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嘲笑というネタとモノマネは同じか?

昨日は『ナカイの窓』という番組での放送を通じて感じたこと、また、その件で見えてきた世間の反応への疑問を書きました。
その中でもしばらく考えさせられた一つの意見がこちらです。

「外国人が話す日本語をマネして笑いをとるのと、コンビニで働く外国人を笑ったのと何が違うのかわからない」

言われてみれば確かにどちらも笑いの対象は「外国人」です。何が異なるのでしょうか?


母国語訛りのある日本語を話す 外国人のマネ

肌を黒く塗りたくって hip-hopを歌う外国人のマネ

金髪に付け鼻をして カタカナの日本語を話す外国人のマネ

子供の頃からテレビで一度は見てきた光景です。

ただそのときはあまりにも幼く、知識不足で、当たり前のように映っていたから気付かなかったものの、不快に思っていた人たちが確実に存在していたはずです。

当時は新聞やテレビといったメディアしかなく、ネットやSNSが登場したばかりだったこともあり、少数派の意見は自らが求めなければ、見付けることができなかったと思います。

長きに渡ってテレビというメディアに「〇〇人=××な人」といったステレオタイプを植え付けられ、大人になっても疑問に感じず、感覚がマヒしてしまった人が少なくないのではないでしょうか?


それから、有名な日本人の歌手や俳優の過剰なモノマネをして、本人から反感を買うということもしばしばみられることで、モノマネを快く思わないのは「外国人だから」に限ったことではないはずです。

しかし、マネされることで知名度があると認識される、更に多くの人に知ってもらえるといった有益もモノマネの対象者には生まれます。

また、完璧にマネするということで、そこには対象者をリスペクトする気持ち、つまり「敬意」が込められているから、見ている視聴者に不快感は生じないのでないでしょうか?

今回の番組の一件ではどうでしょうか?
外国人に対する敬意はあったのでしょうか?

多くの人からあげられたのは「日本語を話す外国人をバカにしている」といった声でした。

番組の演出だったのかもしれませんが、慣れない日本で懸命に働く彼らの現状を知っているのなら、あのような内容で笑いは起きなかったはすです。


日本に暮らす外国人に限らず、今まではあまり触れられてこなかった障害者や貧困者、移民、性的マイノリティー、海外にルーツを持つ子供など、世界的に目が向けられるようになり、日本も「多様性」について考えていかなければならない時期だと思います。

何でもかんでも差別だ、配慮しろだので最近のテレビはつまらない!という方も多いと思いますが、今までは時代が時代だったんです。

また、無知なままでいるのと、意識するようになるのとでは、また新たな発見があるかもしれませんよ?


昨日書いた記事も 合わせて読んでいただけると嬉しいです。
▽「ナカイの窓」から見えた日本社会https://note.mu/silkyblossom/n/na897223094e7

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