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「聞いて!聞いて!聞いて!聞いて!!」

「聞いて!聞いて!聞いて!聞いて!!」
とよく親に言っていた。
今日あったくだらない話をしている時にそれはよく発動した。

なお、親は私の話を聞いている。
私が「聞いて!」を連発するより前からずっと聞いているのである。
それなのに「聞いて!聞いて!」とは・・・。

思い返せばあれは
「もっと全身全霊を私に傾けてくれ!」
という訴えだったのだなぁと思う。

母親が晩ごはんの支度をしている時や
父親が何か別のことを考えている顔をする時にその言葉を発していたと思い出したから。
(余談だが私の父親はものすごくいろんなことが表に出る。
 「今仕事のことを考えてるなぁ」なんてのが後ろ姿からでも分かってしまうほどに)

なんでそんなことを思い出したのかというと
友人の子どもたちの振る舞いを見たからだ。

久しぶりに会った友人と話していると、友人の子どもは
「ねぇ!見てて~」
と言う。
そうしていつも遊んでいる室内用滑り台を滑る。

友人の子どもは幼く、目を離せない年齢だ。
遊び方は危ないものではなく、とても上手にひとり遊びができているけれど
決して事故が起きたりしないように
私も友人も子どもの振る舞いを見ながら手の届く範囲で談笑している。
そう、見ているのだ。

けれど言う。
「ねぇ!見てて~」
と。

この子は「一緒に遊ぼう」とは言わない。
私と友人の間に入ってくることもしない。
友人にとって私と喋る時間が大事であることを感じて遠慮してくれているのだ。

けれど「私を見て」いて欲しい。
友人にとって「私が一番大事」だと感じたい。
今この瞬間も。
それが「ねぇ!見てて~」なのではないかと。

それを見ていて思ったのだ。
そっか。あの時の私は今のこの子と同じなのだな、
「全身全霊を私に傾けてほしいの!」と訴えているのだな、と。

あの頃の私は仕事のことを考えるよりも
夕飯の支度よりも
私の取るに足らない話を聞くことを優先させてもらうことで
愛情を確認したかったのだ、きっと。

私の「聞いて!聞いて!聞いて!聞いて!!」が
頻度は減りつつも高校卒業して実家を出るまで続いたことを思うと
親に見てほしい!愛されたいのだ!
という欲求は思いのほか長く続くのだなぁと思う。
個人差はあると思うけれど・・・。

私の親は
「聞いてる、ずーっと聞いてる!!」
と笑いながら、いつだって私のどうでもいい話を聞いてくれた。
私はその都度愛情を受け取っていたのだなぁ。
あら、私ったら幸せだったのだなぁと思い返した。

まぁ、聞き流されていた可能性は大なんだけど
聞き流しても全く困らないほどにどうでもいい話しかしていない。
たぶんそれで良かったし
それこそが日常だったんだなぁと今は思う。


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