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母短歌:似ていたくない

味噌汁の豆腐も揚げも似ていない母の切り方わざと似せない/銀猫
みそしるのとうふもあげもにていないははのきりかたわざとにせない

 味噌汁は、家庭で受け継ぐ基本の料理ではないかと思います。

 母は、味を考えれば料理上手の部類に入っていたと思います(今はもう、できなくなってしまいました)。そんな母に、娘として多少は料理を教えてもらったのですが、大人になってから自分流にしたものがいくつもあります。

 そのうちのひとつは、味噌汁。具を小さめに切るようにしました。

 母の味噌汁の具は、豆腐も揚げも他の何であっても、とにかく大きな存在でした。それがふつうだと思って育ってきたのですが、どうやら世間の家庭では、もっと小さく食べやすい大きさに切っているのが通常だったようです。それに気付いたのは、既に大人になってからでした。

 別に、他の家庭と同じようにしたいとか、うちの味噌汁の具はおかしいとか、そう思った訳ではありません。しかし、自分が幼いときからずっと思っていた、「味噌汁って超ダイナミックだ」というものが、具材のサイズによるものだったと気付いただけなのだと思います。

 近頃、実家で母に食事を作ってあげることが増えました。味噌汁を作ることが多いのですが、母はお椀の中に微妙に具を残して食事を終えます。

 もともと、整理整頓が苦手でキッチンをピシッときれいにできない母です。食パンの耳が嫌いで、ちぎって残す母です。恥ずかしながら、きれいに食べきらずに妙な残し方をするのは、若い頃からの癖でした。

 ですが、わたしが作った味噌汁の残し方を見ると、母としては受け入れられない味噌汁なのだろうなあ、と思ったりもします。

 母娘って、微妙なバランスで成り立つものなのかもしれません。

 わたしだけかな?

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