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雑感(下)

以前に何かで似たような事を記述した記憶があるけれども、仮に人類個々の生い立ちや心理による影響での争いを無くす事が出来たとしたら?

争いは基本的に心理のすれ違い。親子でも夫婦でも恋人でも友人でも仕事でも国家間でも。それ故に他人を制する為の術として紀元前から心理学が語られている。中国古典も基本的には心理学であり哲学であり人間学である。また争いの基本は自分との戦いであり、大抵の人は自分との戦いに敗れているから他人との戦いにも敗れる。

争いが無くならないのであれば、争いの動機となるものを無くしてしまえばいい。その発想が具現化されたものがムーンショット計画やスキルのクラウドやシェア化なのだろう。そしてAIによる技術的特異点。

世の中には脊髄反射によって批判する人達も見受けられるが、それ以上の代案が無ければ単なる対症療法であり悲惨な歴史の繰り返しである。手段の賛否は多々あれど目的は争いの歴史に終止符を打つ事のように推測する。そして水も火も包丁も、何事も使う人次第。だから技術的特異点は生存的特異点を招く恐れもある。

仮に実現した場合は個性というものが一切無くなるのだろうか?人の個性は遺伝など先天的と環境など後天的の複合によって表現されていくが、誰しもが何の問題もなく育ち過ごせば差異が無くなる。人類社会の全てを知った人同士も差異が無くなりやすいだろう。宇宙の全てを知った人同士も差異が無くなっていくだろう。様々な哀しみが無くなると同時に喜びも無くなり、ドラマが起こらず淡々と機械的な日常になっていくのだろうか?


2022年11月14日 記

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