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私はただミモザを見つめているだけでよかった。



日曜日
17時00分。


そろそろ帰らないと。
早足で小田急線の町田駅改札に向かう。


改札の前に来た時、そのすぐ横にある花屋が目に入った。
何故か魅力的で、いつものように「見るだけ」と決めて向かう。
改札へ向かう流れをかき分けて、花を見に行く。

最近はスイートピーがよく並べられている。
ピンクと青と紫の花びらが
まるで自分が可愛いことをよく知っているアイドルみたいにひらひらとしていた。


綺麗な花々を端っこから順番に観察する。
ふと横をみると見覚えのある花があった。私はとても驚いた。

ミモザがいた。
あまりにもタイムリーで心の中で高鳴った。




「ミモザ」は彼のイメージの花だ。

ついこの前、もしお互いを花に例えるとしたら何だと思う?
そんな話をしたばかりだった。

私は彼をミモザだと思った。
天気の良い休日の朝、部屋の窓に差し込むあたたかい日差し。それが彼の笑顔。
ほわほわして黄色の小さな丸がたくさんついているミモザ。
その一粒一粒は、まるで彼の思考のようで、イメージが一致した。

そんなことを思いながら
私はミモザを一輪だけ、購入する。
彼にあげるために。

530円のただの黄色い花は
私に購入された瞬間、代わりのない感情をのせた特別な花に変わった。



仕事用に買ったスーツと一輪のミモザを手に持って電車に乗る。

一輪のミモザ


揺れる電車の中、ずっとミモザを見つめていた。



雑な服、何も手入れしていない髪、化粧をしていない顔。
本来の私の姿で、ミモザを見つめると色んな感情がやってきた。
なんだか、とても好きだと思った。心の底から愛おしく思った。
ありのままでいることをミモザに許されてるみたいだった。



幼い頃によく感じていた、
理由の持たない「好き」や
大人から見たらどうでもいいような「物凄く小さな幸せ」が体の真ん中から滲みだした。 


無知で純粋で自分だけの世界にいた頃の
誰にも邪魔されない「好き」を受け止めてくれているかの様だった。




17時35分。


本厚木駅についた。
彼と待ち合わせをしている公園に向かう。
震えるくらい寒くて、ちょっと歩くのが嫌になる。


約束の時間の15分前、彼がやってきた。
フードをかぶってる私に気づかず、健康遊具で遊ぼうとしている。
すぐに声をかけてしまって少し後悔した。
もう少し観察しとけばよかった。

すっぴんで会うのが恥ずかしくて
「あげる」と一言だけ言って、ミモザを渡した。


とても寒く暗い公園で
コートとマフラーと耳当てと手袋に包まれている彼は休日の朝の日差しのようなあたたかさで笑った。



18時00分。


寒いから少しだけ。散歩をすることになった。誰もいない公園から歩き出した。


散歩のはずが、バーミヤンに行くことになった。お腹空いたらしい。


テーブルには、豚肉生姜焼きチャーハンと黒キリボールが並べられた。
私が頼んだ黒キリボール(黒霧島のハイボール割り)は水みたいな色をしていた。


夜のバーミヤンでお話しする。


久々に会った嬉しさから、つい手に触れた。
特に会話がない中、触れた手を見つめる。彼の手の温かさを確かめる。
彼の爪はいつもギリギリに切られて白い部分がほとんどない。そんな爪を指でそっと触れる。


のんびりと時間がながれていた。
美術館に飾られている絵画を見る時みたいに、頭が空っぽになっていた。

何も話さず、ただ彼の手を見つめていた。
それだけでなんだかもう全てが充分だった。

この時間がずっと続けばいいとおもった。永遠に見つめていられるような気がした。



次の日
9時00分。

月曜日の朝、
私はパソコンに向かっている。仕事をしている。

毎週この時間は、特に意味の無い0と1を見つめて、足りない箇所を入力している。

毎日この時間は、お腹が痛くなり、同時に吐き気に襲われる。きっと純粋に仕事が嫌いだからだと思う。


0と1を見つめながら体調が悪くなって、
私は泣きそうになる。


泣きそうになりながら思った。
「私はただ、ミモザを見つめているだけでそれだけで充分なのに。何でこんなに苦しい気持ちにならないといけないのか」と。

過去も今もきっと未来も、
私が人生において欲しいものは変わらない。


それは、とても小さなもので
落ちてきたイチョウの葉だったり、
日本酒の残骸だったり、
キャラクターの被り物だったり、
一輪のミモザだったり、
手を見つめてる時間だったり、
起きた瞬間の布団の中だったりする。


私はそんな形のない小さなものが欲しいがために生きている。
それを手に入れるのに、何故こんなにも時間と自由と心を使わないといけないのだろう。私は分からなくなる。



私は昔から子どもの頃からずっと、ミモザを見つめてるだけでよかった。
私はそれだけで充分だった。


気づいたら大人になった。
それを手に入れるために色んな事をしなければいけなくなっていた。
大事じゃないことを、大事であると教えられ
自分が本当に大切にしているものばかり、見えない場所にしまってそのままにしている。


いつの間にか
ミモザを見つめるためには、時間や心や身体という代償が必要になってしまっている。



欲しいものは、ずっと昔から私の近くに転がっているのに。変わらずそこにいるのに。
それを拾うことよりも、しなきゃいけないことばかりになった。



それが辛かった。
なぜそうなのか、私にはよく分からなかった。
これはきっと永遠に分からなくて、泣きそうになった。


人生において欲しいものは、
もうずっと前から知ってるはずなのに。
それを自由に使うことが許されないように感じてただ悲しかった。


私はただ、ミモザを見つめているだけでよかった。他に何も要らなかった。
それだけで充分で、もうそれ以外何もいらないと思いながら、
今日も0と1を見つめていた。









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