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ワーママ保健師がリスキリングに至るまで

急に週1で文章を書こうと思いたち1ヶ月弱。今年最後の更新なので、2023年の振り返りを兼ねて、今更ながら進学したいと思うに至るまでの話をしたいと思う。


コロナ禍の業務改善

コロナ禍、私は保健所の保健師としてコロナの仕事をしていた。2020年まではコロナ以外の担当だったのだが(でも1日の大半はコロナの対応だった)、2021年に部署異動があり、異動先で感染症の担当に配属された。小規模の部署だったため、担当内の中堅は時短勤務の私だけ。公務員には労働基準法第33条というびっくりルールがあり、上司も後輩もとんでもない残業時間で死にかけていた。それでも波の度に仕事は雪だるま式に増え、私はエナドリ片手に大量の仕事を他課や派遣職員や応援職員に割り振り、防護服を着て連絡のつかない患者の家まで様子を見に行き、時短では帰れず休日も出勤し、家のことは在宅勤務の夫に丸投げする毎日であった。

私はその業務量の膨大さと人的リソースがない中で生き残るために、自ら業務改善に励むようになった。それまでも割と効率化やDXといったことに興味はあったが、この頃はいらない業務を削ぎ落とし、工数を減らし、ミスを減らすためにできることを一日中真剣に考えていた。残業ができず夜ちゃんと寝ているのは私くらいだったので、こういう縁の下のサポート的なことは率先してやらなければ…という使命感を勝手に感じていた。
コロナ禍の業務改善は所属の存亡に直結しており、これまでの一般的な業務効率化とは比にならない切迫したものがあった。「本当にこの仕事は必要か」「もっといい方法はないのか」日々真剣に考えながら、コロナ前の保健活動についても振り返ることが多くなった。

コロナ禍後の公衆衛生

同じころに新人向けの研修で公衆衛生や保健師の業務について話す機会があった。保健所保健師の業務はコロナ禍を通じてかなり混乱しており、話を組み立てることに苦労した。コロナ前の話をしても現在行っている内容ではないし、コロナの話はイレギュラーが多すぎた。そしてこれから働く職員のために「コロナ後」の話を入れる必要があった。
当時多くの公衆衛生に関わる専門職は「コロナ後の公衆衛生は今までとは違った形になるだろう」と考えていた。心の健康、子どもたちの学校生活、他の感染症が流行していないこと等この数年のことが今後影響するであろうことや、コロナ禍を経て変化した社会構造が人々の健康にどう影響するのか等、一から考え直さなければならないことが多くあり、今見えていることも氷山の一角のように思えた。

自分がやりたい仕事

2022年になり、コロナはワクチンの接種率向上と株の弱体化により重症者の割合が格段に減り、保健所の業務も膨大ではあるもののデルタ株の時のような一刻を争う緊迫感は薄れていた。
当時全国の保健所では療養証明書の発行業務が問題となっていた。はじめは就業制限についての正式な通知だったはずが、いつの間にかコロナに罹患した患者が保険会社に提出するための簡易な書類と化していた。簡易とはいえその事務量は膨大である上に本来の健康危機管理業務からは外れており、さらに証明書発行遅延によるクレームも非常に多く、そのための残業や休日出勤が発生していた。職員のメンタル不調は後をたたず、気力を使い果たした私もまたバーンアウトしていた。住民が生きるか死ぬかの話だったから頑張れたのであって、事務処理のためには頑張れなかった。
療養証明書発行のために休日出勤していたある日、私の心は折れた。なんだこの仕事は。やってられん。コロナが終わっても、この先同じようなパンデミックや健康危機があったら、また使い潰されるに決まっている。そうだ、転職しよう。

転職しようと思いたち、転職サイトに登録して転職エージェントと話したりもした。できれば収入を下げたくないと思うと、これまでの業務に関連した内容が良いと思った。そうするとtoGのヘルステック企業を紹介された。それまであまり詳しくなかったが、多くの企業が面白いサービスを展開していて、社風も在宅勤務やフレックスがあって今時だったりして、魅力的に思えた。
一方で、ふと「私はヘルステック企業で自治体向けに新しいサービスを提供したいのだろうか?」と思った。それよりも「自治体側として、自分の自治体の課題解決をしたい」のではないだろうか、と。この二つは似ているが、全く違う。「うちに良いサービスがあるので、お宅の自治体でも導入しませんか」ではなく、「うちの自治体はこういう特徴があるので、こんなサービスを入れてもっと良くしていきたい」という視点の違いである。
ちょうどコロナの対応もいよいよ終わりが見えてきた頃だったので、まだ自所属でもできることがあると思い、転職活動をやめた。

学び直したい

2023年5月8日、コロナは特にその存在が変わったわけでもないのに、感染症法上で5類となった瞬間に人々の中から大したことのない存在へと格下げになった。世間はしきりに5類5類と騒いでいたが、一体騒いでいる人の何割が感染症分類のことを知っていたのだろうか。10類くらいまであると思っていた人、絶対にいると思う。
お陰様で我々はコロナ関係の事務からほぼ外れ、元々の業務に戻ることになった。先述したとおり、コロナ禍を経て社会構造は少し変わり、コロナ禍の生活の影響が健康課題に表れていると思われた。一から業務を洗い直そうとした。
で、わからないのである。現状がどうなっているのか、「きっとこうだろう」ということは予測ができ、それに沿って業務を組み立てるのだが、確信が持てなかった。土台がないまま家を建てているような不安定さがあった。不安定さの理由もはっきりわからず、単に自分に自信がないだけなのか、やはり健康課題の根拠が明確でないからなのか、わからなかった。EBPMという言葉は知っているし、勉強もしたが、業務に落とし込めている気がしなかった。これは、ちょっと、根本的に勉強しなおしたい。そう思ったのはこの頃だったと思う。

進学という方法

学び直すにあたり、子どもがいて時間的制約がある私は、独学で学ぶのか、それとも大学院に進学するのか考えた。

今は学び直しにも色々な方法がある。現に私も一時期はgaccoというリスキリングの動画サービスやYoutube等で統計入門やらDXやらの勉強をしていた。インプットという意味では動画サービスや本を読む等での学習は非常に良いと思うのだが、学びにおいてはインプットだけでなくアウトプットが重要である。そしてアウトプットをするという場面においてはそれを誰かが評価してくれないことにはどうにもならない。そこでやはりできれば進学して学び、専門的な視点で評価をしてもらえる環境にいたいと思うようになった。周りに休職や仕事をしながら大学院に通っている友人も何人かいたので、イメージしやすかったというところも大きい。
それでも時間的な制約や家族のことなどもあるので迷っていたが、夫に「そういうのは受かってから考えたらよいのでは」と言われたので、私はそれを「受けてOK」という回答と捉え、挑戦することにした。ありがたいことである。

職場等の周りの反応も気になるところではあったが、私が受かろうが落ちようが周りの人には大して関係ないなとある時思い、そこからは特に気にならなくなった。ありがたいことに一言目に「いいと思う!がんばってね」と肯定的な意見を下さる人が多かったが、「えーそれって…」と否定的な人ももちろんいた。私のいないところで色々言っている人もいるだろう。人が多ければその分多くの意見が出る。それに一喜一憂していては何もできないし、みんなに褒めてほしい等というのはおこがましい。
私自身が誰かが新しい挑戦をするときは、一言目に「がんばってね」と言えるようにいられれば良いのだと思った。

考え続ける意味

今回紆余曲折を経て新しい挑戦をすることになったのだが、思い返すと常に考え続けてきた数年だった。別にもともと向上心が高く自己研鑽に励むタイプではないし、仕事の専門性に誇りをもっているということもない。また家のことについてもそこまで家庭的ではなく、おそらく一般的な母親像からも外れている。しかしその時その時の最善については自分なりに一生懸命考えてきたつもりだった。疑問に対して自分なりの納得できる回答が出るまで考えること、トライ&エラー、その積み重ねで現在に至っている。
私は基本的には定時を過ぎれば全く仕事のことは考えないし、残業もしない。ただ1日8時間を過ごすのであれば、少しでも面白いことをしたい。私は保健師の仕事はもっと面白くできるはずだと思っているので、これからも考えて模索していきたいと思っている。
では、よいお年を。

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