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母短歌:思い出らしい思い出もない

川っぺりの左側には祖父母宅居心地探すわたしがいた場所/銀猫
かわっぺりのひだりがわにはそふぼたくいごこちさがすわたしがいたばしょ

 母方の祖父母の家は、川縁にありました。

 物心ついたときには、すでに母の実家に行くのが嫌でした。言葉できちんと理由を説明できませんでしたが、何がしかの不快感を常に感じ取っていたからだと思います。

 もう少し成長してからわかったことですが、いとこたちと比べ、わたしはどうやら孫差別を受けていたのです。事情は、わたし自身のせいなのか、母に由来することなのか、いまだに想像の域を出ません。

 ただ、母はわたしが祖父母に会いたがらないことを許してくれず、事あるごとに訪問させられていました。これも想像ですが、母は母で、わたしが母のきょうだいの子どもたちに比べて扱いが悪いことに気付いていて、それを挽回したかったのではないかと思います。

 とにかく、この川縁の家は、居心地の悪いところでした。

 先日、近くを通りかかったので、すでに祖父母の家ではなくなっているかつての母の実家を見に行ってみました。古い家はなくなっており、新しい家族が新しい家を建てていました。

 ヘッダー画像の川は、神戸に流れる川のようです。祖父母の家の横を流れていた川は、こんなに立派な川ではありませんでしたが、春には桜が咲いたように記憶しています。

 お母さん大好き! と言えるように成長できなかったことにも複雑な思いがありますが、おじいちゃん大好き、おばあちゃん大好き!という感情とも無縁に育ったことは、お世辞にもいい経験だったとは思えません。

 母方限定の思い出です。

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