エヴァと歴史とショパン -2021年の私を支えたものたち-
出来事を振り返る尺度として「1年」を単位とすることは、思考停止なのかもしれない。とりわけ、学生時代が過去の思い出になった社会人にとっては。たしかに、企業は財務諸表を最低でも1年に一度作成しなければならない。また、私が今クライアントとしている行政機関は原則単年度主義であるから、1年を一つの区切りとすることの合理性は十分にありそうだ。
ただ、そういう実務上の有用性を脇に置いて、一人の小市民が自分の来し方を振り返る尺度としての1年は、どのような意味があるのか。赤道付近の低緯度帯以外であれば、それは季節が一巡した以上のものはないような気がする。
そう前置きをしておきながら、年末年始が一番落ち着いて時間を取ることができるという消極的な理由で、誰に求められるでもなく2021年を振り返る。今年は転職をしたこともあり、変化の年であると言いたいところだが、変わったのは所属とプロジェクトくらいで、実際の働き方は何一つ変わらなかった。(長時間労働であることも含めて)
1. エヴァンゲリオンとの邂逅、そして没入
1-1. 邂逅
<さようなら、すべてのエヴァンゲリオン>
言わずもがな、今年26年にわたる作品に終止符を打った『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』(以降、シンエヴァ)のキャッチコピーである。
何か壮大なものが終わるのかもしれない。そんな予感がして、空いている時間のほとんどすべてを「新世紀エヴァンゲリオン(以降、旧劇」と「エヴァンゲリオン新劇場版(以降、新劇)」の鑑賞に捧げて、劇場公開に備えた。
哲学的な深淵さを纏った世界観、蠱惑的なキャラクター、挑戦的かつ実験的な描写にすっかり魅了され、寝る間も惜しんで貪り観た。
1-2. 履修から3か月での卒業式
ご承知の通り、シンエヴァを以てエヴァンゲリオンシリーズは終劇した。しかし、一度目の鑑賞では十分な理解を得られず、旧劇・新劇をもう一周し、貞本義行版のマンガを完読、YouTubeでの解説動画も可能な限り観た上で、二度目の劇場へ足を運んだ。そして、シンエヴァがなぜ終わったのか、に関する一定の見識を得た。それは…
庵野秀明監督の私小説的作品であるエヴァンゲリオンは、円環の物語(≒やり直しを繰り返す物語)であること
旧劇時は庵野監督自身が物語の終わらせ方に気が付いていなかったこと
新劇で新たに追加された要素(マリ)は、エヴァを終わらせるトリガーとして最終的に機能したが、『Q』の時点ではどう終わらせることが正しいのか庵野監督自身諒解し切れていなかったこと
円環の物語が終わるためには「成長」が必要であったが、それは作り手自身の内面世界も含めた「成長」であったこと
後知恵ではあるが、終劇に必要な「成長」はエヴァの設定(エヴァの呪縛)を考えれば必然であり、むしろ主人公碇シンジの「成長」を観客も作り手も許容できるまでに26年もかかったのだということ
作品世界に「入学」してから僅か3か月で卒業証書を渡されてしまった。そんな感覚に襲われたが、ここから私は「エヴァの呪縛」に片足を突っ込み続けることになった。
1-3. 尽きぬ関心
シンエヴァは劇場で通算6回観た。構図や画面に書き込まれたディテールに着目することもあれば、印象的なセリフを反芻することもあった。もう終わってしまった物語なのに、まだ戯れる余地は残されている。最後の悪あがきだと分かっていながら、心の趣くままにコンテンツを収集・消費・内在化を繰り返していた。
※ニュータイプ2021年6月号は、監督・声優のインタビューが多数掲載されており、さりげない描写やカット割り、一つ一つの台詞に対する感性を高めるのに大変参考になった。
また、エヴァ世界を堪能する機会は幾度か提供された。一つは、山口旅行で降り立った山口宇部空港のすぐ近くに宇部新川駅があったこと。シンエヴァで「エヴァのない世界」を創ったシンジ君が、私たちと地続きの世界を生きている(かもしれない)と予感させる、あのシーンの現場である。
滞在時間は長くとらなかったが、私と同様、エヴァの呪縛に囚われた人たちが思い思いに写真を撮り、動画撮影に勤しんでいた。エヴァファンたちの聖地巡礼行為は、規則正しく譲り合いの精神に満ち溢れており(撮影スポットに長時間居座るようなマナーの悪い人はいなかった)、その点でも感動体験であった。
極めつけは、国立新美術館で催された「庵野秀明展」である。この展示は、庵野秀明を作ったもの、庵野秀明が作ったもの、庵野秀明がこれから作るものの3部構成となっており、多くの人にとってはシンエヴァに至る庵野秀明の軌跡を追体験するまたとない機会であった。
一度の展示では満足できず、2回訪れた。旧劇の絵コンテからは、事細かな設定を窺い知ることができた他、あの「残酷な天使のテーゼ」の歌詞の原案も見ることができた。圧巻は、シンエヴァの第三村のジオラマである。
なぜ、あのような大掛かりなジオラマを作ったのかは、ドキュメンタリーに譲るが、エヴァ全作品を通じて異質であり、それがゆえに象徴的な第三村の光景は、戦後日本を彷彿とさせるノスタルジアや東日本大震災被災地の傷跡を綯い交ぜにしたような、独特な世界を現出させていた。
遅れてきた「エヴァの呪縛」も時と共に薄らいでいくと思う。けれども、この一年間エヴァという作品と出会い、没入し、作品世界に内在する精神を堪能した私は、本気の創作物に対する向き合い方という面で一段成長できたのかもしれない。
※完全に余談だが、旧劇で使徒が第三新東京市を襲い、それへの対抗策としてネルフが様々な作戦を決行する様子は、変異株の流行とそれへの水際対策、ワクチン・治療薬の開発との相似をつい指摘したくなる。もっとも旧劇は、ノストラダムスの大予言に伴う世紀末観の雰囲気がある中で制作された作品であったが…。
2. コテンラジオに魅せられて
2-1. 耳が空いたらコテンラジオ
だいぶ有名な番組となったため、むしろ知らない人の方が少ないかもしれない。また、直接私に会った人はまた布教活動していると思われるかもしれない。Podcastの様々なコンテンツの中でも、圧倒的に情報密度が濃く、そこから得られる学びも良質な番組。それが、コテンラジオである。
コテンラジオは、1話概ね30分前後の全8話~12話で一つのテーマが完結する番組であり「世界の歴史キュレーションプログラム」と銘打たれている。
テーマは、偉人の一人に焦点を当てるもの(吉田松陰やエリザベス1世)、一つの時代や出来事を掘り下げるもの(第一次世界大戦)、大きな切り口で世界史を概観するもの(お金、教育の歴史)と大きく3分類されるが、ここ最近は人物一人に着目する回であっても、その人物がどのような時代に生まれたか、なぜ彼/彼女は歴史に名が残ったか、その人物の意図から離れてその後の歴史はどのように展開していったか、といったことを考えられるようなコンテンツになっている。
小学校の社会科で歴史が始まる前から、歴史を学ぶことが好きだった私にとって、この番組は福音であった。それは、歴史を学ぶという営みが、単なる知的好奇心を満たすだけでなく「人間理解や社会の理解に有用である」という私が社会人になってからまさに思っていたことを、私などよりも遥かに説得力を持って示し続けてくれていたからだ。
日々目まぐるしく流されるニュース番組はそこそこに、移動中やランニング中の多くの時間をコテンと共に過ごした。(そして、現在は月額数千円を支払うコテンサポーターにまでなっている)
2-2. 原点回帰-そのための松下村塾訪問-
コテンラジオの第一回テーマは、吉田松陰だった。幕末好きの私にとっては、既知の情報だったが、日本の歴史に彼がいたという事実自体が奇跡であることを再確認し、勇気を与えられた。その後に収録された「高杉晋作」回は、父と松陰の間で葛藤を繰り返す晋作の人間味がヒシヒシと伝わる語りであった。
何度か番組を繰り返し聴いている内に、幕末維新史を彩った草莽の志士の学び舎、松下村塾に自然と足が向いた。
松下村塾は圧巻だった。学びの場は、イメージそのままに残されており、ここで確かに松陰先生と塾生たちは本を読み、激論を交わしたであろうことがありありと想像できた。松下村塾の向かいには資料館があり、当時松陰が使ったであろう教材が多数保存されていた。
吉田松陰は、人の性格と才能を見抜く才に長けていたという。その一端を、塾生に宛てた手紙に見出すことができる。特に高杉宛の手紙は数が多く、コテンラジオでも紹介された次の一節は胸を打つ。
※私のおすすめは『留魂録』。死が迫る松陰が獄中で認めた檄文でありながら、人生観を問い直す内容ともなっており、人生を四季の移ろいに例えた名文は特に終末医療(ターミナルケア)の場でも用いられているという。
コロナ禍という制約もあり、一人でひっそりと萩市内を巡ったが、得るところの多い小旅行であった。
3. 東京五輪よりショパンコンクール
東京開催決定に湧いた夏季五輪は、開催の可否/是非に始まり、キャンセルカルチャーが物議を醸すなど、実際の競技以外に注目が集まり興ざめしてしまった。ハイライトで選手たちの活躍は追っていたが、白熱観戦とは程遠かった。
巨額の資金を集め、世界中の様々な競技の選手を一か所に集めるという開催スタイルは、時勢も相俟って機能不全に陥っていたように思われた。それは、開催国(日本)のガバナンス問題をも浮き彫りにしており、閉会後には「高い勉強代と思って総括・復習すべき」との言説が目に付いた。
東京五輪に比べてその推移を見守っていたのが、第18回ショパン国際ピアノコンクールだった。
本コンクールは、反田恭平さんと小林愛実さんが、それぞれ2位・4位を受賞する等、日本でもニュースとなった。ただ、今回のコンクールで注目すべきは全コンテスタントの予選から本選までの全演奏をYouTubeや専用アプリで鑑賞できる点にあったと思う。
それは、実際にポーランドワルシャワの会場にいる人のみならず、世界中の目がコンテスタントの演奏に注がれる環境であることを意味する。コンテスタントの評価と採点に不可解な点があれば、コンクールの公正性に疑義が呈される可能性がある。そのような緊張感の中で開かれたことが、画期的であったように思われた。
コンクールを巡っては、「ショパンらしさ」とは何かに関する答えのない問いが提起されることは恒例である。そのような中、演奏技術の高さを示すことはもちろん、曲をどう解釈して弾くかというコンテスタントそれぞれの試行錯誤に注目をしていた。
※第17回までのショパン・コンクールがどのような経緯を辿ったか。その軌跡を垣間見ることができるエッセイ風の記録。
※あのリストが記したショパンの伝記。ショパンの代名詞であるノクターンやマズルカの理解がより進む気がする。下の「ピアノの森」は、ショパンコンクールに挑む天才少年「一ノ瀬海」とその才能を見出したピアニスト阿字野壮介の物語。アニメ版の阿字野の演奏は、反田恭平によるもの。
コンクールが進む中、私自身もいくつかの曲を練習してみたり、ショパンの生涯に関して調べてみたりした。そのような営為を通じて、今なお愛される作曲家に思いを馳せる贅沢を味わえた2021年だった。
4.最後に
2021年は、新たな環境への適応に多くの時間が割かれ、想像以上に疲労が蓄積した年となった。その疲労を束の間忘れさせてくれたのが、音楽であり、人文学からの学びであったり、あるいは映画・アニメ等の創作物だった。
2022年以降、これらのインプットを仕事以外の方面でもアウトプットできればと思っている。いつになるかは分からないが、自分のペースで創作する。そんなことにもチャレンジできればと思った2021年であった。
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大学院での一番の学びは「立ち止まる勇気」。変化の多い世の中だからこそ、変わらぬものを見通せる透徹さを身に着けたいものです。気付きの多い記事が書けるよう頑張ります。