り込むことは、実は案外かんたんにできる。在唐年数の長い留学僧が奈良時代後期の冬に帰国した帰国船を調べてみると、天平勝宝二年(七五〇)に渡唐し、宝亀九年(七七八)十一月に帰国した戒明・善議という二人の僧がもっとも有力な候補として浮かび上がるのである。この船しかないといってよいだろう。従来は有名な僧を候補としてきたから矛盾が生じていた。それに対してこの二人は一般的に名の知られた僧とはいえないだろうが、しかし戒明・善議がともに大安寺僧であることには注目する必要がある

神津 朝夫. 茶の湯の歴史 (角川ソフィア文庫) (pp.48-49). Kindle 版.
  • 今あるお点前のやり方は時代を経るに従って変化していることがわかります。

  • 益田鈍翁、藤田伝三郎、根津嘉一郎など近代数寄者については、茶の湯の発展期を担った戦国時代の堺の商人たちとの共通点も指摘しており、発見があります

もちろん彼らの茶の湯に批判がないわけではない。茶道の伝統からみれば、精神性も修道性も欠如した遊興にすぎなかった。そのため彼らの茶会においては、道具の美術的・経済的価値のもつ意味が決定的にならざるをえなかったともいえる。その点でも、彼らは堺の豪商たちの茶の湯と共通するものをもっていた。

神津 朝夫. 茶の湯の歴史 (角川ソフィア文庫) (p.289). Kindle 版.

茶碗を回して飲むことは実利的な理由があるのではないか

『茶道便蒙鈔』には「茶碗に飲み口あり、とかくに主の右の脇の方を飲み口としるべし」「すすぎ湯を捨つる時、すなわち飲み口のすすげ改まるようにと也」との記述があり、普斎は「いちだんよろしき心のつけ所也」とコメントをつけている。つまり一般的な作法ではなかったが、巧者のふるまいとして、茶碗の右脇から飲むことがあったらしい。ただしこれは茶碗をわざとらしく回すのではなく、自然に持ちかえたのであろう。不巧者には気づかれないことであった。それは建水へすすぎ湯を捨てるときの湯の流れる方向から飲むほうが清めやすいという実際的な理由からの、亭主への気遣いである。茶碗を左に九十度回して飲む、現在一般的な作法の根拠はここにある

神津 朝夫. 茶の湯の歴史 (角川ソフィア文庫) (p.252). Kindle 版.


読んで思ったこと

伊藤園さん、簡潔にまとめてくださっていることを今更発見しました

ありがたし


以前同様の本を読んだ時よりも、自分の解像度が上がっている気がします。
まだ、茶の湯の歴史は、各論を踏まえて、どこまでが関係者でコンセンサスを取れているものなのかは理解できていません。
どんどん新しい資料が出てきて、新しい歴史観がでてくると面白いです。


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