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INTJと他者の感情~「人の気持ちが分からない」は本当か~

 INTJは人の気持ちが分からないと言われることがよくあるが、本当にそうなのだろうか。
 自分で言うのもなんだが、私は人の感情を当てるのが得意だ。まあ普段から関わっている人だからというのもあるが、「こういうときはこういう感情だろうな」と推察して、それを披露してみると大体当たっている。自分に対しての感情は悲観的思考もありあまり当たらないことが多いから、客観的なパターン分析によるものだろう。
 あとは表面上は愛想よくニコニコしているけれど、腹に一物抱えているのだろうなと言う人もなんとなく分かる。同じ匂いを感じるからだろうか。それとも笑顔や声音から何かを察しているのだろうか。内向直感は自分でも理屈が分からないことを示してくることが多く、便利だが扱いが難しい。
 少し話せば大体どういう性格か、どういう人生を送って来たのかということもなんとなく分かる。別に心理士の資格があるわけでもプロファイラー気取りという訳でもない。今までの交流経験や読書体験などからパターンを構築してそれを引っ張ってきているだけである。外れることも無くは無いが、大体当たっている。当てるのが楽しくて人と関わっている節もある。

 先日こんなことがあった。
 共に働くスタッフが鼻歌を歌っていて、別の一人が「ご機嫌ですね」と言った。がしかし、私は「この人いま苛立っているな」と感じた。
 結局合っていたのは私の方で、暫く鼻歌は続いた。流石に、鼻歌に怒りを放出していたのか歌でも歌ってないとやってられない気分だったのかは分からなかった。
 こんな風に、誰でも正解を引き当てられる状態以外からでも感情を推察することは可能だ。まあ、怒りを抱くであろう出来事の存在も知っていたから、顔を見ただけで感情が分かるとかそういう訳ではない。
 とにかく、私一人の例で恐縮だが、INTJは人の気持ちが分からないと言われるのは正しくは無いと思われる。
 感情は理解している。十分な観察と、感情の類型の把握さえ出来ていれば誰だって容易だろう。INTJは観察をすることが好きだし得意だと私は思っている。
 では何故人の気持ちが分からないと言われるかと言えば、理解した上でそれらを一切合切まるっと無視していると言った方が正しいのではないかと思う。
 勿論、本当に興味が無くて人の感情に気付かない人も居ることだろう。
 しかし「これを言ったら関係が悪くなりそう」「遠回しに言ったら傷つけてしまいそう」と言った気遣いよりも、「今ここで言わねば損害が大きくなるばかりだ」と感じた瞬間、正論のナイフを振りかざしている人も多いのではないだろうか。少なくとも私はそういう人間だ。
 関係損失によるデメリットの方が大きいと判断した場合はきちんとオブラートにくるんで伝えることにしている。たまに破れているときもあるがしょうがない。

 それともう一つ、気遣いの表し方が違うのではないかとも思う。
 一般的な気遣いが「これを言ったらよくないから、自分の胸の内に留めておこう」とか、「直して欲しいけれど、婉曲に伝えないとだよね」と考えることだとする。
 しかしINTJである私の場合、「出来るだけ感情を排して伝えたら傷付かないだろう」「遠回しに伝えるよりは分かりやすい方が良いだろう」と考え、直接ぶつけることが多い。
 嫌な奴だな、と自分でも思う。優しい物言いが出来たらどんなによかっただろうか。いわゆるYes but法的伝え方の方がいいのは分かっているが、回りくどさを感じてしまう。他の伝え方も同様に。
 それもこれも自分が正論を言われてもあまりダメージを負わないのが原因だと思う。勿論何も感じない訳ではないが、整合性と客観性さえ満たされていればむしろ指摘してくれて有難うという気持ちになる。反対に婉曲で伝えられると、「じゃああのときもこのときも迷惑かけてたんだろうか」などともっと酷い方向に考えてしまいがちだから、やはり正論の方が嬉しくなる。
 自分の考え方を異端とまでは思わないが、半分より多くは無いのだろうなと感じている。しかしこうして正論で殴りつける人間がどこかに居ないといけないのではないか、と自分を正当化して、今後も人の気持ちには見て見ぬふりをしてしまうのだろう。せめて10回に1回くらいは、婉曲的に伝えてみる努力をしてみようか。今度は伝わらなかったりして。

蛇足

 今まで無軌道に更新してきたが、今後は曜日ごとにテーマを決めて投稿することにした。

  • 月水金:自分語り

  • 火木土:本の話

  • 日:小説

ざっくりとこのような形で記事を投稿する予定だ。興味のある方は是非曜日も気にしてご覧頂けると嬉しい。


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