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INTJの文章を見て思ったことと、文章を書く理由の考察

 INTJと孤独は、切っても切り離せないものだと思う。
 かくいう私も孤独に付きまとわれているうちの一人だ。
 生活していて、何か人と違うと思うことがある。笑いのツボが人とずれていたり、問題への対処の仕方が違ったり、人が楽しまないことに楽しみを見出したり、その反対のことも起きたり。
 珍しく親切心を発揮して物を教えても変な顔をされ煙たがられたり、これまた珍しく、失敗した人に対してフォローをしようと、「こういう考えがあってやったんだよね!」と明るく言ってみたところ、「ごめんそこまでは考えてなかった」と逆に傷付けてしまったり。
 人からのアドバイスを有難く聞き入れられずに「こんなことも分からないor考えたことがないと馬鹿にされているのだろうか」と反骨心を養ったり、「ここまで言えば流石に分かるだろう」と思って言ったことが上手く伝わらなかったり。
 INTJでひとくくりにするな、お前だけだ。という声が聞こえてきそうだ。恐らくそうだと思う。けれどどこかに、自分と似たようなことを考えて悩んでいる人が居るんじゃないか。そんな風に思えてならないので、私は今日も文章に起こす。
 恐らく何かを発信しているINTJの方は、明確に「この世界に存在するはずのどこかの誰か」に向けているのではないか。そんな仮説を立ててみた。

 INTJを自称されている方や、恐らくINTJなのだろうなという方の文章を見て共通して思うのは、文章が非常に読みやすいということだ。
 言いたいことが明白で、かつストレート。時にこの言葉をまともに正面から喰らった人は致命傷を負うのでは? と思ってしまうくらいに豪速球のストレートを投げていることがある。私は大体そういう文章を見ると楽しくて笑ってしまうが。
 特徴の一つに「プライドが高い」ことが挙げられがちなINTJだが、結構な確率で自虐をしている。勿論他者に対して辛辣なことも言うが、自分の失敗談や欠点なども惜しみなく伝えている記事が多い。客観的に物事を見ることが出来るからだろうか。他人のことばかりあげつらって自分のことには触れないのはフェアじゃないという考えからだろうか。いずれにせよ、自虐的表現もユーモラスで面白いし、親しみが生まれる。
 ブラックユーモアに振り切っているところもあるが、私を除いたINTJの方々は総じて面白いことを考えているし、それを表現する力に富んでいるように思われる。包み隠さない分、言葉の一つ一つに力と重みがあり、どこまで遠くに飛んでいっても減衰しない力強さがある。
 以前どこかで見たが、読みやすい文章を書く秘訣の一つに、「誰に伝えるか明確にする」というものがあった。伝える相手を想定していれば、自ずとターゲットに響く文章が完成する。
 なるほど、と思った。私がINTJの文章に触れる中で抱いた仮説と、符合する部分がある、と思った。
 私の立てた拙い仮説だが、良ければ聞いて欲しい。

 冒頭でも述べたように、INTJは孤独と関わりが深いという前提を持ち込ませてもらう。
 何故孤独になるのかと言えば、根本的に周囲と考えが合わないからだ。人付き合いを避けようとするのは、考えを擦り合わせることに疲れたからだ。内に入れた人を大事にするのは、自分と考えが合わずとも否定せず聞き入れてくれる人の価値と、そういう人を見つけることの困難性を痛いほど実感しているからだ。
 これらはINTJのよく言われる特徴と、自分の解釈を組み合わせたものだ。全てのINTJに当てはまるとは思わないが、全く共感されないとも思わない。
 そしてそんな考えの私は、しばしば人と関わるのを諦めたくなるし、人そのものを諦めたくなる。人は本質的に楽をしたがる生き物で、怠惰な生き物なのだと。成長はしたいけれど、そのために試行錯誤を繰り返すことは嫌だという矛盾を抱えている生き物だと。「人間は考える葦」なんてのも今は昔のことで、何にも考えていないんだと。
 こういう諦観を抱きそうになる度、私はどうしようもなく悲しい気分になる。何故かは未だ言語化出来ていないから、申し訳ないが詳説は出来ない。
 そういうとき私は、何かを発信してみたり、受信してみたりする。同じ考えの人は居ないだろうか。私が面白いと思ったことを、面白いと感じてくれる人はどこかに居ないか。
 実はいつも根底にはそんな考えがあったりする。気恥ずかしいので忘れて欲しい。
 
 発信側としての視点は、あまり詳細を語ると格好悪いので、受信側としての話に移ろう。
 INTJの文章を読んでいると、角ばっているなあと感じる。私の文章からも感じられるだろうか?
 そこには受け取り手によって解釈の変わる柔軟性も無ければ、万人が手に取りやすい無難さも無い。針山のように刺々しく、全ての人に攻撃を仕掛けようとする意思は無いが、それによって傷付く人は確実に現れるし、逆上する人も現れるだろう。そんな印象を受ける文章が多い。
 けれど私は、そうした文章で笑い、感激し、「同じことを考えている人が居た!」と、踊り出したいくらいに喜びを覚える。実は昨日も、文章相手ではないがそんな経験をした。
 そして私だけが間違ってた訳じゃないんだと安心する。どこに居るかは分からないけれど、確実に同じ思想を持った人間がこの世界に存在することが判明し、安堵する。故に私は、INTJの文書が好きだ。
 皆がどのようなバックストーリーで発信することを選んだのかは、私には分からない。しかし仮に、私と同じような考えが発端だとしたら。共感でも教訓でも現実を直視させるでもなんでもいい。この世界のどこかに居る、同じような存在に伝えたいがために発信することを選んだのだとしたら、私を除くINTJの文章が読みやすいと感じる事象に説明がつく。
 如何だろうか? 肯定でも否定でも、どんな意見でも構わないので教えて欲しい。

 更に蛇足だが、上記の仮説に当て嵌まる人が居たとして。その中に、発信することで拭いきれない孤独を払拭しようとしている人が居るのなら、私にとってこれ以上に幸せなことはない。


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