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宮崎県と足利将軍家

 宮崎県串間市は、宮崎県最南端にある都市です。そんな串間市に室町幕府の将軍家と関連があるのです。                       ※記載している内容について間違いがありましたらごめんなさい。

室町幕府について
2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にもでてくる鎌倉幕府崩壊後、足利尊氏が京都に開いた幕府が室町幕府です。
15代の将軍がいました。
詳しくは、調べて見てください。

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宮崎県串間市との繋がり
足利義昭(ぎしょう)の墓と云われる石碑が市内に三ヵ所あるそうです。
義昭が攻められ自刃した永徳寺。
市内の住宅地。
神社の入口。

5代目将軍(息子)が亡くなり次の将軍が決まらないうちに4代目将軍義持(よしもち)(父親)が亡くなりました。直系の子孫がいなかったため、次の将軍を義持の弟たち、義円(ぎえん)、義昭(ぎしょう)、永隆(えいりゅう)、義承(ぎしょう)から「くじ」で決めることになり、義円が6代目将軍義教(よしのり)に決まりました。
義昭は6代目の将軍を決めた「くじ引き」ではずれた人です。

6代目将軍義教は、次第に有力な大名を弾圧したり、独裁的な政治を行っており、義昭は義教のふるまいに危険を感じたため京都を脱出し、各地を転々とし、宮崎まで来ました。
しかし、くじにハズレとはいえ将軍候補の義昭、幕府と敵対する人と義昭が一緒になることを恐れた義教が、各地の人々に義昭を見つけるように指令を出しました。
その後、串間市に隠れて居るところを、島津氏に見つかり、攻められて永徳寺にて自刃しました。

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義昭の墓と云われている。名前を掘ると壊されるので名前はない(案内してくれた永徳寺住職談)

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永徳寺の歴代住職の墓にひっそりと佇んでいる。

案内してくれた永徳寺の住職には、この場を借りてお礼を申し上げます。

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