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サッカー訪問記2-2 川崎フロンターレ 日本代表選手を育てる街づくり     その②

                                                                      (写真)川崎フロンターレ提供 

 ■街づくりプロデューサーとしてのおいしいポジションの発見

 岩永氏曰く、数年前に行ったヨーロッパ視察で、フロンターレ的なクラブのあり方は実はサッカー先進地域のヨーロッパではあまりないものなんだということを認識したとのこと。ヨーロッパではプロサッカークラブと言えば既にステータスが確立されていて、苦労しなくても市民に受け入れられてしまう。従い、市民に受け入れてもらうところから始めなくてはならないJクラブにはプラスアルファのアイデア、努力が求められるということ。それがかえってサッカーが文化として浸透していない国々においての、クラブのあり方の新しいモデルを作る原点になるのではないかと感じ始めているとのこと。
 
 そういう日本の環境に対応するために次々に手を打ってきたフロンターレだか、この街づくりプロデューサーとしてのコンセプトを確立していく過程でこれが “予想外においしいポジション” であることに気づいてきたらしい。つまり普通の民間企業が同じようなことをしようとすると、どうしても住民には''どうせ自社の利益のためにやるんでしょ''と先入観を持たれがちだし、行政の方も 「一企業に肩入れするのはどうも..」 と少し引いてしまうとのこと。しかし、フロンターレだとこれまでの市民のためにという活動の徹底ぶりからして、「フロンターレさんならそういう心配はないし」 と思ってもらえるようになり、これまでにないスピード感で事業が構築できるようになっているとのこと。

 その流れの中、市内の色々な組織、団体、企業から逆に協力してもらえないかという依頼がくるようになってきて大変!という状態らしい。正直これは本当においしいポジションだなあという思いが強くなってきてますと岩永氏。

 また、これは僕の私見だが、競合他社がいないこともあり、事業を採算ベースに乗せるのもよりやり易くなっているのではなかろうか?言ってみればビジネスの常道である。
 
■川崎フロンタウン構想
 2021年川崎フロンターレは川崎区とまちづくりに関する協定を取り交わした。以下川崎区の発表内容をご覧頂きたい。

 川崎区はまちづくりのパートナーとして正式にフロンターレを指名したのである。これはプロスポーツの領域を越え、まちづくりに関してはなかば公益事業者としてフロンターレを認めたことになる。
フロンターレは2006年にフロンタウンさぎぬまをスタートさせた。施設的にはフットサルコート6面+クラブハウスなのだが、そこではまだ規模は大きくないものの、宮前区と連携して幅広い年代の市民のスポーツ推進事業が展開されている。

そして、フロンターレの活動が川崎市に評価されてきた影響が新たな事業を可能にした。2023年3月開設予定の2つ目のフロンタウン生田。これは川崎市から土地の提供を受けて建設を進める大幅にスケールアップした施設である。 サッカーのフルコート4面、テニスコート6面、体育館、多目的広場、クラブハウス、とJクラブでは最大規模のものだ。フロンターレのジュニアユース、ユースチームのトレーニング拠点になるとともに、こちらの各施設も川崎市と連携して市民に広く使ってもらう施設になるのである。欧州型の地域総合スポーツクラブを標榜してJリーグが創設されて30年、遂にこういう施設がJクラブによって運営される。Jリーグ関係者にとっても感慨深いのではなかろうか? 他のJクラブでもそれに続くクラブが出て来そうである。

 ■更なる各区役所からの依頼

 このように川崎市の街づくりプロデューサーとしての地位が確立してくると、今度は市内の各区役所から色々な依頼がフロンターレに舞い込むようになっている。あのタワマン群が林立する様で有名になった、武蔵小杉駅を抱える中原区からも相談されている。区としてはタワマンの住人が一挙に入居したためまだ地元愛なるものが醸成されるに至っておらず、しかも世代が30-40代に固まっているため十年後以降に一斉に老齢化することになる。所謂多摩ニュータウン化を恐れているのだ。そこで色々な世代を呼び込める魅力ある街づくりのために是非フロンターレに協力してもらって諸々の企画を一緒にやってほしいと依頼されているとのこと。
 
■まとめ    ~フロンターレを通して考えたJクラブの経営~

 今回のフロンターレ訪問は僕にとってはかなり刺激的であった。それもあってJクラブが今後どのような立ち位置で発展していくのがいいのか妄想も含め、二つほど考えてみた。
 
1.       株主利益 < 地域利益について
 
 まちづくりプロデューサーというコンセプトはこれからのJクラブのあるべき姿を示唆していると僕は考えた。Jクラブは株式会社というかたちの民間企業なので、税金でその運営が賄われるわけではなく、当然自ら利益をあげつつ持続可能性を維持しなければならい。そういった民間企業としての矜持を保ちつつ、地域の公共財としてまちづくりに参加し、それなりの投資もしなくてはならないということが暗示されているように思う。上場企業も少なからずそのような責任があるとする流れが昨今は強くなっているが、株主利益が優先される株主資本主義のもとでは自ずと限界があるものだ。ただ、Jクラブの場合、その立ち位置からして、株主利益よりも地域の利益が優先されてしかるべきではなかろうか? もちろんクラブがきちんと利益をあげている前提でだが。通常の上場企業であれば利益は適正な比率で株主に還元しなくてはならない。その方法として配当金を支払う、自社株買いをして株価を上昇させるなどが行われる。しかし、Jクラブにはこのような株主還元は似つかわしくない。現にこのような株主還元を行っているJクラブの例はあまり多くないと思う。 Jクラブの場合、このような株主還元を行うよりも地域に還元すべきなのだ。適正な内部留保以上に余剰資金があったら、地域のまちづくり、地元愛の醸成に貢献すべき事業に再投資すべきなのではないだろうか? 上場会社が株主還元を行うのと同等のモティベーションをもって。
 恐らく既に多くのクラブは自然にそうしているのだが、今更ではあるがJリーグとして株主利益<地域利益をはっきりと標榜することにより、存在意義が更にはっきりするのではないかと思うのだが、どうだろうか?例えばJクラブの株主が入れ替わる場合、Jリーグの意思決定機関においては、新株主がこの株主利益<地域利益のコンセプトを受け入れることを新株主承認の条件にするぐらいしてはどうだろう?
 
2.      迂回してやってくる将来キャッシュフローについて

 もうひとつ、岩永氏の話を反芻しているうちにあることが僕の頭に浮かんでいる。僕もかつては商社で海外事業の現場を散々経験した。企業経営では事業が継続的にプラスのキャッシュフロー、つまり一定以上のリターンを生み出さなくては意味がないとされる。さもないと生き残れないし、今流行りの言い方をすれば持続可能なものにならない。これは厳然たる事実である。
 
 株式会社であるJクラブも同じはずだが、一方で地域の公共財的な側面をもつJクラブの場合、その時間軸のスパンをもう少し長く考えなくていいのではないだろうか? 365日のまちクラブ活動にはすぐにはキャッシュフローとしてクラブに戻ってこないものも多いはずだ。純粋な民間企業であれば概ね 「3年以内に黒字化しない事業はやめろ」 となる。しかし、Jクラブの場合例えば10年ぐらいにスパンを広げてその間にキャッシュフローとして帰ってくるかどうかで考えるべきではなかろうか?例えば盆踊り、ゲートボール大会の運営にしても観客層の基盤づくりになる。そのうち孫を連れてフロンパークに来てくれるかもしれない。その結果10年後に孫がシーズンチケットを買うかも知れない。これも将来キャッシュフローに入れるべきである。
また、こつこつと積み上げた市内各組織との繋がりはスポンサーサービスの向上という果実となり少し迂回してスポンサーからクラブにキャッシュフローがもたらされるはずだ。
 
 また、もう一つ見逃してはならないのはこういった類の活動はある一定期間の積み上げによって、ある時期からその効果の勢いが急激に増していくということだ。僕はこのような将来もたらされる収益を “迂回してやってくる将来キャッシュフロー'' と呼びたい。個々の活動の効果が積み重なってある勢いを生み、将来それが馬鹿にならないほどのキャッシュフローを生み出すはずだ。どれぐらいのキャッシュフローを生み出すかの判断はAIを駆使しても正解が得られないほど複雑かも知れない。しかし、AIはいつごろからその効果の勢いが増していくのかを過去の事業のデータ、周辺環境の変化のデータの蓄積によって割り出してくれるはずだ。クラブとしてそういった経験を積み、その判断の積み重ねによって個々の事業が中長期にどれぐらいの収益を生み出すかを判断するための所謂 ”事業勘の素” をデータ化し、AIに蓄積していくべきであろう。
 
今回のフロンターレ訪問を通じて、僕は以下の2つの視点がこれからのクラブ経営には必要だと考えるに至った。

①株主利益優先よりも地域利益優先 
②迂回してやってくる将来キャッシュフロー

そういう視点をJクラブの経営層にも持ってもらえたらいいなと思うのだ。
 
■社会連携 “シャレン” というコンセプトについて

 Jリーグでは2018年頃から村井前チェアマンのもと社会連携事業を所謂 “シャレン” と称してクラブをまちの社会活動の公共財とし、地域の官民諸団体、その地域活動に活用頂くというコンセプトを打ち出した。当時は “これまでのホームタウン活動とどう違うの?” と正直僕自身もあまりしっくりこなかったことを記憶している。 今回それ以降の川崎フロンターレの活動の深化に触れるにつけ、その意味合いが漸く腹に落ちた気がする。当時のJリーグのリーダーの皆さんの慧眼には改めて敬意を表したい。
 
  今回川崎フロンターレの話を聞くまで僕は、Jクラブの地域貢献活動はあくまでもサッカーやスポーツを通じて地域に貢献し、その結果市民の皆さんにスタジアムに足を運んでもらい試合を観て頂くための活動というイメージを持っていた。しかしそれは地域貢献へのほんの入口に過ぎなかったのである。

日本代表選手を育てる街

 さて、カタールワールドカップに関連して川崎市が話題になっているのはご存じだろうか?。今回日本代表として活躍した三苫、田中碧、板倉、各選手は川崎市、板倉選手は隣の横浜市で育ったのである。権田選手は小学生の頃わざわざ東京から電車で通い川崎市の街クラブでプレーしていたそうだ。また谷口、守田両選手も別の地域で育ち、フロンターレでプロとしてのキャリアを始めてここまで上り詰めてきた。これだけ多くの世界と戦える選手を一つの地域から輩出するということは今までなかったことだ。川崎市の街としてのソフトパワーがこれを可能にしたと言っても言い過ぎではないような気がしている。

 かつてサッカーの街といえば静岡や埼玉や広島だった。今、日本中で1番子供のサッカーが盛んなのは明らかに神奈川県だ。この地域の子供たちの夢は川崎フロンターレ、横浜Fマリノス、横浜FCなどのJクラブでプレーすること。私もかつて川崎市宮前区の住民だったが、子供たち、親御さんのサッカー熱には特別なものがあったのを懐かしく思い出す。そういう意味で今回のワールドカップで活躍した選手たちがこういう環境で育っていったことは特筆に値すると思う。

 願わくば、これに刺激されて他県のJクラブのホームタウンが神奈川にに追いつけ、追い越せとスポーツで愛される街づくりで切磋琢磨してくれればと思う。そのためにはその先陣を切る川崎フロンターレがますます発展していくことがカギとなるであろう。日本のサッカーの未来がかかっているので、フロンターレの皆さんにはこれまで以上に街づくりに頑張って頂きたいと思うのだ。
 
 いずれにしろ、岩永さん、フロンターレの皆さん、今回はとても刺激的なお話を有難うございました。お陰様で僕の妄想癖がかなり増幅されてしまい、色々あることないこと考えてしまいました。
近い将来各事業がどんな発展を遂げているのか是非また見に行きたいと考えています。
 
                           2022年12月13日



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