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知的障害者は新人類(2016年)

先天的な遺伝子の異常による障害は、遺伝子自身が自主的に進化を試みた過程なのかも知れない?試みている段階だから失敗したり、失敗に写る。
遺伝子的には多種多様なバリエーションを遺した方が生存戦略が高まるから、時代が変わった時の為に多種多様な遺伝子を確保しておく意図が、福祉の概念の中の一つの考え方としてある。
例えば食糧を確保する手段として、農耕が一番だからと農耕に向いていない人達を淘汰してしまったとする。そして、天変地異によって農耕が成り立たなくなった時に、狩猟が出来る人がいないと困るからというリスク管理の考え方です。
日本は今は資本主義社会であって、お金が重要視されていますが、仮にお金が通用しない世の中になったらどうしますか?その場合は、お金を稼ぐのが下手であっても、食糧を生産出来たり、採取出来たり、狩猟出来たり。そういった人達の立場が逆転して向上しますよね。

アメリカは元々が移民の集まりの為か、同調よりも個性が重視されています。歴史的にも乱世になると、家柄や経歴が問われず才能のみで評価されるようになってきます。
織田信長、曹操孟徳などは実力重視で人を活かしていきましたね。逆に家柄や経歴を重視した人達は、乱世の濁流に呑まれて消えていきました。

本題に入って、知的障害者は実際に接してみて純粋な人が多く、人間の弱点である知性や欲が低い事が多い。浅く考えると、知性があった方が良いし、欲もあった方が活動性も高まりますよね。でも、何か大きな失敗をする人は大抵は知性が高い人なのです。これは古典にも出てきて説かれているくらいです。
そのもっともたる人物が、人間のフリをした悪魔と言われたノイマンです。知性の高い人達が存在しなければ、原爆はこの世に誕生しなかったでしょうし、畑を耕したり、木の実を採取したり、魚を釣ったりしながら、のんびりとした日々を送っていたでしょう。
医療などの発達も無くなりますから平均寿命はとても短くなるとは思います。けれども、人々は達観した気持ちで日々を過ごしていた事でしょう。

80歳まで生きるものと誤解して認識してしまうから、例えば50歳で亡くなる事が分かってしまうと激しく動揺してしまう。
逆に30歳まで生きるものと知足の認識をしていて80歳まで生きると、50年も長く生きれたと、とても喜ばしい事になりますよね。

知性や欲があると身の丈を超えたものを望み続けてしまいます。けれども、知的障害者の人達は例えるなら動物的であって、必要最低限くらいで満足しています。
現代の、日本の、とても狭い価値観や分別で量ると、おかしく感じる事かも知れません。では、多種多様な時代や環境、人間以外の生物からの視点、宇宙からの視点…。そうやって視点を多角的にしてみると、知的障害者の人達って、とても平和的であると言えるのかも知れませんね。
文明が突き進み、毒の濃度も濃くなる一方の現代で、知性や欲を低くし必要最低限で満足するような個体は、遺伝子が生存戦略の為に能動的に試みた新人類と呼べるのかも知れませんね。

能力が向上する事が必ずしも進化では無いと思うんですよね。サーベルタイガーなんかは長すぎる牙が仇となって絶滅してしまったみたいですし。
そう考えると知性や欲を低くして、ローリターンにはなるけれども、ローコスト&ローリスクの個体になった方が、地球という環境に長期適応して、それは結果的に他の動植物や地球にも優しく、人類の自滅も免れやすくなると思うのです。


旧ブログにて2016年06月05日に記載していたもの
2023年09月29日 一部加筆修正


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