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覚書 私の風景

もとはコトノハとも謂つて居たのを見ると、多分は草や木の葉にたとへたもので、それが年々に繁り栄えてはやがて又散り失われ、再び其跡から大よそは同じ形のものが、次々に芽を吹き伸びて行くことを、最初から承知し又あてにして居たやうに思われる。

「國語の成長といふこと」柳田国男


 私たちが物事を認識 have doneするとき、私たちは、それが何なのかを想起しつつ予期しながら判断をしている。つまり、私たちはある対象と出会い、その触発を受けて、自分自身のlanguage(記憶のデータベース)に検索をかけ想起し、自身の記憶・言葉と一致させるように、予期し(あてにして、尋ね応えて、解釈をして)、それが何なのかを判断(思い込みを)しているのである。

 もちろん、わりと頻繁に、誰もが思い違いをしている。それはやはり、私たちが出会った対象それ自体と、私たちが判断した「それ」に、相違があるからだろう。同じ言葉でも、人が違えば、その意味合いが異なるように、対象に対して、どう見えているのかは、その人の経験のニュアンス・解析度に因るのだ。私たちの認識は、決して客観的なものではなく、限られた主観的なものでしかない。あくまでも、その人自身の経験の記憶の産物たるlanguageに因るのだ。ウィトゲンシュタインが言ったように、《私の言語の限界は、私の世界の限界を意味する》のである。

 しかし、ここで重要なことは、あくまでも、私たちの認識は、「対象」、即ち「自分でないもの・非自己的なるもの」に対しての行為・経験の結果である、ということだ。だから、私たちの認識には、常に、この非自己的なるものが内在していることを自覚しておかなくてはならない。

 この〈非自己的なるもの〉は、私たちの観念として働いている。例えば、〈死〉がそうだ。私たちは自分が死ぬことを認識している。だが、自分がいつ何処でどのように死ぬのかは知らない。観念とは、このように常に、「未知なること」を内包しているものである。つまり、私たちの観念は、この未知なるもので形成されているのである。私たちは、この未知なるものとの経験を言語化・概念化して、とりあえず認識しているにすぎない。〈死〉がそうであるように。私たちの認識は、決して見通しのつくものではない。その認識を形成しているもの自体が、未知なるものなのだから。死に恐れを抱くのなら、自身の認識に対しても、ソクラテスがそうであったように、恐れを抱いたほうがいい。だからこそ知性が必要なのだ。

 知性の基本的な在り方は、現に使っている言葉で思考しつつも、その言葉を思考することにある。その言葉の底に触れ、其処にある、まだ知られていない、定義づけられていない、無数のニュアンスに出会うことである。言葉の底の内なる感覚に触れ、内省すること。それが知性である。知性は決して論理的形式で人を説得するためのものではない。ましてや未来予想図を拵えることでもない。真の知性とは、そうとしか言えない、「心に染み透る言葉」(バフチン)を持つことである。論理統計は、人の精神を支配するものだが、知性は、人の精神を解放するものである。

 誰もがいつか何処かで死ぬ。だが、この〈死〉が、この私を照らし出してくれてもいるのだ。この未知性が、異国の地にいるときのように、この私を現(あらわ)にするのである。未知性との出会いなくして、この私は現れては来ない。そして、その現れた存在である私には、つねに未知性が含まれているのだ。また、その内なる未知性を知ろうとすることが、自身の生き方を知ることでもあるのだ。デカルトがかつてすべてを疑ったのは、生き方を、確かな生き方を知りたかったからだ。プルーストもそうだったように、生き方は見出されるものであって、決して夢見るものではない。ましてや何かに限定するものでもない。

 昨日の自分を私はどこまで知っていると言えるだろう。遠い昔から日記が書かれてきた理由がここにある。人は内省することで、生き方を見出そうとして来たのだ。いや、実際は、今こうして生きていることが知りたいのだ。今こうして生きている自分自身に、私たちは確かな手応えを、その現実感を、実感したいのである。

 私たちは現にどのように生きているのか。それを認識しないかぎり、どのように生きればいいのかも分からないはずだ。自分が出した結果(=限界)を越えて行こうとすることしか目標にはならないように、やってもいないことを目標を想定するのは、来週からジムに行こうと言っているようなもので、世迷言に過ぎない。

 私とは、非自己との関係性にしか現れない存在である。誰のものでもない同じ言葉を使っても、その意味合いが異なるとき、その異なりとして現れて来るのが、私である。
 
 私の風景は、私が私でいることではなく、他の存在との出会いにおいてしか現れて来こない、現実なのである。



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