YOSHIZUKA

1970.11.10 - 東京都出身  財団法人日本能力開発推進協会 JADP認定 …

YOSHIZUKA

1970.11.10 - 東京都出身  財団法人日本能力開発推進協会 JADP認定 メンタル心理カウンセラー資格所得 上級心理カウンセラー資格所得

最近の記事

覚書 私の風景

 私たちが物事を認識 have doneするとき、私たちは、それが何なのかを想起しつつ予期しながら判断をしている。つまり、私たちはある対象と出会い、その触発を受けて、自分自身のlanguage(記憶のデータベース)に検索をかけ想起し、自身の記憶・言葉と一致させるように、予期し(あてにして、尋ね応えて、解釈をして)、それが何なのかを判断(思い込みを)しているのである。  もちろん、わりと頻繁に、誰もが思い違いをしている。それはやはり、私たちが出会った対象それ自体と、私たちが判

    • メメント 1 メメント・モリ

       何事も考えていることが現成化するのではなく、自身が感じていることが、どのような氣分でいるのかが、ムードとなりモードとなって、現成化するのである。だから出来る限り、氣分よく、私なら、落ち着いた、何事にも囚われていない状態でいるようにしている。  しかし、自分一人だけで生きているわけでない以上、日々、様々な出来事と出会う。自分や他者に囚われ、氣分がモヤモヤしたり、イラついたり、おさまりがつかなくなることもあるだろう。  そういうときは、とにかく深呼吸をして、一人になることを

      • 随想:今に生き、今を生きる 1

        心の置き所というのは、いろいろあるのだろうけれども、半世紀ちょっと生きて生きて、最も妥当していると思えるのが、「一切は無常である」ということである。「すべては、ままならい」ということだ。 他人もままならなければ、自分もままならない。自分が想っている通りに他人が想っているわけではないし、他人が想っている通りに、自分が想っているわけでもない。ましてや自分が想っている通りに自身の人生を歩めているのかというと実際はままならない状態だ。世の中の全般、自分自身も含めて、自分の想い通りに

        • 自分をすぐにリセットできる方法

          気分がモヤモヤしていて、無理矢理、気分を上げるために何かをする必要はない。まずは、肩の力を抜き、自然体になって、臍下の一点で氣の呼吸を行い、リラックスした集中状態になる。 そして、自身が望んでいることをイメージし、それを臨場感たっぷりに味わい感得していく。自分がどんな感情を感じたいのか、どのようにありたいのかを明らかにすることから始めて、その安定した立場から届いたインスピレーションに従って集めたり、行動したりするようにすれば、バランスが保てるばかりでなく、集めたものも行動も

        覚書 私の風景

        マガジン

        • 傾聴の対話
          2本

        記事

          慈悲

          慈悲の意味は、南方アジアの上座仏教では、「慈」は、「(人々に)利益と安楽をもたらそうと望むこと」であり、「悲」は「(人々から)不利益と苦を除去しようと欲すること」であると理解されている。これを漢字で表記すれば、「抜苦与楽」になる。この「抜苦与楽」こそが、慈悲の基本的な精神である。 この慈悲は、生きとし生けるものすべてに対して抱く純粋な愛情のことである。  私はこれこそが、well-being の基本的な精神だと思う。そしてこれがアドラー心理学の他者貢献の精神でもあるだろう

          まっすぐに生きる

          医療ジャーナリストのリン・マクタガート女史は、「意図は物理量だ」と言った。彼女は、「意図にも量があり、計算できる」ということを言っている。たとえば、壁に百キロの鉄球と、二キロの鉄球を打ち付けた場合、重い鉄球のほうが、その衝撃は強く、大きな痕跡が残るはずだ。つまり、現象が強く残るのである。 だから、意図が大きく強ければ強いほど、その意図の現象の度合いも大きく強く残り現れる、ということである。 彼女の「意図は物理量だ」という言葉は、「継続は力なり」に通じるものがあるのではない

          まっすぐに生きる

          相手の為にやることは、ほぼ自分がやりたいことでしかない。コミュニケーションは常に「聴く」ことから始める。決してこちら側で勝手に判断して、あたかも相手がそうであるかのように思い込むような妄想に囚われて先走らないこと。話を聴いてから、一緒に考えればいい。

          相手の為にやることは、ほぼ自分がやりたいことでしかない。コミュニケーションは常に「聴く」ことから始める。決してこちら側で勝手に判断して、あたかも相手がそうであるかのように思い込むような妄想に囚われて先走らないこと。話を聴いてから、一緒に考えればいい。

          答えは、私と相手の間にある。共に課題を共有し、それを解決するために協働し、歓びを分かち合うこと。自分にも相手にも答えはない。だが、どの解決策が一番役に立つかは、課題の立て方によって決まる。

          答えは、私と相手の間にある。共に課題を共有し、それを解決するために協働し、歓びを分かち合うこと。自分にも相手にも答えはない。だが、どの解決策が一番役に立つかは、課題の立て方によって決まる。

          死を想う

           スティーブン・R・コヴィー氏の『7つの習慣』の〈第2の習慣〉は、「終わりを思い描くことから始める」である。つまり、自分の死を思い描くことから始めるということだ。故スティーブン・ジョブズ氏も、自分の死を思い描くことで、今自分が本当にやりたいことは何か、今していることが、しようとしていることが本当に自分がしたいことなのかを自問自答しながら、生涯を送った人だった。  自分の最後の場面の死を思い描き、それを念頭に置いて、今日という1日を始めることで、自分の人生の行動基準が見えて来

          仕組み化は目的化である。 なぜなら、仕組み化は目的に関係付けることで初めて成立するからだ。目的のない仕組み化は、強制収容所でしかない。目的に向かって歩きやすい環境を作るのが仕組み化である。決して歩かせるものではない。

          仕組み化は目的化である。 なぜなら、仕組み化は目的に関係付けることで初めて成立するからだ。目的のない仕組み化は、強制収容所でしかない。目的に向かって歩きやすい環境を作るのが仕組み化である。決して歩かせるものではない。

          今自分がどう感じて思っているかが行為に現れて来る。なぜなら、行為の底には常に感覚と感情の影響があるからだ。だからポジティブな感覚と感情でいれば、自然とアクティブになるし、ネガティブな感覚と感情でいるなら、そのまま惰性的になっていく。決して思考プランが現実化するのではありません。

          今自分がどう感じて思っているかが行為に現れて来る。なぜなら、行為の底には常に感覚と感情の影響があるからだ。だからポジティブな感覚と感情でいれば、自然とアクティブになるし、ネガティブな感覚と感情でいるなら、そのまま惰性的になっていく。決して思考プランが現実化するのではありません。

          仏教 十二処の認知プロセス

           ある対象や物事や出来事と出会い、知覚され、最終的な認識として確定されていくまでには、厳密な「認知の流れ」というものがある。その認知の流れの「現れ(過程)」を、仏教では「十二処」と説明している。  その概要は、「対象(情報:色・声・香・味・触・法)」➡「六門(眼門・耳門・鼻門・舌門・身門・意門)」➡「〈触発→〉識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識)➡「受(快・不快・無感覚)」➡「想(想起的予期・演繹的推論)」➡「尋(絞り込み)」➡「応(行為)」となっており、この左から右へ

          仏教 十二処の認知プロセス

          不快な人は相手にしない

           世の中には、一定数、相手を不快にさせるために、わざとマントをとって来る人がいる。けれども、こういう人は、非難しても無駄で、放っておくのが一番である。つまり、その人の精神は、慢心=承認欲求に蝕まれていて、さもしく、淋しいのである。何事も、どうしても自分の思い通りにいかないと気の済まない質なのだ。  だが、人は人を支配することも、思い通りにすることもできない。まして世は無常である。すべては変わりゆき、失われ続けていく。我執の強い人にとっては、自分の自尊心の不足に堪えられないに

          不快な人は相手にしない

          周りが何と言おうとも、自分を変える必要なんて何処にもない。自分の感性や感覚を信じること。自分の感性や感覚を理解して信頼して行動する習慣が身についた時に、自分が望んでいることに疑いを持つことの無意味さに気づける。 堂々と自分の感性と感覚、良くなっているんだという感触を信じて欲しい。

          周りが何と言おうとも、自分を変える必要なんて何処にもない。自分の感性や感覚を信じること。自分の感性や感覚を理解して信頼して行動する習慣が身についた時に、自分が望んでいることに疑いを持つことの無意味さに気づける。 堂々と自分の感性と感覚、良くなっているんだという感触を信じて欲しい。

          感じていることが、そうなっていく

          自分のWELL-BEING を感じ取ることに意識を向けると、自然と心が落ち着いて来る。朝の日差しを浴びているように、自分自身が澄んでいくような氣分になる。別に具体的な情景を想い浮かべる必要はない。ただそうであることが感じられれば、それでいい。そうしていれば、そうなっていくように、そうしていればいいのだ。   どういう発想で物事を見るのかによって、その見え方が変わって来る。しかし、その発想は、その対象や出来事や他者に対して、どのような関係の歴史の経験の記憶があるかで、その感じて

          感じていることが、そうなっていく

          成功の確率を上げていくこと

          ちゃんと自分で考えて、見通しを立てて実行したのなら、もしそれが上手くいかなかったり、失敗だったとしても、それは後に必ず成功の糧になる。でも、なんも考えずに、ただ場当たりに、めんどくさがってやっただけなら、それは単なる失敗であって、何の糧にもならない。 確かに物事は一般に、やってみなければわからない。いくらプランを立てたとしても、その通りにいく保証などない。でもだからこそ、自分で考え、見通しを立ててみて、それを自分の秤にして、上手くいくのかいかないかをチェックすればいいのだ。

          成功の確率を上げていくこと