短歌:記念樹願望
実家には墓がありますが、遠方であることや男子がいないこと、ほかにもめんどうくさい問題が山積です。近い将来、墓じまいをしなくてはならないと思いますけれど。
わたしは実家の墓に入ることはない(はず)ですが、この現代、墓とはなかなか厄介なものです。悼む気持ち、弔う気持ちとは別の方向にあるような気がします。
わたしが死んだら、パートナーには桜の木を庭に植えてもらって、花が咲き、そして散る様を愛でてくれればいいのに、などと思っています。そこに遺骨を埋めてほしい訳ではなく、わたしの写真代わりに桜を見て、わたし自身のことはそのうち忘れて、桜だけを思ってくれればいいなあ、と。いつまでも死んだ人間に縛られず、心を放ってほしいのです。
でも、仮にわたしが遺言としてこう言い残したとしても、パートナーは決してこんなことはしないのもわかっています。
墓と同じく、木も厄介だからです。何十年もかけて成長し続け、それは人間の寿命よりも長いものです。老いてから植える苗木を、最後まで面倒を見ることはできません。
さて、わたしが彼よりも長生きすることは想定していないのですが、もしもそうなったらどうしたらいいのか考えておいた方がいいのでしょうか。
今生の別れ、などという言葉がありますが、それなら次の人生で出会ったときに、何を目印にすればいいのかを決めておくことができればいいのに、と思います。
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